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再生

大好きなピアニストが脳卒中で復帰不可能、という記事がtwitterで回ってきました。自分の演奏を「もどかしい」と。つい自分に置き換えてしまう、そのもどかしさがいつか自分にも来るかもしれない、なにか、生々しく気持ちがうごいてすこしうずくような感じがしました。あれほどのピアニストも、そうか、神様のお目こぼしで、運命から逃れるなんてことはできないのですね。

今日は少し長めの休みの1日目。朝から彼、キース・ジャレットのことを考えながら、私もいまだ完治しない肘をやりくりしながら、少し丁寧に練習をはじめました。肘を痛めてからかなりタッチを変えて負担がかからないようにしてきたら、それが結構自分好みの響きになってきてて、こういうゼロにもどりつつやってくのが楽しい、なんなら、もうその練習だけでも満足。

やりたいことは山積みなのだけれど、音楽室はリアル紙の山。この山の中に、必要なものがこんがらがって埋もれているわけです。私の脳内もこんなもん。山を一つ一つ分解していくと、これは半年前やってたこと、これは1年前、 これは2年前にめんどくさくて目につかないところにおしこんどいたやつ、というカテゴリーになっていて、その時々の出来事なども思い出します。私なりに、それをごっちゃにしなかったのは、えらかった。いやいや、この分類じゃあ、何がどこにあるかわからんはず、で。自分ができなさすぎて、できないなりに、工夫も見えて笑えます。

で、ワークショップのもの、音楽室のもの、息子の伴奏楽譜、そして自分が書いてきたものをプリントアウトしたもの、などに山分けし直して収納。

紙の山に埋もれていたオーディオが山の下から出てきました。ここにとりあえず移動させて、いつか組み立てなおそうと思ってそのままだったもので、これもスピーカーとつないで、プラグをコンセントに差し込みました。

みたら、内田光子のモーツァルトソナタのCDが突っ込んだままでした。いつからかなあ。電源を入れて、少しづつボリュームをあげてみると、立ち上がってくる世界。椅子をその正面に持ってきて、片付いた部屋の真ん中で聞きました。

棚は実は分厚い木製の縦長の机でこれを2段に重ねています。そのおかげもあるのでしょうか、もう今までの音と全然違っていて、欲を言えばそりゃきりがないのでしょうけれど、自分にちょうどよい感じの音で、身体が緩む。これなら、きけそうです。実は苦手だった、録音・再生された音。

こんなふうに音楽を聞くのは本当に久しぶりでした。明日から少しづつ、好きな音楽をきいてみよう。昔きいたので、すごく好きな演奏を少しづつ集めよう。

そう、キース・ジャレットも。あの、開放されたバッハ。生で演奏されるこはのぞめなくなったとしても、録音がのこるって、やっぱり、すごいことだし、キース・ジャレットはやっぱり、唯一無二。

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そして、私も演奏をすこしづつ 録音していってます。いつ、運命のいたずらでピアノが弾けなくなるか、あるいは、弾かなくなるか、わからない。ワークショップをやってきて、その恩恵を一番に受けているのはきっと私自身で、自分の演奏を愛おしいと思える様になってきました。何のために?キースみたいな天才じゃないのに。よくわからないけど。なんか、それはやっておきたい。


一番うえの写真は、20代のときに描いた敷物。そのへんにクシャっとなっていたので、ちゃんと敷物にしました。描いたときの色がそのままのこってて、考えてみたら、すごい。自分って、結局ずーとおなじなんやなあ、と思ったりします。なにがってうまくいえないけれど。いまやクレヨンでぐるぐる描く以外、絵を描くことなくなったな。「音楽を描く」・・時空に描くのが楽しい。

久しぶりに自分と遊んだ1日でした。

愛媛の片田舎でがんばってます。いつかまた、東京やどこかの街でワークショップできる日のために、とっておきます。その日が楽しみです!