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くちなしや奇譚~小棹と洗蔵~第7話「怨霊」


「もうよい」

祠の前に女官のような装束を着た女が立っていた。


伊勢の怨霊

女が操っているかのように、その凜とした声で、白目をむいて迫っていた男たちの動きが止まった。

だが、男たちだけでなく、小棹や雅楽、月形洗蔵、清川八郎まで足が地にくっついたように動けない。

「お前は、大島の」

言葉を発したのは洗蔵だった。

「久しぶりだのう。また会おうとは思わなんだ」

二人のやりとりから、小棹と雅楽は洗蔵が打ち明けた宗像での不思議な体験を思い出した。

今回は筑後国にある不思議な祠で偶然に会ったらしい。

祠といっても奥は広そうだ。以前は小さな神社だったのだろう。今は手入れをする者もいないようである。

床に子どもが横たわっているのがかすかに見えた。一人はおかっぱ頭に朱色の着物を着ている。

「千代ちゃん!」

小棹が声を掛けたが反応はなかった。

「心配はいらぬ。眠らせているだけじゃ」

「なんでこんな酷いことをするの!千代ちゃんたちを返して!」

小棹は女に訴えて近寄ろうとするが、体を思い通りに動かせない。

「あなた何者なの!?術を解きなさい!」

「わたしは、按察使局伊勢あぜちのつぼねいせじゃ」

その名を聞いて小棹は息を呑んだ。

「ほほほ。見知っておるぞ。そなたは水天宮の娘であろう」

「まさか、子どもたちをさらったのは、安徳天皇に関係が・・・」

小棹は久留米水天宮の由来となる尼御前神社について聞いたことがある。


平安時代に長門国赤間関壇ノ浦(現・山口県下関市)で壇ノ浦の戦いがあった。

大将・源義経率いる源氏が平氏を追い詰めると、平氏の幼帝(数え年8歳・満6歳)が入水したことで知られる。

『平家物語』では安徳天皇が祖母・二位尼に抱かれて海に沈んだと書かれているが、『吾妻鏡』(源氏視点)は按察使局が安徳天皇を抱いて海に飛び込んだという。

安徳天皇とその祖母である二位の尼・平時子、安徳天皇の母・建礼門院平徳子、女官の按察使局伊勢についてはさまざまな言い伝えがある。

命をとりとめた按察使局伊勢は筑後国まで辿り着き、筑後川のほとりに社を建てて平家一門を弔ったともいわれる。伊勢が「尼御前」と慕われたことから、社は尼御前神社と呼ばれるようになった。それが、久留米水天宮の前身であるという逸話が伝わっている。


