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音楽の背中・暮らしの奥に(日記)

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大人や子供がやってきて音楽をまなぶここutena music field での出来事と、日々のふりかえり、明日への希望などを。 音と音のあいだにある音楽と西洋音楽の仕組みへの敬意…
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#ライフスタイル

子どもたちのピアノコンサートを終えて

いいコンサートができたんじゃないかなとおもう。 誰も取り残さないコンサートにしたいとおもってて・・ ちゃんと、その生徒が追っている音楽の筋がみえる、 無理のない、それでいて、「発表会」ではない「コンサート」と言えるクオリティの。 そこには芸術的価値観、というものが反映してくると思う。 というか、  ピアノ教室の発表会の根底に「芸術的価値観」をもってくるっていう そういう発想を私はあまりみたことがないが、 私はずっとそれは思っていて、 だから、発表会とは呼ばず、リトルコンサー

世界が切った梶と、日常の明日について

今日はちょっとシビアな話になるけど、いいかな。 毎日ウクライナの情報をtwitterで眺めている。 もう、やめて、と思いながら、目をそらしたくない。 目を背けることのできない人たちが現にいるのだから。 精神的には負担がかかっている、わかっている。 それでも。 実は世界はずっとこうだったんだ。 ただ、何かで覆いをかけられていただけ。 自由が私たち全てに行き渡っていたわけではないし、 そもそも自由ですらなかった。 世界は何も変わっていなくて、ただ、 かけられていたメッキの耐性

調律の工房を訪ねました。

中古のピアノを購入したい、という相談をいただいたので、 信頼している調律師さんで、中古も丁寧にメンテナンスしてくださるTさんのところへ連絡しようと手に取ったスマホでしたが、ふと、 もしかしたら、DIAPASONが眠ってはいないかと思い、 もう一人のこの調律師さんHさんのほうをコールしていました。 https://note.com/utenamuse/n/n823845b06c15 なんと、感ぴしゃり。 たぶん、営業的な販売はされていないかもとおもっていたのですが、 その

カザルス「鳥の歌」と年明けの気分

新年、というには日が経ってしまった気がしますが、まだ幕の内。 今年の目標などというものを立てるつもりはなかったけれど、どこかでやっぱり巡り巡って一年というのは時間経過を綴るのに良いスパン。 去年はとにかく、箱をつくる一年でした。 それはよく頑張った、褒めておこう。一応。 でも、何かが枯渇してる気もしていたのです。だから 今年はそこに質を入れていかなければ、という気負いみたいなものがあって、ちょっとなんかそれは重いな、と思っていました。 重いながらも、とにかく私自身学び直さ

愛されない、はデフォルト

両親に愛されていなかったわけではないけれど、 どこか遠巻きに感じていた。 ダイレクトに共感されたことも、褒められたことも、思いを抱きとめられたことも記憶にない。 息子が通った教会の幼稚園は坂の上にあって、 急勾配を上がっていくと、 歳をとっても溌剌としたおばあちゃん先生がいて、 しゃがみこんで大きく手を広げて待っていてくださって 息子の歩く先を立ちはだかるように(笑)して、抱きしめてくださる。 それを見届けて、坂を降りながら、 何度も泣いた。 私にはあれができない。と。

3人の先生+1

私が師と仰ぐ先生が4人います。 いまや、ふてぶてしいまでに強くなった自分ですが、若い頃はとにかく壊れそうでした。でも、きっと若い頃はたくさん悩みもあったことだろう先人たちの生き生きとした生き方は、何より先の見通しをイメージさせてくれます。 幼稚園のときから通っていたピアノ教室の歌の先生 ・・実はあまり楽譜のことなど習った記憶はなく、まあ、穴だらけのレッスンでしたが、とにかくマイペースで明るい方です。音楽の楽しみ方だけでなく、音楽が生きる支えとなりうるのだという一番根幹のとこ

