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メンヘラという言葉の響き

こんにちは、Aさんです。
ものすごく納期の短い、無茶振りとも言える仕事を昨日なんとか終わらせました。達成感でいっぱいです。
こうやって成功体験を積み重ねていくことが、仕事への自信とモチベーションに繋がっていくのでしょうか。
昨日の22時頃まで、間に合うか?!間に合わないのでは?!という緊張感でパニック発作寸前でしたので、どちらかというと自信の喪失に繋がりました。誰が悪いでもなく、Aさんのメンタルの弱さ故です!

メンタルの弱さという切り口で、Aさんについて話していきたいのですが、Aさんは初対面の方、あるいは関係値が薄い方に「メンタル強っ!」とか「心が安定してるね」と言われることが多々あります。しかし、大いなる勘違いです。
専門学校に通っていた時、Aさんはクラスメイトの女の子に相談されたことがあります。
「Aさんはいつもニコニコして、おはよー!ってみんなに笑顔で接してるけど、気持ちが落ちることないの?不機嫌になることとか。どうやったら心が安定するのかなって……」と。
Aさん、びっくり。え?どこがだろう?確かによく喋るし笑い声がでかい。当時はかなりアクティブ、というか課題に追われつつ、学費と生活費を稼ぐためにバイトに勤しんでいたので、今ほど不安定になる暇がなかった。うーん……と、考えた末、はたと思いつく。
「あ、私、元気な時以外は外に出ないから、元気な時しか見れないの当たり前かも!笑顔とか無理な時は学校休んでる!」
クラスメイトの女の子、ものすごく納得してくれたが、参考にはならないようだった。
そもそも初対面の方にヤバいと思われないように振る舞って、なんとか生き抜いているので、心が安定して見えるというのは良いことなのかもしれませんが。


さて、Aさんは今まで「さすがメンヘラだな〜」「なにー?メンヘラなのー?」などと聞かれる場面がしばしばありました。過去のかるーい話を何気なくすると、場の雰囲気もあり、みんなAさんの病状がそこまで大層なこととは思わずに盛り上がりのネタにするわけです。Aさんは自分のメンヘラエピソードで場が盛り上がるならば、そりゃあもうそんな嬉しいことはございません。はい!ネタなら沢山あるよ〜!と、ノリノリになります。
しかし、一つだけ言いたいのです。Aさんはメンヘラというより、精神病患者なのです。もちろんその二つの言葉がほぼ同義なのは理解しております。でも、一般的に「メンヘラ」を面白おかしくいじれても、「精神病患者」を話の中心に置いて笑いを起こそうという流れは、現実でもSNS上でもあまり見たことがありません。Aさんはですね、常々この「メンヘラ」という響きが持つ、なんとも言い難い軽さに嫌気がさしているのです。弄るなら、メンヘラなどという表現を使うな!!正々堂々と勝負しろよ!!と、強く思うのです!
ですので、Aさんは自分のことを他者から「メンヘラ」と言われた際には必ずこう返します。
「メンヘラ……じゃないよ?精神病患者だよ〜っ!」と。
調子の乗っている時は、ホアキンフェニックス版ジョーカーの笑い声の真似も足します。

するとどうでしょう。場が凍りつきます。さっきまで「やばー!メンヘラまじやばー!」などというヤジが飛んでいたのに、みんな「あっ、なんか……あれ……?」という雰囲気になるのです。Aさんはそれでもまだ足りないので、指を3本立てて、「精神科の閉鎖病棟に三回入院したことあるよ〜ん!」と更に茶目っ気を出します。もうみんなお通夜のような空気になります。
おいおい、みんなどうしたんだい?「メンヘラ」はいじれても、「精神病患者」はいじれないってのかい?そりゃあおかしな話じゃあないのかい?「メンヘラ」ならある程度辛辣な言葉を投げかけても笑いになるとでも思ってるのかい?Aさんは自分が本当に傷つくことはネタにしないので、「精神病患者」として話せる範囲の逸話をネタにしてみんなが笑ってくれるのは歓迎だぞ?しかし、みんな「精神病患者」のことは笑ってくれないのねえ!おかしなことだわ!!