「だからって、安徳天皇を弔うために、子どもたちをこんな目に遭わせていいわけなか!」

小棹が叫ぶと、伊勢が睨んだ。

「お前などに、主上(天皇)のお気持ちがわかるものか」

時を超えた因縁


義経めがいなければ、我らもあそこまで苦戦することはなかったのに。

冷たい海の下にも都があると信じて沈んで行かれた、主上のお姿を忘れることなどできようか。

「そなたは平家一門を弔うのです」

時子さまのお気持ちを無にせぬ為、何とか生き延びたわたしは、気がつくと浜辺に打ち上げられていた。

「ようここまで、流れて来られた」

そんなわたしを救ってくれたのは、天女のような方だった。

よくよく伺えば、大島の中津宮に祀られる湍津姫神(タギツヒメ)というではないか。

しかも、田心姫神(タゴリヒメ)に田心姫神(タゴリヒメ)という女神さまも現れて三姉妹で介抱してくれた。

大島で過ごして神の力でみるみる元気を取り戻したわたしは、礼を述べて陸の神湊(こうのみなと)に渡った。

太宰府天満宮を頼った後、筑後国で尼となり、時子さまのお言葉を胸に平家一門を弔った。

百十歳を超えるまで長生きしたが、天寿を全うしてからも、平家の落人たちを弔いながら彷徨ううちに怨霊となった。

神通力を持つようになると、神々の存在をより近くに感じ始めた。

数年前に、宗像三女神(むなかたさんじょしん)からお力を貸していただこうと閃いて大島を訪ねた。沖ノ島まで船を出すこととなり、信用できそうな若い役人に命じた。

宗像三女神の力は想像以上であった。壇ノ浦で海の下に沈んだ主上を、沖ノ島から波の上に蘇らせてくれた。

「伊勢ではないか。ここはいずこじゃ」

主上の懐かしいお声に、無礼を承知で思わず抱きしめた。

だが、神々の力を借りねば、主上とはお会いできない。次に機会があれば、遊び相手になりそうな童子を連れて行こうと思い、探していたのだ。

妖術と祝詞

「子どもらには、主上の遊び相手として来てもらう」

「そんなこと、させるもんか!」

小棹が伊勢の言葉を遮った。

深呼吸をして心を静めると

「と~ほ~か~み~え~み~た~め~」  

一語一語、心が宿るかのように唱えだした。

神道で唱える、神を拝する言霊として知られ「吐普加美依身多女とほかみえみため」や「遠神笑美給とほかみえみため」という言葉が当てられる。

その唱えことばに伊勢の妖術が乱れた。

「うぬっ。天津祓あまつはらえを唱えるとは、神官の娘だけある」

術が解けて体が動くようになった月形洗蔵と清川八郎が剣を構えて斬りかかった。

「手応えがない!」

清川が目を丸くした。霊が憑いているとはいえ、浪人風の男や武士は斬れば手応えがあったのだ。

「月形殿。どうなってるんだ?」

「魂が見えん。伊勢はそのものが怨霊なんだ」

洗蔵は青ざめた顔で答えた。

「無駄じゃ。そなたたちに、わたしを斬ることなどできるものか」

「じゃあ、これならどう?」

小棹が唱えだしたのは大祓詞おおはらえのことばだった。

高天原に神留まり坐すたかあまはらにかむづまります・・・」

大祓詞は平安時代に編纂された古代法典『延喜式』に出てくるほど古くからある。「大祓詞を心から唱えれば、神々が聞いて下さり、力を合わせて罪や穢れを洗い流してくれる」という祝詞として知られる。

神道の大祓詞を陰陽師も読んだことから、巷に広がったという。水天宮を起こしたほどの尼だった伊勢が、怨霊となったため大祓詞に苦しむとは皮肉なものである。

すると伊勢が大祓詞を嫌がっているところに、一羽のカラスが飛びかかって嘴で突いた。

「忌々しいカラスめ」

伊勢が怯んでいる隙に、小棹たちは祠の奥に入り込んだ。床に横たわる子どもたちに声をかけると、目を覚ました。伊勢の術が解けたのだ。

「千代ちゃんだよね」

小棹が確かめると、「うん」とうなずいた。

「ギャアーー」

伊勢から床に叩きつけられてカラスが鳴いた。

子どもたちを奪い返された伊勢は、目を吊り上げて怒りを露わにした。

「許さぬ。主上の楽しみを奪うことは許さぬぞ」

怒髪天を衝くとはこのことか。激高してもはや大祓詞さえ耳に届かないだろう。

小棹は打つ手がなくなって途方に暮れた。その時だ。

「伊勢よ。幼子を海の下に連れてくるのはやめよ。冷たい思いをするのは朕だけでよい」

「主上。なんとお優しい。及ばぬ伊勢をお許しください」

伊勢は天から降りてくるような声に向かってかしこまった。

「よいよい。それより伊勢も早く沖ノ島に来ぬか。田心姫神たちも待っておるぞ」

「もう、宗像三女神によって蘇られたのですね。すぐ参ります」

伊勢は笑顔を見せると、まだ寝ぼけている子どもたちに声をかけた。

「主上を思ってのこととはいえ、酷い目に遭わせて申し訳ありませんでした」

そして千代ちゃんに目を向けると「わたしも、千代というのですよ。済まぬことをしたのう」

そのように話すうち、伊勢の姿は霞んで見えなくなってしまった。

当の千代ちゃんは、羽を痛めたのか床でじっとしているカラスを見つけて近づいた。

「くろすけ。やっぱりくろすけやん!」

「知っとーと?」

小棹が確認したところ、千代ちゃんがこっそり握り飯などをエサ代わりにあげていたら、懐いて仲間のカラスたちと食べに来るようになったという。くろすけは親分格で、嘴の先が黄色いからすぐ分かるらしい。