再生

大好きなピアニストが脳卒中で復帰不可能、という記事がtwitterで回ってきました。自分の演奏を「もどかしい」と。つい自分に置き換えてしまう、そのもどかしさがいつか自分にも来るかもしれない、なにか、生々しく気持ちがうごいてすこしうずくような感じがしました。あれほどのピアニストも、そうか、神様のお目こぼしで、運命から逃れるなんてことはできないのですね。 今日は少し長めの休みの1日目。朝から彼、キース・ジャレットのことを考えながら、私もいまだ完治しない肘をやりくりしながら、少し

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9/20のutenaの庭と音楽室

刻まない時間

「経過」する庭ああ、完全に秋ですねー。 早朝に庭で古い株を抜きながら心地よい風にあたってきました。 季節はめぐるーー。 私の仕事は結構時間割で、何曜日の何時に誰がきて、きっちり何分で終了して、っていう感じです。それも30分とか40分1時間とまちまちで、一人ひとり違う人が来るわけです。わりと細切れ感があります。 だから、庭に佇んでじわっと変わっていく季節を感じることがとてもいい気がします。庭は季節を刻むのではなくて、経過していく。 それを感じたい、という思いがどこかにあるの

演奏に近い体験をひきだす

楽曲の解釈は、 その楽曲が解き放っているものを いかにこちらが、それを受け止めるボキャブラリーと器の深さを持っているか、 にかかわるものだとおもいます。 解釈とは、ぱらぱらをめくる本のようなものではなくて、体験です。 そして、解釈は演奏を後押しする、いや、演奏する必然性にまで高めていくもので、普遍的体験であり、同時に個的な体験となって初めて、その解釈が血肉になっていきます。 昨日は、本当に久しぶりの愛媛でのワークショップ。 結局、すごく大事なのは、私がそこで扱う曲を

5/16のutena/オンラインワーク準備

反撃オンラインオンライン、ありえない。きらい、疲れる。 から、反撃オンラインです。 嫌々ながらやり始めたものも、結局のめり込む過集中のじぶんであります。 考えてみたら、ホームページ作成にしても、庭にしても、やり始めるとあんた、それにそんだけエネルギー注ぎ込んでどうするの?音楽がライフワーク何ではなかったの?と、自問する暇もなく、渦中に飛び込んでしまう私です。 ちゃんとオンラインワークが成り立つようにするには相当な準備がひつようになってくる、というのは、だいたい想像がついて

分断されて見えてきたこと。

空気感は得意、でもそれだけでほんとに良かったのか?空気感で伝える、とか、気配で寄り添う、とか、そういうのがどちらかというと得意は方なのかもしれないので、オンラインというやり方の前で、もう、触覚のない虫ころみたいなものに成り果てています。 でも、途方に暮れながら、一方で、空気感に頼った今までのやり方だけで本当に良かったのだろうか、という疑問も湧いてきました。 人と人の距離を置くから、その人の能動性が動きはじめるということがあるんじゃないか。逆に言えば、今まで私は私の小器用さ

4/30のutena music field

ひたすらピアノの日今日は、オンラインレッスンもなしで、一日ピアノを弾くという贅沢な日でした。思えば、utena drawingは私自身にとっても自分の音楽を振り返るツールになっていて、ずっと育ててくれ続けているのだけれども、その自分のピアノと向きあってその成果を自分の為に生かす、確かめる、という作業は抜け落ちたままだったのでした。いつか、と思いながら。 音がどこへ向かおうとしているのか。 指先が触れる瞬間にどんな音を選択するのか。 このモティーフはどこのどの音へむかい、

変わっていく世界と暮らす

携帯電話のtwitterのアプリを消しました。 PCを開けたときだけみることにして。 大体私たちがおかれている状況がわかってきてて そうしたら、やらなければならないのは、 3蜜をさけることと、手洗い、日々の暮らし、人との向き合い方、仕事への方向づけ。 いつまでも不安に舵を取らせて置くわけにも行かない。 不安をそっと意識しながら、でも、それに方向性を委ねないように、 というか、 不安をちゃんと意識して、認めてやって、 不安が多少の悪さをするのも仕方ないと思いながら、 もう