中高一貫校を追い出された話③

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iMacとデジモンのせい(責任転嫁)で大きく大きく開いてしまったわたしと友人たちの学力差。どれほどまで開いたかというと…とりいそぎ、定期テスト順位が常に学年全体の下から5位以内に収まるようになってしまった。もっと言うならば3回中2回はブービーだった。とどのつまり、最下位には一度もならなかったぞ、と胸を張って言えるくらいには馬鹿だった。

定期テスト順位は1位から最下位まですべて壁に貼られる仕組みだったため、わたしの知能レベルの低さは周知された。そしてまた、自分以外の下位ランカーの名前もわかるため、下位ランカー同士で仲間意識が芽生え、慣れあうようになるという悪循環が生まれた。

努力の出来ない人間は、食らいつくことより慣れ合いを求めてしまう。

結果、切磋琢磨している上位ランカーはテスト毎に入れ替わるのに対して、慣れ合い大好き下位ランカーは常に同じ顔触れがそろうこととなった。

馬鹿道を突き進み続けた私は問題児と認定され、3日に1回は職員室へ呼び出された。苦手…というよりもはや壊滅的だった数学と英語は度々補習に駆り出され、学期終わりには毎回母親が呼び出しを受け三者面談を強いられた。呼び出されるたび、面談を受けるたび、下位ランカー同士で傷をなめ合い、教師の悪口を言い合った。

親とも幾度となく衝突した。衝突もしたし、懇願もされた。母の涙を見たのも一度や二度のことではなかった。しかし、わたしはインターネットから抜け出さなかった。むしろ、インターネットに逃げてしまった。

ーその結果、最後の呼び出しを受けることとなる。

中学3年の12月下旬。冬休みを目前に控えたある土曜日、わたしの両親が学校に呼ばれた。父親が呼ばれるのは初めてのことだった。はるばる埼玉県から上京してきた両親と落ちあい、指定された面談部屋に行くと、そこには異様な光景が広がっていた。

狭い面談部屋、学習机がかろうじて横に3つ並べられるくらいのその室内に、4人の教師が横一列にひしめき合うように座っていたのだ。これまでに繰り返されてきた面談では相手側は常に1人だったため、明らかに状況が違っていた。じんわりと胸騒ぎを覚えつつ、促されるまま対面に設置された3脚のパイプ椅子に座る。

教師側の顔ぶれは、男女体育教師・イトウ、顔面ハエトリ草・ニシケ、ぶりっ子・モリタ、シスター宮内の4名。(カトリック系だったため一定の割合でシスターの教師がいた。余談だが、彼女らは真夏も真冬も、雨が降ろうが雪が降ろうが頭のてっぺんからつま先まで修道服に身を包んでいたのだが、その姿で数学なんぞを教えるためでっかい三角定規と修道服とのミスマッチを常々感じていた)

重い空気の中、口を開いたのは一番下っ端のモリタだった。本日はご足労頂き~の定型文を本当に形ばかり口にしたところで、モリタはすぐに本題に入った。

「単刀直入に申し上げますとお嬢様を高等部へ進学させることはできません」

きたか、と思った。思ったが、同時に深く心臓を抉られたような感覚に陥った。

誰がどう見ても、なるべくしてなった結果であったし、全てはわたしが招いた事態だったのだが、それでも人生で初めて面と向かって「あなたは不要だ」と存在価値を否定された瞬間でもあったため、その事実が恐ろしく、わたしはモリタの先制攻撃で既に瀕死のダメージを負った。

そこからは滔々と理由が述べられた。わたしの成績、授業態度、生活態度…すべてが高等部進学の基準に達してないといった内容だったと思う。時にはあんなこともあった、こんなこともあったとご丁寧に例を挙げて伝えられた。結論から伝え、あとから理由を述べる、ものすごくわかり易い正攻法だった。

その一つ一つの言葉は容赦なくわたしを切りつけていった。けれど、その言葉自体よりも、この状況が両親の前で繰り広げられていることが何よりも辛かった。

何をいまさら、ではあるのだが、手塩にかけわたしを育て、大枚はたいて私立に入学させ、信じ、支え、諦めずに応援してくれていた両親の心情をおもうと堪らなかった。裏切ってしまった、とここで初めて気づき、自身の愚かさを呪った。本当に何をいまさら。

しかし、父もすぐには折れなかった。こちらは中高一貫校という認識で入学させているし、そのための資金も支払っている。それをよもや中3のこのタイミングで出て行けというのは言語道断、到底受け入れられない、という別の角度からの申し立てであった。

そこからは教師陣と父親の押し問答となったが、そもそも論点が違うため話は平行線。父親はとにかく権利を主張し、教師側はいかにわたしが高等部にそぐわない人間であるかを代わる代わる訴えた。出るわ出るわ、わたしの欠点。授業中にピンセットで指の毛を抜いていただなんて些細なことまで指摘され、どんだけ注目してくれてんだい、と赤面のひとつでもしてやりたかったのだが、既に瀕死の重傷のところに五月雨式のジャブを打たれ続けたわたしの心は完膚なきまでに粉砕していた。ピンセットで毛を抜いた自分をがむしゃらに呪った。結果、半泣きで父親の腕をゆすり、もういいよ…ありがとう…もういいよ…と繰り返すことしかできなかった。

ヒートアップする両者、父の隣で涙を抑えられない母、このまま消えてしまいたいわたし、、混沌としはじめたその場を治めたのはシスター宮内だった。

それまで沈黙を貫き、シスター然とした微笑みすら湛えながら鎮座していたシスター宮内がおもむろに口を開き、柔和な表情を崩さず、静かに放った言葉が全てを攫っていった。



「お嬢様が乗ろうとしたバスは、もう行ってしまったのです」



あ、無理だ、とおもった。


脳裏に走り出したバスと、そこに向かってなんとか手を伸ばそうとしている自分が鮮明に浮かんだ。父親が必死にわたしの背中を押してるが、走り出したバスは待ってくれない、バスは時刻表通りに走行しなければならないのだから。時間通りに来れる人だけを乗せて走る。遅れた人間を乗せる義理はない。勝手をしていて時間に遅れたくせに運賃払うんだから乗せろ!だなんてそんなうまい話はないのである。

この言葉に父も言葉を失った。モリタも目を伏せた。イトウは険しい顔を少し緩め、ニシケは額の脂をそっと拭った。その様は戦闘不能に陥って棺桶に入っていた私にさえモーゼの海割りを連想させるくらいには鮮やかだった。

鮮やかであり、無慈悲だった。

主に仕えるシスターが発するにはあまりにも無慈悲だった。校庭には慈悲深さが売りのマリア像が鎮座しているというのにも関わらず、壁一枚隔てたこの部屋にこんなに無慈悲なシスターがいていいのか、わたしは棺桶の中で戦慄した。


中3の冬という受験シーズン真っただ中に突如退学を言い渡されたわたしはそこから突貫工事で高校受験に挑み、なんとか夢の共学校に合格し、晴れてそちらに入学することとなった。

合格してから知ったのだが、この共学校が男女体育教師・イトウの母校だった。さんざっぱら、あんたは馬鹿だから我が校にふさわしくないんだ、と貶しまくっていた生徒が行き着いた先が自分の母校だったイトウはどんな気持ちを抱いただろう、と思うと少しだけ気持ちが楽になった。


無慈悲シスター宮内が発したあの一言は常にわたしの中で燻っている。

燻っているが、けれど、この後もことあるごとに色々なバスを次々と乗り過ごし、今に至っている。



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