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昆虫園女子的インプロヴィゼーション 【エッセイ】
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E谷は、私が住む海辺の街の北に位置する小さな谷である。小さいとは言え奥が深く、山腹もなかなかに急峻だ。谷の東側の斜面には、内陸の市町村に向かって北上する急カーブの道がくねくねと続き、車の転落は稀としても、昔から事故の多い道路として知られている。
かつて、このE谷の入り口に小さな昆虫園があった。友人のKと一緒にこの昆虫園に行ったのは三十年以上前のことだ。今となっては記憶も朧げだが、かなり古びた木造平屋の建物だったと記憶している。私の街に遊びに来たKに、こんな所にひなびた昆虫園なんてものがあるんだぜ、と見せてやりたかった。Kはこういう雰囲気を好む性質なのだ。
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Kを知ったのは、かつて私が広島市で働いていた頃、舞踏家の田中泯の公演を観に行ったことがきっかけだった。前座を地元の若い舞踏集団が務めていた。彼らの舞踏のバックでギターを弾いていたのがKだったのだ。
ミシェル・フーコーが東洋で最も美しい肉体と評し、〈ハイパーダンス〉と当時呼ばれていた田中泯の舞踏は、決まった振り付けなど無い、自由な〈肉体の即興〉とでも呼ぶべきものだった。前座の舞踏集団の踊りも同様だった。そしてKのギターも、メロディーも無く、和音も無く、決まったリズムも無いような演奏だった。チューニングもどうでもよさそうだ。つまり音楽ではない? それは音を素材とした表現行為であり、自由な即興、フリー・インプロヴィゼーションなのだった。
当時は私もギターを弾いていた。Kの演奏に何かを感じた私は、後日、ある工場の寮にKを訪ね、即興演奏活動に参加したい旨を伝えた。Kとはそれ以来の付き合いなのだ。
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日曜日だったが、昆虫園には私とKの他に見物客はいなかった。カブトムシやカミキリムシやクワガタや、蝶やバッタの飼育箱を覗いて歩きながら、Kとどんなことを話したのだろう。思い出すのは自然採光の室内が薄暗かったこと。ひんやりした空気。そしてKとの即興演奏活動のことだ。
Kの紹介で、私はいろんな楽器を操る即興演奏家達と知り合い、土日を利用しては演奏に加わった。サックスやトランペットなどの管楽器、バイオリンやギターやウッドベース、民族楽器も加えたパーカッションなど。広島市を始め、松山や津和野や博多や倉敷でのワークショップや、京都大学の即興演奏フェスティバルにも参加した。
我々は何をやりたかったのだろう。ウマイ/ヘタや、ヨイ/ワルイの区別が無い世界。プロとアマ、クロウトとシロウトの区別の無い世界。ノイズと楽音の区別や、演奏者と聴衆の区別の無化。西洋音楽の解体。音楽という制度の解体‥‥多分に観念的ではあったが、音の微細なテクスチュア、その肌合いに触れる体験は、それまでにない刺激的な快楽をもたらしてくれた。
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部屋の入り口近くで声がした。いつの間にか私服の女の子が二人、小声でお喋りしながら昆虫の飼育箱を覗いている。年の頃は小学校の高学年といったところか。Kも彼女達に気付いたようだが、特に関心は無さそうだ。
フリー・インプロヴィゼーションには始まりが無く、終わりも無い。何処かで耳には聴こえない音が鳴り続けている。演奏家はその音を、ひと時の間この時空間に顕在化させるだけだ。これはたぶんインド音楽からの影響だった。
昆虫をだいたい見終わると、私とKは建物の裏手の広場に出た。そこには小さな池があり、金魚や鯉が泳いでいた。他の一角にはウサギ小屋があり、その向かいに水飲み場があった。
当たり前のことだが、現実には楽器等の鳴らし始めはある。だが「せーのっ」で始めるのではなく、いつの間にか、気が付いたら音が鳴っているという感じでやりたい。〈自然発生的〉が我々のコンセプトの一つだ。そして音は自然に「空気の中に消えてゆき、二度と取り戻すことはできない」(エリック・ドルフィー)。
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女の子達も昆虫を見終わったようだ。広場に出て来て池の鯉やウサギ小屋を覗いている。可愛らしい笑い声。時々、私とKの方をチラリ、チラリと見ては何やら話している。
私とKは水飲み場の傍にいた。広場の尽きる所からE谷の奥深くへ入って行く山道が始まり、道沿いに材木を組んだアスレチック遊具が幾つも並んでいる。あれで遊ぶ気は無いし、そろそろ帰ろうか‥‥。
その時、女の子の一人がこちらに歩いて来ると、人なつっこい笑顔で話しかけて来た。
「ねえ、一緒に行こう。」
予想外の展開に私は戸惑った。子供なんて苦手だ。それも女の子なんて。何を話せばいいのか。取り扱い不明物件だ。
だがKはそうでもなかった。
「そうやね。行こうか。」
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鬱蒼とした樹々の茂る山道を、彼女達だけで歩くのが怖かったのかも知れない。四人で山道に入って行くと、女の子達が早速アスレチック遊具に飛び乗った。
Kがその後に続き、私も続いた。Kが前を行く女の子の背中を「ほれほれっ」とふざけながら指でつつく。二人はキャッキャと笑いながら遊具を伝って逃げる。またつつく。キャッキャと逃げ惑う。スポンティニアスで即興的な鬼ごっこが始まった。
鬼ごっこは自然に消滅したり、また始まったりした。
そんなこんなで、アスレチック遊具の全てを踏破し終わった時はみんな汗だくだった。私とKは水飲み場に戻ってゴクゴク水を飲み、女の子達は持って来た水筒のジュースを飲んだ。
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昆虫園からJR駅まではかなりの道のりだったが、一緒に歩いて帰ることにした。歩きながら彼女達の名前を聞いた。六年生だということも分かった。来年は中学生か‥‥。
現在は無くなってしまったが、当時はJR駅前に大きなデパートがあった。一緒に屋上遊園地まで行き、女の子達にアイスキャンデーを奢ってやった。
アイスキャンデーを舐め終わると、女の子達が向こうの遊具を指差しながら少し遠慮がちに言った。
「‥‥あれやりたい。」
空気でパンパンに膨らんだ厚いビニール製の四角い家。〈バウンドハウス〉という遊具だ。女の子達が中に入り、料金箱に硬貨を入れてやると、轟音と共に床が波打ち始めた。
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二人の喜びようと言ったら、ちょっとびっくりするくらいだった。キャアキャア大声で叫びながら、あっちこっち飛び跳ねている。
「こっどもやなあー。」
今更のように、私とKは顔を見合わせて大笑いした。
夕方が近い。女の子達は家に帰る時間だ。
「どうもありがとうございました。」
礼儀正しいお辞儀をして、二人は線路沿いの道を西日に向かって帰って行った。
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『即興。興に即する。或いは即、興である。』
Kが書いた、ワークショップのチラシのコピー。私はデザインの担当だ。
興に即し、即、興だった昆虫園女子。そしてK。
「二人とも可愛かったね。」
「うん。じゃあ、また。」
改札口で短い言葉を交わし、私はねぐらへと向かい、Kも自分の街へ帰って行った
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*エッセイ誌『R』No.95 掲載作品を推敲・加筆。
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*関連作品
*うちの県だとこういうスペースがあります。ちょっと距離があるので実はまだ行ったことはない。一度行ってみたい。↓↓↓
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