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報道の影響力を実感。9.11のあった2001年、カナダへの留学

「私を変えたあの時、あの場所」

~ Vol.62 カナダ/ブリティッシュ・コロンビア大学

東京大学の先生方から海外経験談をお聞きし、紹介する本コーナー。

今回は前島 志保先生に、カナダ留学をされていた当時についてお伺いしました。取り上げた場所については こちら から。


博士号取得に向けて留学へ。日本文学・文化を外から眺める

——2001年からカナダに留学されています。渡航の経緯から教えてください。

前島先生: 一番の目的は、博士号取得のためです。修士課程では近代の国内外における俳句の翻訳や解釈について研究していたので、翻訳論や比較文学研究が盛んで留学生への奨学金制度が充実している北米の大学院で、日本の外から日本文学・文化を見つめなおすことをしてみたいと考えました。また、当時、日本では大学に就職するために博士号取得が求められ始めた一方で、課程博士の体制が整っていなかったという実際的な事情もありました。合格したアメリカとカナダの大学院をいくつか訪問したうえで、アジア研究プログラムと図書館が充実しているカナダ・バンクーバーのブリティッシュ・コロンビア大学(the University of British Columbia、通称UBC)に留学することにしました。修士一年の時にロータリー財団の奨学金でアメリカのインディアナ大学に10カ月研究生として交換留学感覚で留学した経験があったため(当時はまだ東大に交換留学制度が無かった)、別の国で学ぶことに興味があったというのもあります。


9.11 同時多発テロ。報道による影響をひしひしと感じた

——博士号取得に向けての渡航だったとのことですが、実際に行かれてみて印象的だった出来事についてお聞きできますか。

前島先生: 私が留学した2001年は世界が大きく激動した年で、4月には米中の軍用機が空中衝突した海南島事件が、9月には同時多発テロ事件が起こり、10月にはアフガン紛争が始まりました。その様子は連日カナダでも報道されていましたが、なかでも9月11日は印象的な出来事でした。実は、私は同時多発テロの様子を逐一「目撃する」という、その日の北米の、あるいは世界の多くの人々がしていただろう経験をしていません。その日は朝から一日中、生活必需品や家電製品を買いに外出していて、帰宅まで全く報道を目にしていなかったからです(当時スマホはなく、電話と簡単なメッセージのやり取りができる携帯電話がやっと普及し始めたばかり)。夕方戻ってくると、寮は異様な雰囲気に包まれていました。泣き叫ぶ声と慰める声が響き、パニックになって何かを早口でわめきながら庭を走り回る学生もいました。まだYouTubeなどの動画配信サービスはなく、ネットニュースもそれほど盛んではなかったため、彼ら・彼女らは、ワールドトレードセンターやペンタゴンが崩壊する映像をテレビで何時間も繰り返し見て、爆撃を「追体験」していたのです。自室にまだテレビが無かった私は、その晩、寮のコモンルームのテレビで爆撃の光景を見て衝撃を受けましたが、それは、事件発生直後から何時間も爆撃の様子を見続けた学生達が受けたショックには遠く及びませんでした。


——衝撃的なご体験です。混沌とした環境で、不安も大きかったかと思いますが、この一連の出来事によって受けた影響についてお聞かせいただけますか。

前島先生: ある事件について、その報道に触れていたか否かによって、感じ方や記憶への残り方にこれほど大きな違いが生じるということを、しみじみ感じた出来事でした。はっきりと意識していたわけではないですが、メディアの人に与える影響力を改めて実感したこの経験が、メディア史や報道の表現に関心を持つきっかけになったような気がします。

実は、留学先をバンクーバーのUBCにした理由の一つも、メディア体験と関連しています。私が大学訪問した4月はちょうど海南島事件が起こった直後でしたが、アメリカでのテレビ報道がもっぱらアメリカの視点からしか行われていなかったのに対して、カナダでは、アメリカ、中国、ヨーロッパ、オセアニアや、インド・香港・台湾などアジアの他地域からの見方も紹介して多角的に報道していたうえに、世界各地で制作されたニュース番組がケーブルテレビで日常的に放送されていたことが、大変印象的でした。


多様なバックグラウンドをもつ学生が集い、共に協力し合った日々

——国や地域によって報道のあり方が異なるということが強く感じられた出来事だったのですね。
世界を震撼させる出来事から報道への関心が深まったというお話を伺いましたが、他にもカナダでの生活で印象的だったことについてお聞きできますか。

前島先生: もう一つの印象的な経験は、寮(カレッジ)での他の寮生との交流です。寮にはカナダ人学生のほか世界各地の出身者が生活していました。

バンクーバーは観光地でしたが、貧しく忙しい学生達のささやかな楽しみは、週末に値段の手ごろな店で外食したり、手料理を持ち寄ってお互いの部屋に集まったりして、あれこれ語り合うことでした。夕食後にコーヒーを片手に浜辺を散歩しながら研究や人生・生活の悩みをあれこれ相談し合ったこと、学期末のストレス発散に防音された寮の共有キッチンで大音量でカラオケに興じたこと、友人5、6名と学内の日本庭園に除夜の鐘を撞きに行き、戻ってひと眠りしてから手作り餃子を一緒に作って新年を祝ったことや、研究発表や就職活動の面接の予行練習を共にしたことなどが、懐かしく思い出されます。