Aさんが考えるに、相手から言われて傷つく前に自分のことを「メンヘラ」と称して、相手からそのように扱われることに慣れようとしている人たちが、世の中に溢れているのではないでしょうか。
その方達が自身を「メンヘラ」と表現せずにはいられない苦しみ。それを揶揄したり笑いの的にすることの危うさよ。

だからね、Aさんは自ら戦線に立って「おーう、私は精神病患者だ!!笑いのネタがあるから弄りなさいよ!」と、ジャンヌダルクよろしく剣を振りかざすことにしたのです。みんなこんなnote読んで、怖いわ、触れないでおこう、そっとしておこう、と思うかもしれません。しかしね、こちとら面白さを頒布する為に夜な夜な文章したためとるんじゃ!(現在夜中の1時49分)笑ってもらえない、ネタにしてもらえないと困るわけ!
Aさんのことを笑えない、ネタにできないのなら、世の中に溢れる「メンヘラ」たちにも触れるなよ?!と、なんか使命感に燃えている真夜中です。
あ、Aさんのことはもう存分にイジっていただいてどうぞー!そのためにこんなポップな記事サムネイルをわざわざ毎回イラレで作ってるんだから!

もちろん、他の方々に「精神病患者」という自己紹介をしろと強要している訳でも、望んでいる訳でもありません。「メンヘラ」という言葉が自分を表すのにしっくり来る、理解してもらいやすい、受け入れてもらえる。そうなのであれば、その言葉を自分に使うのは当然です。しかし、当事者ではない、第三者がその言葉を蔑ろにする権利などないのでは、と思うのです。もちろん、両者の関係性によりますので、「メンヘラ」という言葉が共通認識として理解しやすいのであれば口を挟むことではないのですが。

「あいつめっちゃメンヘラでまじ面倒だわ」と影口を言う人はいても、「あいつすごい精神病患者だからまじ面倒だわ」という人を、少なくともAさんは見たことありません。なぜ?メンヘラという言葉の響きの軽さを隠れ蓑にして、自分の発言の責任を放棄するのはやめなさいよ。
そして、診断もされていないのに、自身のことを「自分ってメンヘラだからさ〜」と軽々しく使い、自分の行いをメンヘラという言葉の響きの軽さに押し付けるのもやめなさいよ。
いや、まあ陰口とか、仲間内とかなら別にいいんですけどね。SNSとか公共の場所とか誰もが見られる場所でそのような振る舞いをするのはやめたほうがいいんじゃないでしょうかね。


言葉の響き、というところで言うと、Aさんも言葉の扱い方に反省すべき点があります。

ここからちょっとエグい描写あります!!注意!!


Aさんは2019年の8月半ば、自殺を企てました。湯船にお湯を張り、そこに浸かりながら左腕を縦に8cmほど切ったことがあります。傷は脂肪層を傷つけるまでに達し、浴槽が真っ赤に染まりました。あとちょっと遅かったら死んでいたそうです。10針ほど縫い、神経がどっかやられたらしく握力が落ちました。
左腕にためらい傷が無数に。それから縦に裂いた傷跡が結構生々しく残っています。
なんかわからないですが時々すごい痒くなるのが主な弊害で、特に困ったことはありません。隠しもしません。傷跡を見るたびに「やっべ、当時の自分、気合入ってたわ〜!脳みそ振り切れてたわ〜!」となんか興奮します。
隠しはしないけど、別に人に積極的に話すことでもないので、聞かれない限り言わないです。聞かれたことないけど。普通の人は気付いても聞くのは憚られることですよね。

