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兎がほざく

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ショート•エッセイ、140字以内。毎日投稿、どこまで続く?
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2023年8月の記事一覧

兎がほざく880

兎がほざく880

詩や歌を作るときにぼくが意図してできるのは蛇口を開けるか絞るか閉めるかぐらいのことです。

その程度の作為はできますが、たとえばあるスタイルを試したり主張を織り込んだりまではできません。

きっとぼくは器用なたちでないからです。

標本みたいに書ける人ではないのです。

兎がほざく879

兎がほざく879

作家は書くときに自分の一部をスピンアウトさせて人物化します。

たぶんスピンアウトさせるのが先で、ストーリーは人物が表れながら動き出すものです。

自分が抑えて隠してきた面はフィクションの中で代わりの生を与えられます。

だから作家は作品の支配者などではないのです。

兎がほざく878

兎がほざく878

「世の中ではこうだ」という時、こうだというあり方は一つ、ということを前提にしています。

一億人いてもたった一つ?

証人席に引き出されるのに発言権のない一億人。

その一つだけが美しい?

評論はその前提で成り立っています。

結論はたった一つのはずはないです。

兎がほざく877

兎がほざく877

突然太平洋が見たくなりました。

黒という言葉で何か書けないかと思ううちに黒潮を連想して太平洋に行き着いたのです。

例えば東映の映画の最初の犬吠埼の磯の景色。

激しい感情の起伏を予想させて映画の前奏にピッタリです。

ぼくは旅には出られないので動画を探してみます。

兎がほざく876

兎がほざく876

幻想の横断。

長年の思い違いを思い違いだと納得することがあります。

その時は同時に、思い違いを信じたい気持ちには理由があったとわかります。

まさに同時でどちらが先ではないような気がします。

そうしてしぼみきった幻想の風船はぼくの人生の手みやげの一つになります。

兎がほざく875

兎がほざく875

強さとは強がりを言わないことです。

自分の弱さを受け入れられるほど強くなりたい。

自分の弱さを責めているうちはまだ強さに程遠いのです。

自分の弱さに開き直る方がまだちょっと近いのです。
でもそれはまだ内心後ろめたいのです。

自分の弱さを見ないのはうんと遠いのです。

兎がほざく874

兎がほざく874

意識と無意識。

世界はみんなが意識の上で共有しています。

無意識の方はみんなが共有する共通無意識という言葉がありますが、意識の方は各自別々で、そのうえで世界を共有しています。

地上の命の数だけ分かれた意識が、一つの無意識と一つの世界とにはさまれているのでしょうか?

兎がほざく873

兎がほざく873

夕方、近所の路地の同じ場所で同じ男女の高校生が立ち話しています。

毎日ではないのですがもう半年以上続いています。

いつも五十センチぐらいの間をとって向き合っていて、それ以上は近づかないのです。

でもとても楽しそうなのです。

恋は情熱的とは限らないもののようです。

兎がほざく872

兎がほざく872

作家はフィクションを書きながら自分をフィクションにしています。

私小説の作家は私小説通りの人をいつしか演じているのだと思います。

脚本家かつ演出家かつ俳優です。

お客さんは作者の姿を想像できると本という芝居に入りやすいのです。

たとえば新進の鬼才らしい姿。

兎がほざく871

兎がほざく871

ぼくはあまり勤め先での話を書きません。

ここでは勤め先とは別のスイッチが入っているからです。

でもちょっとだけ書きます。

勤め先ではものやお金が人間の知恵より偉いことになっているみたいなのです。

ぼくはその中で自分にある限りの知恵を頼りに暮らしています。

兎がほざく870

兎がほざく870

ものごとが予想通りにはならないとすれば人間の知恵は限界があるのです。

巡り合わせとか縁とかいうものもないとは言い切れないです。

会うことになっている人とは会えて、そうでない人とは会えない。

そういうふうに決まっているのかもしれません。

兎がほざく869

兎がほざく869

目的のない一日をあえて送る。

せっかくのよい天気の休日に何も買う予定なくスーパーを歩きました。

もったいないとも思いましたが裏返せば贅沢な休みとも言えそうです。

そこで一つ衝動買いをしました。

詩を書くための税別百円のノートです。

大事なノートになりそうです。

兎がほざく868

兎がほざく868

カラオケのマイクを奪い合う光景は今の芸術の世界に通じます。

限られた展示や上演や出版の機会を求めてたくさんの表現者たちが群がります。

歌がうまいからといってマイクの機会は回ってはきません。

まさにこの世そのものです。

ぼくは実業の世界でたっぷり味わったのです。

兎がほざく867

兎がほざく867

自分の身体は自分が思うようにできそうでできないものです。

健康状態、さまざまな運動、さらには服装や髪型も。

自然の事情や社会のルールがあって、ある程度は無理を推して破れるとしても限界があります。

玉ねぎの皮を剥ぐようにしてみると残る自分とはなんでしょうか?