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神官と秀才、幕末の京に散る ~真木和泉、久坂玄瑞の絆~ 第1話 神官と美人妻

第1話 神官、風雲を前に美人妻と長崎・小浜温泉を旅する


「力士が芸妓を連れとるらしかばい」

江戸幕末期・天保9年(1938年)9月頃、九州・長崎藩(長崎県)に噂が流れた。

久留米藩(福岡県久留米市)の広大な平野を流れる筑後川を見守る久留米水天宮。その第22代宮司・真木和泉守保臣(やすおみ)と妻・睦子が小浜温泉(長崎県雲仙市)を訪れた際に地元の人からそんな声が聞かれたからだ。

文化10年(1813年)3月7日、水天宮祠官(しかん)真木左門施臣(としおみ)に長男が誕生した。真木和泉は少年の頃から絵本楠公記を愛読したほどで、鎌倉時代末期に後醍醐天皇の倒幕の呼びかけに応じて鎌倉幕府打倒に貢献した軍事的天才と言われる武将・楠木正成に心酔してゆく。神官ながら藩士として藩政改革を意見具申する行動力があり、大きな体は甲冑が似合う。

天保2年(1831年)に19歳で睦子を嫁に迎えた。睦子は和泉より長ずること9
歳で実家は材木業や酒造業を営んでいる。和泉は後に離れて暮らすようになっても頻繁に文を書いて何かと気遣い、睦子も姉さん女房といった感はなく夫を信頼する仲睦まじい関係が想像できる。子宝に恵まれたが天保9年(1839年)3月に長男・麟太(享年5歳)と三男・彦三郎(享年2歳)が夭逝。小浜温泉をはじめ長崎を旅したのはその年の9月であった。

長崎には江戸の吉原、京の島原と並ぶ花街・丸山遊郭があり、和泉たちが小浜温泉を訪れると力士のように大きくて武骨な男が芸妓のように艶やかな女を連れているかに見えたのだろう。

長崎・南島原市には地酒・一鶴で知られる江戸時代創業の老舗酒蔵・浦川酒造がある。

真木和泉、湯上がりで浴衣姿の妻から酌されて酔い心地だ。

まじまじと睦子を見るようなこともなかなかないだけに「芸妓のようだと言われちょったが、白粉を塗らんでも透き通るような肌は雪のごたる…」と思いがつのり

「美しかぁ」とつい口に出た。

「なんですかいきなり…」

真面目でお世辞など滅多に言わない夫の言葉に生娘のように恥じらいだ睦子の耳が赤くなり、白いうなじがますます映える。

「家のことはそなたに任せきりですまん」照れ隠しもあって労いに転じた和泉。

「あなたが楠公さまの思いを継いでなさることですから、わたしも家の者たちも誇りに感じているのですよ」と睦子。さきほどの胸の高まりはおさまっていた。

和泉が登城したり奔走する日々を送るためこのように夫婦水入らずで過ごすことは少なくなり、やがて10数年後には謹慎処分を受け同じ屋根の下で暮らすことはなくなる。しかし、和泉は蟄居生活を機に倒幕へ向けて大きく動き出すのだった。

第2話 真木和泉、薩摩で西郷隆盛に会えず上京 寺田屋騒動で収容される

第3話 和泉、勝海舟に会い坂本龍馬を知る

第4話 禁門の変。そして選んだ道

第5話 久坂玄瑞の妻・文、真木和泉の妻・睦子はその後…





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