夫と付き合いたての時、本当に傷跡が恥ずかしくて醜く感じて、レーザーで消すことも真剣に考えました。上記のような吹っ切れた気持ちになれたのは本当に最近のことです。
「死にぞこなった上に、こんな汚い傷跡も残してしまった」と落ち込むAさんに、夫が「俺も転んだ時の膝の傷跡が気になってるんだよね」と。

Aさんは話の流れ的に「今生きていて良かったじゃないか、そんな傷跡、ボクは気にしないさ!」とか言ってくれるのを期待していました。Aさんは夫に多くを求めるタイプなので、自分が望んだ答えが返ってこない時、「そういう時はこう言うべきでしょ?!」と要求します。すると、夫、「うわ〜そっちの答えか〜!Aさんのときメモ(ときめきメモリアル)難しいわ〜、攻略できないわ〜」と高度な笑いで返してくれます。すごい。尊敬の念でいっぱいだわ。

話が逸れてしまいました。
確かに、夫の膝の傷跡はとても大きいものでした。しかし、日焼けしているのと、男性なので毛がある故、そこまで目立つかといえばそうでもない。そもそも傷跡の性質が違うじゃないか、と。
「えっ!夫くん、男の子じゃない!膝の傷とか気になる?!」と咄嗟に言ってしまいました。夫は割と真面目なトーンで「酷い、俺だって気になるよ」と。
Aさん、ここでハッとします。男とか女とか、傷跡がどうやってできたとか関係ないことではないか……。
「女」であり「自殺未遂」でできた傷跡だったら、「男」である夫の「怪我」の傷跡よりも配慮してもらうべきことなのか?いいや、違う。そんな考えを持つのは傲慢だし、相手への思いやりが欠落している。
もっと言うと、「自殺未遂」という自業自得の末にできた傷跡よりも、予期せぬ「事故」でできた傷跡のほうが予想していなかった分、ショックも大きいかもしれない。
Aさんは自分の傷跡に「自殺未遂」という言葉を付与することで、夫の傷跡を軽んじたのだ。なんて恥ずべき行為なのだろうか。

上記でメンヘラ云々と偉そうな持論を並べ立てたが、Aさんは「精神障害者」という言葉を盾に、人を攻撃する自分の一面についてしばしば考えさせられることがある。

言葉というのは時に鋭利な形になる。癒すように包んでくれる効果もあるが、使っている本人も知らず知らずのうちに、歪でトゲついた、相手だけでなく自分をも傷つけてしまう形に変化してしまうものなのだ。
どんなに親密な関係を築いていても、ふとしたきっかけで、相手を致命傷に至らせる形になる可能性を孕んでいる。
言葉というのは生きているもので、日々変化していくものだ。人の口から出たもの、このようにコンピュータ端末を通したもの、直接人の手で書かれたもの。同じ言葉であろうが、書き手あるいは語り手の温度によって、予期せぬ武器になるものだ。
Aさんは触れるならばなるべく優しくて暖かい言葉が良い。人に対して自分が発する言葉も同様だ。
もちろん、厳しく自分を律するような言葉を欲する時もある。自分が発する言葉もまた然りだ。しかし、武器にはしたくない。自分がそのような使い方しかできなくなった時は、いっそ口を閉ざしてしまいたいと強く思う。
このような事を書いているが、Aさんは完璧な人間ではない。むしろどちらかというと、ダメな人間の見本だ。「武器」として言葉を安易に使ってしまうこともある。

この記事を書きながら、今一度、この世の中に溢れるあらゆる言葉について、Aさんなりに考えていきたい。そう強く思った。
なんて真面目な事を書きながら、先程もまた夫に辛辣で意地悪な言葉を発し、「あ〜、Aさんったら意地悪だねえ〜、やだ、怖いわ〜」といなされるのであった。愛ゆえに、意地悪な言葉を発し相手に甘えさせてもらうという一例を、最後にご紹介しました。

それでは、次回の記事でまたお会いしましょう!


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