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相手の体験を横取りしてしまってたこと

生徒たちのコンサートがいよいよ週末に近づいてきた今日、
どうしてもつっかえてしまう生徒がいて、
聞きながら、ハラハラしている私がおりました。

その生徒の演奏を聞きながらさながら自分が演奏するかのような気持ちになって、

左手は次こうで、
みぎは、ああ・・・、
そこいっつもつっかえるところだから、
早めに気がついて、気をつけて。(はらはら)

みたいな聞き方をしてて、はっとわれにかえりました。

私が心のなかでレッスンしてるこの状態って、
今の生徒になんの役に立ってる?って。

オーラとか気とか、在るのかないのかわかりませんが、私のこの心配性は
私自身を無駄に空回りさせてくたびれさせるだけじゃなくって、
生徒の体験を奪ってしまってることなんじゃないか、って。

ここまで、彼は頑張ってきた。
私が今してあげるべきことは、
彼の体験をすべて彼のものにして私はよい聞き手になることなんじゃないか。


体験を共有しながら委ねる、ってこと。

そういえば、もう一つ私の癖で、
伴奏や連弾の時相手が乗りやすいように少し早めにアクションを起こして
流れを誘導するときがあります。少しテンポのブレーキを掛けてみたり。
先で躓かないためやきき映えをよくするちょっとしたコツのつもり。

ただ、今はそれはもうやめようと思っていて、
相手のアクションやテンポ感にこちらが気持ちよく乗っていくように、と考えて演奏するようになっています。

そうすると、自分が思っていたのと全然違うラインが見えてきたりして、私色に染めていたその曲が別の生命を持ち始める。

さて、今日のその生徒。
今日のレッスンの最後には自力でミスもなく、
まるで哲学的な深さのある彼らしい演奏になり、
途中で私の老婆心を取りやめてよかったなあと思いました。

写真は数日前の大人の生徒さん。
自分を感じるレッスンを、と望んでこられている。
私はできてるのかな。

まだまだ引っ張ってしまうときもある。
精進精進。




愛媛の片田舎でがんばってます。いつかまた、東京やどこかの街でワークショップできる日のために、とっておきます。その日が楽しみです!