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兎がほざく

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ショート•エッセイ、140字以内。毎日投稿、どこまで続く?
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2023年6月の記事一覧

兎がほざく818

兎がほざく818

肉声とは時間の中にあるものです。

肉声は身体から意欲の力により表出するものです。

意欲と肉声と言葉とは一つのものを方向を変えて捉えている?

肉声は自分とはイコールではないけれど常に自分に連れ添っています。

......ぼくは肉声の秘密に招かれたようなのです。

兎がほざく817

兎がほざく817

人間の欲動には制約があります。

制約があるから欲動が存続するという仕組みです。

それが人間の生きるためのエンジンの機構です。

社会のルールもいろいろなハードルも、制約として人間の生の不可欠の一部だと思うのです。

だからこそ希望もあるのです、きっと。

兎がほざく816

兎がほざく816

人類の歴史という一つの巨人の身体に芸術家が同化する、という話を読んで考えました。

これはやはりおとぎ話です。

歴史的傑作はそうすることではじめて生まれるといいますが、これは魔法使いの囁きです。

自分自身の欲動を失った人にどうやって創造ができるのでしょう?

兎がほざく815

兎がほざく815

魂のない銅像、エンジンのない自動車。

恒常的に満足していない状態があるからこそそれが生きるエンジンになっているのだと思います。

そのために制約というブレーキがあるのです。

この機構を欠いた世界観はエンジンのない自動車、魂のない銅像のようなものだと思います。

兎がほざく814

兎がほざく814

ある学者の「身体で考える」という説を読んで、ウンウンとうなずいていたら、その身体とは超人の身体らしいことがわかり驚きました。

歴史という一人の巨大な超人らしいのです。

ふと、あのウルトラマンを考え出した人はけっこう哲学好きだったのではないかと思いました。

兎がほざく813

兎がほざく813

なんにも言わないけれども見ていてくれる人が一人でもいればうれしいです。

そういう人の存在ははっきりとはわからないです。

できるのはただそういう人がいると信じることです。

そしてわずかでも、存在の証拠がほしいです。

それでSNSをやっているのでしょう。

兎がほざく812

兎がほざく812

すぐれた作品はお客さんとの間に対話があるのです。

一方的に語っては耳に入らないのです。

独りよがりは一方的ですが迎合も一方的です。

対話があるからお客さんは他人ごとにならなくなってぐいぐい引き込まれるのです。

対話とは間があることと言い換えてもいいでしょう。

兎がほざく811

兎がほざく811

意味とは意欲の味ということでしょう。

ぼくのわたしの意欲する、その意欲の味。

漢字二文字が教えてくれました。

言葉の意味とはその言葉を語ろうとする意欲の味ということになります。

意味ないとは意欲の食指が動かないことです。

きっと意欲が身体により肉声になるのです。

兎がほざく810

兎がほざく810

身体とは自然の肉体の動きに意味の核が加わったものらしいです。

この説を読んで身体と言葉との関係のヒントを得た気がします。

身体と肉声との間において言葉が生まれている?

言葉は言葉の中にいないわたしが身体運動によって発している?

まだまだ仮説です。

兎がほざく809

兎がほざく809

時間を止めたと仮定した時の静態と、時間の中での動態とは違うものです。

剥製と生体との違いです。

しかも本当には時間は止められないのです。

正論と言われるものの多くは剥製においてのみもっともらしいのだと思います。

大事なのは静態の正論でなく動態の生き方です。

兎がほざく808

兎がほざく808

肉声には人を惹きつける力があります。
それは言葉の意味を越える力です。

一方で文字や音声の通信は肉声の代わりです。

だから書かれたものを読みたいというのは書いた人の肉声を聞きたいという気持ちがどこかにあるのでしょう。

そう思ってもらえるように書きたいものです。

兎がほざく806

兎がほざく806

人生は思い通りになりませんが苦楽は交々にあります。

逃げようとしないで、希望をもって、そして希望通りにならなくてもひどくは落胆しないで。

希望は愛から生まれる子供です。
自分の愛の力を信じて任せて......

こんなことを文字にして、今日もぼく自身を励ましています。

兎がほざく807

兎がほざく807

言葉の世界にはなんでもあるようにみえて、実は言葉しかないのです。

ぼくもあなたもあの人も言葉の世界には住んでいないのです。

星座は星々があって成り立つように、言葉はその中に住んでいない人々があって成り立つのです。

ぼくはそれを忘れるから言葉が独り言になるのです。

兎がほざく805

兎がほざく805

物流センターの集まる埋立地の道を散歩しました。

幅の広い道が定規で計画図に引かれた通り忠実にまっすぐ続きます。

羽田空港を飛び立ったばかりの飛行機が上空をかすめます。

ぼくの散歩は滑走路を離陸のために移動しているみたいです。

でもどこに飛んで行くというのでしょう?