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『花束みたいな恋をした』とサブカルワナビー。

サブカルワナビー。

サブカルが好きな自分が好き。人よりサブカルを知っているという理由でマウントを取りたいという承認欲求。そう聞くと卑しいもののように聞こえるけれど、結局みんなサブカルワナビーだと思う。かくいう僕も若干サブカルかぶれを自認しているので、ちょっとグサグサくるというか、イタかった頃の自分を思い出すようで見ていられないシーンもあった。

3月になってシワひとつないスーツを着た大学生を街なかで見かけるようになった。今年もこの季節がやってきたなと思う。今ではリモート面接がすっかり主流になっているけれど、自宅にネット環境の無い学生も多いと聞く。いつの時代も就活は大変だと思うけれど、自分から情報を取りに行かなければ取り残されかねない去年今年の就活生はいつにも増して大変だろう。

朝井リョウは『何者』のなかでそんな就活生の苦悩や葛藤を描いた。奇しくも菅田将暉と有村架純が恋人役として出演していた同作には「互いに格好つけたまま一緒に暮らし始めてしまった」カップルが登場する。岡田将生演じる隆良と二階堂ふみ演じる理香は、お互いにカッコ悪い部分を見せることができない形式的カップル、として描かれていた。

麦と絹もまた、このカップルの一部を踏襲しているかのように感じた。絹が「ほぼうちの本棚じゃん」と表現した麦の本棚にも『何者』が並んでいたが、隆良と理香が学生時代の経歴や人脈でマウントをとっているとすれば、麦と絹はサブカルを人より知っていることでマウントをとっている。

麦と絹はサブカルを通じて不思議なほどに共通点を見つけていく。穂村弘が好きなこと、喫茶店の押井守に気づいたこと、同じ白のジャックパーセルを履いていること。共通点が多ければ多いほどその会話が盛り上がり、互いの親密度が増していくのは通常のことだと思う。友達と同じ趣味を共有できたら楽しいし、好きな人が自分の好きなものに興味を持ってくれたら嬉しい。逆に自分も、相手がいいなと思っているものを共有したいという気持ちにもなる。けれど、この2人は本当に"同じものが好き"だったのだろうか。彼らが本当に好きなことはついに共有されなかったのではと思うのだ。

彼らはメジャーなもの(この表現はすごく悩むところではあるのだけど)を好きでいることを嫌っているように見える。『ショーシャンクの空に』が良かったと語るサラリーマンを見下し、ONE OK ROCKを聞かないのかと絹の父に問われた際は「聞けます」と答える。2人が出会った2015年といえば、ピースの又吉直樹が『火花』で芥川賞を受賞したことが出版業界のビッグニュースだったけれど、2人の会話には微塵もその話題が登場しなかった。カラオケでもGReeeeNの『キセキ』やSEKAI NO OWARIの『RPG』ではなく、きのこ帝国の『クロノスタシス』やフレンズの『NIGHT TOWN』を好む。

かといってサブカルに精通しているのかというとそうでもない。問題なのはそこだ。例えば麦と絹は天竺鼠の単独ライブをすっぽかしてしまったわけだが、彼らはこのライブをワンマンライブと表現する。(絹が天竺鼠を"テンジュクネズミ"と呼んでいたのはこの際目を瞑ろう)芸人のお笑いライブに「ワンマンライブ」という呼称がつくのは違和感があるなと思って検索してみたが、やはりルミネ「単独ライブ」ジャンピングボレーライブという名称であった。

僕はイギリスのトッテナムというサッカーチームを応援している。今でこそリーグのTOP4を争うチームへと成長し、アジアNo. 1スターの呼び声高い韓国代表ソンフンミンがサポーターの増加に一役買ったけれど、僕が試合を初めて観た2009年は8位に低迷していたようなチームだ。そして当時はそれが「低迷」ではなかった。僕がこのチームを応援し始めたのはユニフォームがカッコよかったことと、クラウチという身長2mのぶっ壊れフォワードがいたことが理由、ということになっているが、一方で『花恋』のふたりと同じような「メジャーに対する抵抗」はあったと思う。バルセロナでもレアルマドリードでもマンチェスターユナイテッドでもない、知る人ぞ知るクラブを応援したかった。メジャーなチームを新しく応援して、にわかと言われるのが嫌だったのかもしれない。ベイルを知っている自分かっこいい、とイタイことを思っていたのかもしれない。ベイルがレアルマドリードに移籍し、そこそこ有名なサッカー選手になってくれて助かった。

そんな背景があるので、麦と絹のスタンスを批判する資格はないし、そんな気もさらさらない。むしろ自分も含めて、イタかった頃の自分も投影しながら観るのが正解なんじゃないかと思ったりもする。けれどもやっぱり、二人は本当に好きだったものを共有できなかったと思う。麦はガスタンク長編映画の中で一番好きな「朝焼けとガスタンク」のシーンを共有できなかった。自分の大切な先輩の死を悼む気持ちを疎かにされた。絹も好きなラーメンめぐりを麦と共有できなかった。(人気を博していたラーメンブログをぱたっとやめるとは思えないし、上司の加持と食べに行ったラーメンも、麦とは食べに行った様子がない)大方、さわやかもオダギリジョーと一緒に行ったのだろうなと思ったりする。年月の中で共通点を見つけていけるような「同じであることが加点になる関係」ではなく、「自分と違うことが減点になってしまう」ような関係の中で、1番好きなものを共有できないことは相当なボトルネックになってしまうと思った。「一緒にいて楽しい人ではなく、離れていて寂しいと思う人を選びなさい」

映画を見終わってしばらくしてから、会社の同僚に聞かれた質問がある。「この映画はハッピーエンドだったと思う?バッドエンドだと思う?」難しくて答えられなかった。ふたりが別れたところまではハッピーエンドだ。減点方式の恋愛だから、恋とか愛ではなくて情で一緒にいるような関係になってしまう。けれどもその後予期される結末はバッドエンドだ。冒頭のイヤホンの件を見ても、二人はサブカルマウントから脱却できておらず、今の恋人もそこには興味を示していないようだ。そんななか麦はかつての「人生最大の夢のような日々」を更新してしまう。同級生の卯内さんにその喜びをぶつけたように、ストリートビューに映る写真を見た彼は絹に電話をかけるだろう。今度は二人の恋愛が、加点方式で始まることが唯一の望みだ。

<その他、文章にはできなかった小ネタ>

・イヤホンという小道具
 付き合う瞬間のコード式イヤホン、お互いのクリスマスプレゼントはワイヤレスイヤホン。二人を結ぶアイテムだったイヤホンは、仕事中の麦とゼルダ中の絹を隔絶するアイテムにもなる。

・社会はお風呂
 社会に出ることはお風呂と同じで出てしまえば心地よいものだという絹の母。お酒を飲んでそんなお風呂で溺れてしまった麦の先輩。

・猫の名前
 猫に名前をつけるのは最も尊いことの一つ。
 猫に名前をつけるのは、とても難しいことなのです(ミュージカルCats)
 名前はバロン。耳をすませばかな、猫の恩返しかな。

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