見出し画像

屁で確かめられるもの

人間関係における最たるものとは何だろうか?

私は屁だと思う。

待って。
読むのをやめずに少しだけこの馬鹿の小僧の意見を聞いてやってください。

彼氏や彼女が出来、ある程度の年月を経て(初めからこくという意味ではない)仲を深めたときあなたはパートナーの屁を許すことができるだろうか?
少しだけ自分に問いかけてみてほしい。

許せないと思ったそこのあなた!
愛が足りないんじゃありませんかい?

人間は屁をこく。屁をこかないならば人間ではない。これはとても重要だ。
つまりどんなに可愛い(かっこいい)パートナーであっても屁をこくのだ。
もしあなたと仲を深めたパートナーが屁をこいていないと感じるならばそれはあなたのパートナーのただならぬ努力の結晶である。感謝した方が良いと思う。
そしてあなたの前で屁を我慢しているというその人はとても美しい。それはそれでれっきとした美学の持ち主だと思う。

しかし、私としては、初めに述べたように屁をこきまた許し合うという関係が人間関係の最たるものであり信頼関係の極地なのではないかと考えている。

人間が屁をこくこと自体に美しさは微塵もない。音は不快で、そして臭いまで襲ってくるという厄介な行為である。しかし、誰かの屁を許すという行為はその人への最大限の寛容さを示すものであり極限の愛なのではないかと感じる。

「あなたは生涯、〇〇の屁を許し合い笑い合うことを誓いますか?」


結婚式で牧師が新郎新婦にかける言葉はこれでも良いくらいだ。

パートナー以外であってもそうだ。
家族、友人のような深い関係をもった人で考えてみると私の周りはこき合い笑い合っている。

「こき合い笑い合う世界へ」ってSDGsになかった?

私はこの現状をとても嬉しく思っている。それは信頼と絆を感じるからだ。
つまり屁は、絆までも見出してくれる優れものなのだ。

屁を許し合える関係をできるだけ多く築くことが人間関係の充足をもたらす。

そうは思いませんか?

(プー)


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?