留学中、友人宅で食事会をした際に撮影。

前島先生: 一人一人の人生が歴史や社会状況と無関係ではないということ、そのあらわれの複雑さについて考えさせられる場面もありました。中等・高等教育を受けるのにかつての宗主国の言語である英語を用いなければならないことを嘆く一方で、Commonwealth Games(旧英連邦諸国で四年に一度行われるスポーツ大会)について、オリンピックやワールドカップと同じくらいの熱量で楽しく語り合っていた、かつて英国に支配されたアジアやアフリカの国から留学してきていた友人達。日本語を話さないインドネシア出身の友人が突然楽しそうに日本の童謡の「あめふり」を歌い出したので、驚いて尋ねたところ、お祖母様が日本統治下の小学校で覚えて教えてくれた歌だったことが判明したこと。「戦時中に日本のプロパガンダに使われたのは知っているけれど、メロディーがきれいだから好き」と、カラオケで「夜来香」「何日君再来」をノリノリで歌っていた中華系の友人達、クリスマス・ディナーに招待していただいた香港系の友人宅で、お父様から子供の頃の日中戦争の体験やカナダでの移民生活の辛さについて涙ながらに語られたこと。そんな場面の数々が目に浮かびます。

様々な背景を持つ友人達との交流から、日々の暮らしや研究・教育のなかで、歴史的・文化的文脈への目配りを大事にしたいと思うようになりました。

週末に寮の友人達と飲茶(点心/dim sum)を楽しんだ時の写真。


——多様な背景をもつご友人たちとの思い出も素敵ですし、そこから歴史的・文化的文脈への目配りを、という気づきにつなげられているのも素敵なお話ですね。
カナダでの生活でさらに印象的だったことはありますか?

前島先生: カナダでは政治、経済、研究・高等教育など、社会の様々な分野で女性が活躍していたのも印象的でした。日本に戻ってきて、テレビの国会中継を見て、黒スーツの男性ばかりが席を占めている様子に、大きな違和感を覚えたことを思い出します。また、カナダ社会は全体的に今でいうワーク・ライフ・バランスがとれていて、大学教員もサバティカル(研究休暇)や心身の調子を崩した時の長期休暇が比較的容易に取得できる体制が整っていたことも、印象に残っています(ちなみに、私は東大に着任してから10年間、まだ一度もサバティカルを取ったことがありません…)。


北米と日本、両者のよいところを活かしながら研究へ

——異なる社会で過ごすと、その体制の違いが強く感じられますよね。
海外で過ごしたからこそ、日本に戻ってその体験が活きているなと感じる場面もありますか?

前島先生: 寮には人文系、社会科学系はもちろん、理系の学生も多くいました。食堂での会話や寮内の様々な活動を通して、多様な分野の学生・教員と交流を持ったことは、他分野の人々と共に仕事をしたり、自分の研究を専門外の人々に話したりする際に、役に立っているように思います。また、最近は駒場キャンパスに留学生が多くなってきましたが、留学生として数年間過ごした経験があることで、留学前よりも多少は彼らの心情を慮ることができるようになったかもしれません。家庭の事情で計画よりも短い留学生活となってしまいましたが、研究面では、英語圏での日本研究の傾向の一端を知ることができたのは、貴重な経験でした。英語圏での日本研究は、大局から問題発見・考察を行うことに長けています。一方で、日本における日本研究の長所は、テクストや資料の深い読み込みと、歴史的・文化的・社会的文脈への丁寧な目配りにあります。両方のよいところを活かして研究や教育にあたっていければと考えています。

日本への帰国後、数年経ってから所用でバンクーバーに行った際、友人達が開いてくれた食事会で撮影。
博士号授与式に出席した日にAsian Libraryにて。


目的以外の出来事も楽しんで。海外体験が無い人もぜひ挑戦を

——カナダでの経験と日本での経験、両方を織り交ぜてお仕事や研究につなげられているのですね。
最後になりますが、留学や国際交流をしたいと考えている学生にメッセージをお願いします!

前島先生: 最近の学生さん達は、かなり早くからしっかりした考え方と目標を持って留学に臨まれているような気がします。これはとてもよい傾向と思いますが、同時に、本来の目標から外れる「想定外」の出来事や一見「無駄」な経験も大いに楽しんで、自分の視野を広げてきてもらいたいなとも思います。また、せっかく学内の留学制度が整ってきましたので、海外生活の経験が豊富な人だけではなく、これまで海外経験が無い方にも、積極的に挑戦していただきたいです。

——ありがとうございました!

前島先生より、書籍のご案内をいただきました!
前島先生:
 2024年9月2日に、『比較文学比較文化ハンドブック』が東京大学出版会から出版され、私も一項目(「比較文学と定期刊行物――豊饒な可能性への扉を開けよう」)を担当しています。刊行と合わせて、特設HPでオンラインコンテンツ「各国の比較文学研究史」も今夏公開され、私はその中の「カナダ」の項目を執筆しました。
また、今年は、近代日本の出版・報道文化の大衆化について再考した単著も刊行予定です。興味のある方はぜひ読んでください。

ブリティッシュ・コロンビア大学(UBC)は東京大学の協定校の一つです(記事掲載時現在)。留学情報については こちら をご覧ください。


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