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兎がほざく

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ショート•エッセイ、140字以内。毎日投稿、どこまで続く?
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2021年7月の記事一覧

兎がほざく🐇その145

兎がほざく🐇その145

その144で、獅子の子よ、と自分に呼びかけていましたが、兎のはずなのに妙でしたね。

今日は、できることを楽しみにやって過ごせばいい、という気持ちになりました。

生死の大きな問題から逃げない。

その通奏低音の上に詩や絵ができる。

切実な遊びとしての表現。

兎がほざく🐇その144

兎がほざく🐇その144

ぼくが日常の生活に埋もれるのは、大きな問題から逃げているからだ。

終わりをひたすら待つ消化試合のような生活が、弱い心にはラクなのだ。

生の欲求と死の誘惑という表裏一体の矛盾を忘れて。

心を打たない小綺麗な歌を器用に詠みながら。

獅子の子よ!それでいいのか?

兎がほざく🐇その143

兎がほざく🐇その143

中心と周辺。

都市のさらに都心は情報の集中する場所だった。
新聞社、出版社、放送局。

デジタル化で世の中は変わり、多くの人がネットでつながる。

中心のない星雲のように。

中心がないならば中央によるコントロールがない。

これが逆戻りのない大きな変化だと思う。

兎がほざく🐇その142

兎がほざく🐇その142

ぼくの前からその人はいなくなくなった。

いなくなったのはカミサマのお許しがあったのだ。

ぼくごときに何が言えるだろう。

でもカミサマはぼくがその人と話すことを許さなくなった。

あっけらかんとした沈黙に、もう終わりはない。

ぼくは沈黙に沈黙で答えるしかない。

兎がほざく🐇その141

兎がほざく🐇その141

小学校の低学年担任の先生はすごいなあと思います。

まだひよっこの生徒の日常生活の世話をするからです。
オシッコの後始末まで。

大学の先生は日常生活が一応できる学生を相手にするのだからそういう苦労はないでしょう。

苦労の質が違うといえばそれまでだけど。

兎がほざく🐇その140

兎がほざく🐇その140

近くの公園には保育園の子供が保育士さんの引率で遊びに来ていた。

独り座りこんで泣いている子がいて、保育士さんが同じ目線の高さにしゃがんで頷きながら聞いていた。

ぼくもこうして人の話を聞きたいものだと思った。

そしてぼくの話も聞いてもらいたくなった。

兎がほざく🐇その139

兎がほざく🐇その139

人は生まれると、母親と自分だけの世界の外に他人がいることを、母親から教えられる。

いつも都合よいとは限らない他人の存在を受け入れ、子供は世の中での存在を始める。

その時、言語をはじめ他人と共存する作法を受け入れる。

正義として命令されるのではなく。

兎がほざく🐇その138

兎がほざく🐇その138

コロナ蔓延以降、ぼくは毎日、今日が自分の最後の日になるかもと思っている。

だから、よい思い出を残したい。

ほかの人と仲良くしたい。

言いたいことは照れず言っておきたい。

作品は公開しておきたい。

そしていつものように、街を歩き、珈琲を飲みたい。

兎がほざく🐇その137

兎がほざく🐇その137

学校で、社会とは少数の者が支配するのが歴史の鉄則と教わった。

それは今思うと間違いだ。

トップの命令を執行するミドルの実務者が動かないと、トップだけでは何もできない。

そして貴族から武士が実権を奪ったのが歴史だ。

現代をそういう眼で観るとわかることがある。

兎がほざく🐇その136

兎がほざく🐇その136

ぼくは歩くのが好きだ。

独りで歩くのが好きだ。

都会のはじっこを歩くのが好きだ。

考えたり、無心になったり、何かメモしたりしながら歩くのが好きだ。

時には恋人と手をつなぐ想像をしながら歩くのが好きだ。

歩いている時だけは自由な気がするから、歩くのが好きだ。

兎がほざく🐇その135

兎がほざく🐇その135

快楽は自己破壊の戦慄と表裏一体で、愛は相手の支配と表裏一体だと思う。

白と黒が表裏一体ということは、黒を切り捨て白だけを集めるわけにはいかないのだ。

白だけを行儀よく並べた文字を閑文字という。

人における矛盾の同居、この真実の他に書くべきものはあろうか?

兎がほざく🐇その134

兎がほざく🐇その134

勤めの帰り道、仕事のことを心配しながら歩いていて、ふと何かの拍子で考えが中断することがある。

それっきり忘れられると、しめたもの。

忘れられるということは、心のコンディションがいいということ。

そして、大抵は命までとられるような心配事ではないということ。

兎がほざく🐇その133

兎がほざく🐇その133

たしか老子は自分とは空洞だと言った。

空っぽになるまでもなく空洞。

空洞は何も持つということがもとよりできない。

地位も名声も物も、あるようにみえて、何一つ自分のものではない。
いつまでも留まるとは限らないから。

空っぽを思い出して、ひとつ笑ってみようか。

兎がほざく🐇その132

兎がほざく🐇その132

子どもは持っているものがまだ少ないだけで、大人と変わらない。

むしろ嘘には大人より敏感だ。

上から目線、子どもにはわかるよ。
ぼくが子どもの時そうだった。

子どもに信じてもらえる大人になりたい。

そうすれば大人にも、そして自分にも信じられる人になれると思う。