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子どもたちのピアノコンサートを終えて

いいコンサートができたんじゃないかなとおもう。
誰も取り残さないコンサートにしたいとおもってて・・
ちゃんと、その生徒が追っている音楽の筋がみえる、
無理のない、それでいて、「発表会」ではない「コンサート」と言えるクオリティの。

そこには芸術的価値観、というものが反映してくると思う。
というか、 
ピアノ教室の発表会の根底に「芸術的価値観」をもってくるっていう
そういう発想を私はあまりみたことがないが、
私はずっとそれは思っていて、
だから、発表会とは呼ばず、リトルコンサートと呼んでる。
一人の演奏がということだけでなく、トータルで。
まだ、ここまで辿り着いた、というところまではいっていないかもしれないけど
今回この方向でいいんだという確信は持てた。

子どもの、時にミスもありながらの、演奏。
でも、音楽的につまずいている子は一人もいなかったし、
子ども時代にしか鳴らせない音を
きっと大人も気が付いてくれたと思う。


今回は密を避けるために、コンサートは二日に分けた。
それが、かえってよかった。余白はいつでも必要だな。

以前は
子どもたちと同じようにまだ学びの途中だから、
とプログラムの最後に私のソロを入れていたのだけれど、あえて
ソロとしての演奏は入れなかった。
子どもたちの音を記憶に残してほしいと思った。

保護者さんたちの理解と協力もよく見えた。
一緒にその空間を作ってもらった。
子どもたちは緊張しながらも
安心して舞台に立てたのではないかと思う。
これも私の「芸術的価値観」に溶け込んでくれた。

アンサンブルもどれもよかった。
保護者さんとお子さんのセッションもみな素晴らしかった。
生徒の気迫が追い風になっていた。

コロナの心配もあった。
今週元気な生徒の顔を見てやっと
これも書けている。

このコンサートを機に音楽室を離れる生徒もいて、
熱い演奏を残していってくれたし、
彼女らの音楽の旅はまだまだ続いていくのも見てとれて
まあ、退会のタイミングは人それぞれ。
まだ学び半ばなので、私としては卒業、とは言えないところだけど、
音楽教室だけがその子の世界ではない、そこは理解したい。

新たに生徒を増やすつもりはないから
音楽室は自然に小さくなっていくと思う。

なにか、ちょっと吹っ切れた気がする。






愛媛の片田舎でがんばってます。いつかまた、東京やどこかの街でワークショップできる日のために、とっておきます。その日が楽しみです!