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音楽の背中・暮らしの奥に(日記)

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大人や子供がやってきて音楽をまなぶここutena music field での出来事と、日々のふりかえり、明日への希望などを。 音と音のあいだにある音楽と西洋音楽の仕組みへの敬意…
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2019年8月の記事一覧

8/31音楽プロセスの体験

落書きがうごめく先きっと、音楽と動線の組み合わせって、「絵描き歌」みたいなもので、発想は単純だし、指揮者だって、空に動線を描いて、演奏者に共有を求めるわけじゃないですか、誰でも思いつきそうなもの。 「音楽を描く」というutena.m.fの方法もまあ、いわばもとは落書きです。ドゥードゥルーーってやつです。 音楽を描く、ことから始まったutena.m.fの講座類ですが、音楽を描く’ことはじめとして、マガジンで書き始めてみると、その背景にあるものがわんさとあったんだなと改めて感じ

8/27音楽を描く日々の記録

関東ローム層が羨ましい東京散歩の5日間でした。 愛媛は窒素過多なのか、とにかく植物が茂りすぎます。 さてと、8月の東京講座を終えて愛媛に帰ってきました。 少し写真もお願いして撮らせていただきました。いつも講座に夢中でわすれてしまいます。 描くと個人レッスンで使ったヘンデルの歌曲は後からちゃんとまだ的があたっていなかったと思い、ホテルで延々描きなおしてみたり。 音楽リテラシー講座は、「音楽を描く」講座の補助としてはじまったのが2年くらい前でした。実際ここまで効果があると

全体性へのイメージが自分を運んでくれる

ごく基本的な音楽のしくみを体験する昨日書いた、「トリセツ・カラダ」という本に共感したのは、全体性をおぼろげながら理解していくことが、いつか役に立つ、というそのとらえ方でした。 私は「音楽を描く」という音楽講座を時々開いています。この講座は音楽を動線でやりとりし、実感を深め、演奏につなげる、というものですが、最初の段階で楽しい、というのを味わった次の段階、受講者さんが自分の演奏にそれをつないでいきたい、と思ったときに、なにか、うまく具体的な進歩に繋げられない、ということも起こ

ムシカ・フマーヌス/重層的で動いてる人体は音楽に似てる

松山空港の本屋でなにげに手にとったのが海堂尊著の「トリセツ・カラダ」でした。知っているようで案外知らないカラダのことを、ざっくりと一冊にまとめた、という本でした。 飛行機はいつもは海に向かって飛び立つのですが、今日は陸の上空へと飛び立って、雨上がりの曇り空の田んぼの緑の鮮やかだったこと。 さて、続き本の続き。 ”これ一冊でカラダのすべてが ざっくりわかる! 細かいところは、ひょっとしたら少しいい加減だけど、 でも大体は正しい。” この本の書き出しの文章の一部です。

8/22 繰り返し忘れることの恩恵

コンサートのあとの生徒の楽譜読めなさ生徒たちのコンサートは大成功でした。 それは生徒たちの反応を見ても、保護者さんの様子を見ても、手応えをすごく感じます。コンサートのあとも曲を練習し続けて、連弾の他のパートまでやっちゃってる子とか、緩急思いのままになったぜ、と報告してくる子とか。 ただ、皆さんの喜びの裏で、すでに私は知っていました。 一曲集中で練習してきた彼らが、文盲になっていることを。 音楽は楽譜ってもんがあって、これも学ばなきゃならないってことがすっかり彼らのあたまに

2019.8/20音楽を描く日々の記録/原点回帰

どっちに向いてスタートダッシュするのある程度自分の得手不得手がわかってきたら、原点回帰です。 というか、すぐ、原点回帰したがる講座。 講座を継続受講しているうち、できる気になっていたものが実は薄い層でしかとらえていなかった、というようなことを受講者さん本人が気づいてきたりする場合や、あるいは私がずっとみていて、ここを突破したら、次の景色が見えてくるのになあ、と感じ始める場合、それ以上難しい曲に取り組んでも上滑りするだけになっていくので、うちの講座ではもう、とことんシンプルな

8/14 台風の名前

今午後8時26分。3時ごろから雨は降ったりやんだりしていて、時々は晴れ間も覗いたりしていたのですが、ここ、愛媛県松山市近くでは、1時間ほど前から本格的に雨風がきつくなってきました。 台風の名前昨日の実家からみた夕空の写真。台風が近い空は気配が濃い。 実家は河岸段丘の丘の上のすこし奥のほうにあります。 実家の目の前の崖になっているところに、こんもりとした木々の群れがあって、そこには昔祠があったそう。 父の話では、その祠は「石神さま」と呼ばれていたと。 そこの地層は実際川か

ホームページのかけら

改修工事中のHPからあぶれてきたことば やっと、HPの改修にとりかかったところ。 ことばは的確に、少なめに、と考えると、以前の自分の文章はなんともまだるこしいと感じます。 また、「わかった側」からものを言ってるような文章にならざるを得なくて、内容は間違ってはいないんだけれども、読み手との関係性を築きあぐねてるおもはゆさもこの文章から感じるのだけれど。 そんなHP改修工事であぶれてきたことばを、少し読み直して整理してもってきてみることにしました。 内容は、自分のやっている音楽

相手の体験を横取りしてしまってたこと

生徒たちのコンサートがいよいよ週末に近づいてきた今日、 どうしてもつっかえてしまう生徒がいて、 聞きながら、ハラハラしている私がおりました。 その生徒の演奏を聞きながらさながら自分が演奏するかのような気持ちになって、 左手は次こうで、 みぎは、ああ・・・、 そこいっつもつっかえるところだから、 早めに気がついて、気をつけて。(はらはら) みたいな聞き方をしてて、はっとわれにかえりました。 私が心のなかでレッスンしてるこの状態って、 今の生徒になんの役に立ってる?って。