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「方丈記」 鴨長明

冒頭の数行は今でも諳んじていたが、全文を読んだことがなかった。

最近立て続けに読んでいる坂口恭平の本の中に鴨長明の名前が出てきた。たしか「独立国家のつくりかた」でも触れられていたと思うが、改めて読んでみようと思った。

行く川のながれは絶えずして、しかも元の水にあらず。よどみに浮かぶうたかたは、かつ消えかつ結びて久しくとどまることなし。世の中にある人とすみかと、またかくの如し。

冒頭のこの部分だけで作者の言わんとすることが伝わってしまう。これだけでもう全てを読み終えた気にさえさせてしまう。すばらしい書き出しだと思う。

その後「安元の大火」「治承の辻風」「福原遷都」「養和の飢饉」「元暦の大地震」といった災害とそれに伴った惨状を記してある。そういった不運に見舞われ且つ生きにくさに悩んで五十歳で出家して遁世する。

そして六十歳になり所謂「方丈庵」と呼ばれる余生を送る家を作ることになる。これぞまさに坂口恭平の「モバイルハウス」に通じるものである。そこでの暮らしぶりも記されてあるが実に快適そうである。

閑居の感慨として、次のように記されてある。

大かた此所に住みそめし時は、あからさまとおもひしかど、今すでに五とせを経たり。仮の庵もややふる屋となりて、軒には朽葉ふかく、土居に苔むせり。おのづから事のたよりに都を聞けば、この山にこもり居て後、やむごとなき人の、かくれ給へるもあまた聞ゆ。ましてその数ならぬたぐひ、つくしてこれを知るべからず。たびたびの炎上にほろびたる家、またいくそばくぞ。ただかりの庵のみ、のどけくしておそれなし。ほどせばしといへども、夜臥す床あり、ひる居る座あり。一身をやどすに不足なし。寄居は小さき貝をこのむ、これよく身を知るによりてなり。みさごは荒磯に居る、則ち人をおそるるが故なり。我またかくのごとし。

理想的な住まいではないか。

それ人の友たるものは富めるをたふとみ、ねんごろなるを先とす。かならずしも情あると、すぐなるとをば愛せず、ただ絲竹花月を友とせむにはしかじ。人のやつこたるものは賞罰のはなはだしきを顧み、恩の厚きを重くす。更に、はぐくみ、あはれぶといへども、やすく閑なるをばねがはず。ただ我が身を奴婢とするにはしかず。

上の引用では、世間一般はそうではないがこうあるべきという対比が面白い。

そしてこの生活様式が極上のものと感じていることがうかがえる。

大かた世をのがれ、身を捨てしより、うらみもなくおそれもなし。命は天運にまかせて、惜しまず、いとはず、身をば浮雲になずらへて、たのまず、まだしとせず。一期のたのしみは、うたたねの枕の上にきはまり、生涯の望は、をりをりの美景にのこれり。 今さびしきすまひ、ひとまの庵、みづからこれを愛す。おのづから都に出でては、乞食となれることをはづといへども、かへりてここに居る時は、他の俗塵に着することをあはれぶ。  もし人このいへることをうたがはば、魚と鳥との分野を見よ。魚は水に飽かず、魚にあらざればその心をいかでか知らむ。鳥は林をねがふ、鳥にあらざればその心をしらず。閑居の気味もまたかくの如し。住まずしてたれかさとらむ。

出家して隠遁生活を送ることは特殊なこととして捉えがちだが、出家しないまでも、このような生き方は今の我々にとって理想的な生き方のように感じられる。

既に起こりこれからも起こるであろう大きな災害と、先行きの見えぬ不安な今の世相を鑑みると、鴨長明の生きた時代とさして変わらない気がする。だからこそ今このような住居と生き方が求められる気がする。

できることならこのように余生を送りたい。

方丈記の最後は、この句で結ばれる。

月かげは入る山の端もつらかりき
              たえぬひかりをみるよしもがな



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