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天才のはなし

天才とは
生まれつき備わっている優れた才能。またそれをもっている人
を指す言葉らしい。

今日旦那と娘と外を散歩した。
今は保育園からもスーパーなどには連れて行かないようにとお便りが来ているので、
出かけるのはもっぱら近所の大きな運動公園だ。娘と一緒でも徒歩3分くらいで着くありがたい立地。
娘はお気に入りの長靴を引っ張り出して、
半ば小躍りしながら外に飛び出した。

途中大きな水たまりを見つけると、
すぐさまジャンプしたり、
水に触ったり、
水を蹴飛ばしたり、
水面に映る自分を発見したりして、
しばらくの間楽しんでいた。

それを見て、
中学時代の先生の言葉を思い出した。

世の中に楽しいことなんてひとつもない。
あるのは、楽しもうとする心だけ。

すごい。
まさに娘はその言葉を体現してるじゃないか。
今更のように気付いて少し感動してしまった。
そして思った。
娘に限らず子どもってみんな天才じゃないか。
物事を楽しむ天才
新たな遊びを見つける天才

いつからみんな天才じゃなくなるんだろう?
それってやっぱり周りの大人や友達や
環境のせいなんだろうな。

子どもが楽しいと思って全力で遊んでいても、
子どもの方を見向きもせずに
スマホをいじりながらあくびをしている親。
もしくは適当に相槌を打ち、何が楽しいんだかなーと思っていたりする。
新しい遊びを発見しても、
汚れるから!それはだめ!と制止される。
私も結構やってしまう。

自分が世界の中心にいると思っていたら、
いつの間にか友達からどう思われるかの方が大切になっていく。

特に日本という国は、
みんなと同じで目立たない方がいい
出る杭は打たれる
そんな風潮がとても強い。

もしかしたら
そういう環境の中で潰されてしまった天才がたくさんいるかもしれない。
それとも本当の天才は周りの目なんて気にしない強さがないとなり得ないものなのだろうか。

私は自分が人の目を異様に気にしてしまう性格なので、娘は私にになければいいなと思っている。
逆に旦那は、自分が好きな人以外にはどう思われても別に気にならないというタイプだ。だからといって人に迷惑をかけるタイプではないので、私から言わせると、おおらかで要領のいい世渡り上手な羨ましいタイプである。
娘にはぜひ旦那に似てほしいと思っている。

でも、どう生きるかは娘次第なので、
私が自分ができていないことを娘に押し付けるのもだめだと思っている。

子どもはきっと生まれた時はみんな天才なのだろう。人は誰でも才能をもっているらしいが、死ぬまでに自分の本当の才能に気づける人はほんの一握りらしい。
もしかしたら今さまざまな分野で天才と呼ばれている人たちは、自分の才能に気付く天才でもあったのかもしれない。

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