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6/22自閉症の生徒対策で片付けを始めたら


片付けができない!!

言い訳をするわけじゃないけど、(いいわけだけど・・)
里子に出していたアップライトのピアノが突然に帰ってきたころには父の看護におれていて、教室の整理どころでではありませんでした。で、とりあえずな感じでグランドピアノを隅に移動してもらい、反対側の壁にアップライトをおいてもらいました。その頃から、自閉症の生徒の態度がむっちゃわるくなって、今まで目に入らなかった引き出しが目についてものを引っ張り出したり、ほおりあげたり、で、私もついダメ出しの数が多くなっていたかもしれません。でも彼にとっては、無理もないっちゃ無理もない。何もかもが、「とりあえず」な配置で、無駄に露出が多くて、何がどこにあるのかごちゃまぜになっちゃって、私だっておちつかないんだから。
ピアノ教室、と言っても、うちは、わけのわからない民族楽器や、スケッチブックや文房具、それに本や書類がやたら多くて、これらがしかも混在してて、はみだしてます。そして、何が困るって、ドローイングのための大きな机がどこにおいても居心地わるいです。
これまでも何度か本棚とかもうごかしてはみたものの、動線が無駄に長くくねってしまうし、ちょっと動くだけで生徒にもぶつかるし、で、なかなか良い案がみつかりませんでした。

そして、ここだったらいろいろおさまるかな?と思える配置がやっと見つかったので、移動をはじめたわけです。

でも、その片付けの気持ちをプッシュしてくれたのは、かの、彼、自閉症の生徒。
おちついてくれるといいなあ。

教室は私の頭の中だ、う〜

私は、教室の他に、講座を東京でもやっていて、それの資料もわっさりあります。そして、教室のテキストなんかも手作りで、あと、会計の古い書類とか・・そうした棲み分けも時間的配置もなんだか混濁してしまってたらしいです。えらいこっちゃでした。

なるほど、これは今の自分の頭の中のまんま、だわ。

整理しながら、不要な書類も取り除きながら、やり始めると、過集中な自分。
それに、次に生徒来るまでになんとかしないといけないじゃないですか。
一気にやってしまいました。スッキリ。

ものをちゃんと分類していくと、時間的な流れもそこにできて、(つまりちゃんと古い順からならべるとか)そしたら、そうか、次にやるものがどんどん見えてきました。まるで、見えなかった行き先の霧が晴れていくような感じ。

私のライフワークになっているのは、人が音楽と出会う、っていうプロセスを一人ひとりの体験の方から音楽のほうに向かって掘り下げていくこと。そうなんだけれども、そのためには、いくつもの源流をたどる必要があるし、やっていることもいくつもの複線に別れてるし、で、ものすごくややこしい。整理をしながら、途絶えていたいくつもの筋をもう一度つなぎ直して修正していってるような気がしました。

彼がものを投げ上げるわけ

きれいになった部屋に座って、天井を見上げてみました。なかなか良い空間になったきたと思います。教室は音が伸びるように、二階部分まで吹き抜けている。そうか、今まで気が付かなかった。

彼が何でもかんでもほおり投げるのは、この部屋の天井が高いからだ。

私は、ただいたずらしたいんだと思っていた。

あ、そうしたら、引き出しを開けるのは?

そうか、いつか風船を引き出しで見つけて膨らまして遊んだ、どこかにまた何かあると思うのね。

だったら、彼の引き出しをつくってみるというのはどうだろう。

その日使うものを入れておく。引き出しに彼の名前を書いておく。投げても良いものも入れておこう。怒らなくてよいように、投げて困るもの、壊されて困るものは、この際しばらくは部屋から出しておこう、オーディオとか。

特別学級の指導の専門だった先生がうちにレッスンに来られていて、その彼女がいっていたことには、ただ漠然と時間があると混乱するから、その日やることを先に書き出しておいてあげるほうが、本人らくだったりする、と。だったら空間的にもそうかも。彼専用引き出しはやってみる価値ありそう。

見つけた宝物

整理しているときに、いろんな記憶のカケラも発見。
どうして、今の自分のものの捉え方があるのか、模索していたころのもの。
写真はコラージュ。芸術療法のひとつ。またこれはまとめて書きたいので、写真に収めました。

久しぶりに教室の整理をしたら、頭の整理にもなって、自閉症のやんちゃ対策も思いついて、過去の貴重な資料にも触れることができて、よかった、という話でした。

今日は以上。

愛媛の片田舎でがんばってます。いつかまた、東京やどこかの街でワークショップできる日のために、とっておきます。その日が楽しみです!