「そうやったと。わたしたちが祠に気づいたときも、カラスがおったけん確かめに来たとよ。くろすけは千代ちゃんに恩返ししたとやね」

「うん。くろすけ、ありがとう」

小棹はかつて悪夢に出てきたカラスも嘴の先が黄色だったことを覚えていた。もちろん、千代ちゃんに悪夢の事情を話すことはなく、それが母親のカラスであることを教える必要もなかった。

山梔窩にて

千代ちゃんや子どもたちを送り届けると、助左衛門さん夫妻は涙を流して喜んだ。

花宗川沿いにある祠で見つけたとは話したが、神隠しの真相は詳しく説明しなかった。千代ちゃんに口止めはしていないので、何が起きたかをしゃべることはあるかもしれない。


山梔窩に戻ると父・真木和泉と母・睦子が心配そうに待っていた。洗蔵さんや清川さんも一緒に戻ったので、隠すこともなく洗いざらい語った。

「そうであったか。按察使局伊勢がそのようなことを・・・」

水天宮の生みの親ともいえる伊勢が絡んだ事件と知り、父上は複雑な様子でつぶやいた。

「伊勢は尼になった頃、名を千代に変えたのだ。さらった子どもが同じ名前だったというのも何かの縁かなぁ」

父上がさりげなく明かした昔話にわたしはハッとした。

もしかすると伊勢は自分と同じ名の千代ちゃんについて探っているうちに、カラスに懐かれていることを知ったのではないか。

安徳天皇を喜ばせようという気持ちが勝り、子どもをさらうことを決意したが、本心では止めて欲しかったとしたら・・・。カラスが千代ちゃんの居場所を教えることを見越して、誰かが止めに来るのではないかと期待したのではないか。

しかも、伊勢は洗蔵さんと面識があり、わたしが水天宮の娘であることも知っていた。もしかして、わたしがカラスの悪夢を見た過去まで見透かしていたとすれば、一連の出来事は伊勢の筋書き通りに運んだと考えられなくもない。

久留米に戻ったら、水天宮に拝礼して境内にある「千代松神社にもしっかり拝礼せねば」と自分に言い聞かせた。

(完)

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第一話「予感」 小棹の胸騒ぎ

第二話「出会」 侍の正体

第三話「告白」 離縁の真相

第四話「禁断」 洗蔵の独白

第五話「梁山泊」 山梔窩での密談

第六話「落武者」 謎の祠での死闘

第七話「怨霊」 按察使局伊勢とカラス

関連作品

『神官と秀才、幕末の京に散る ~真木和泉、久坂玄瑞の絆~』

※画像は『フォトAC神秘的な海底・慶良間ブルー/慶良間諸島(沖縄)(作者:osakamark)」』、『イラストAC「入口/出口(作者:遠矢CS6)」』より

※主要参考文献
『真木和泉守遺文』(大正2年5月:真木保臣先生顕彰会/代表者 有馬秀雄)
『人物叢書新装版 真木和泉』(昭和48年1月:著者 山口宗之)
『月形洗蔵―薩長連合その先駆者の生涯』(令和3年2月:著者 力武豊隆)
全国草本宮・水天宮「御祭神・由来」
遠江國一宮 小國神社「大祓」
マンガ・九州の偉人・文化ものがたり「水天宮の創始者 按察使局伊勢」
宗像大社「三女神」


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