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【地方起業×会社売却】未経験業界の30代が上場企業へ億超えM&Aをした5年間の成長記

人生で一番の転換期を聞かれたら間違いなく起業したこととと答えます。
学生時代はロクに勉強もせず、会社員時代も愚痴ばかりで社会や他人のせいにしていた人間が、起業して仲間を集めお客さんが増えて売上利益が最大化することは、資本主義社会で夢がありダイナミックなことでしょう。

個人的にも起業を通じて、粘り強さが身に付きハードシングスを乗り越えて一人でも食べて行けるように成長ができました。
さらに今では何かあれば相談できるかげがえのない人脈があることは幸せなことと言えます。
心から関わっていただいた皆さんには感謝をしています。

そんなことから周りにも素晴らしい起業家が多いので、自分のM&Aの話をまとめるのはまだまだだなーと思い抵抗がありました。
ただ、M&Aは人生で何回もできないし、恩送りとして起業家支援もしているのでこれまでの起業〜売却までの話をまとめます。
※機密情報になるM&Aに関わる情報や個人情報の話は差し控えますね。

今後は別記事で起業家に必要だと感じた能力開発・人材・戦略・実行・資金について自分なりのノウハウをもまとめていきます。
まずは起業家としてどんな想いで会社売却を決めたかなどの挑戦や葛藤を感じてもらえれば嬉しいです。
少しでも社会を良くするベンチャーやスタートアップの起業家が増えるように願ってます。

■この記事が参考になる方
・これから起業しようと考えている方
・起業したけどハードシングスを抱えている方
・M&Aを狙ってる方


✅前提

起業当初はこのような状況でした。
・田舎で起業
・起業に選んだ事業は未経験で専門性無し
・30歳目前で起業
・人脈ゼロ
・貯金は150万円ほど
・勉強も仕事もできない
・他責思考

先に言うと僕のような起業方法はおすすめしません。
やはりこれまで経験した事業で起業する方が課題も分かりPMFもしやすくスピードが全然違いますし、地方よりも都会の方がビジネスチャンスが多いのも確かです。
さらに未経験の事業するなら若い20代前半とかで起業した方が経験を年齢でカバーできます。
となると僕の起業はなんとも中途半端で良いところはなく、マイナスからのスタートだと言っていいでしょう。

ただ、自信を持って言えることは、何も後ろ盾なくても本気で事業に取り組めば成功できます。
ではここから長くなりますが、なぜこんな起業をしたかまとめていきます。

✅福島県会津について

僕の地元は東北の福島県会津若松市という10万人ほどの田舎です。
会津は四方を山に囲まれた天然の要塞とされていて、歴史が深くの戊辰戦争や白虎隊、鶴ヶ城があります。
食は本当に美味しいものが多く、喜多方ラーメン・ソースカツ丼・日本酒、それと太郎庵というめちゃくちゃ美味しいお菓子銘菓があります。
さらに鬼滅の刃の無限城にそっくりな会津芦ノ牧温泉「大川荘」もあり、とても楽しめる観光地が多いので、興味がある方は行ってみてください。

そんな観光地ですが、ビジネスは別です。
田舎あるあるに拍車がかかり閉鎖的で新しいものを取り入れるよりは古いものを守る文化なので、ベンチャーやスタートアップとは程遠い環境です。
会津で良いと言われる仕事といえば誘致されてきたような大手製造企業の工場勤務が多いです。
娯楽はほぼ皆無で映画館はなく、パチンコ店が多いので趣味はパチンコパチスロと答える人も多いことでしょう。

さらにエンジニアを輩出している会津大学がありますが、卒業後はほぼ県外に就職している状況です。

こんな起業には決して整っているとは言えない会津ですが、ここで東京からUターンして起業したことは、間違いなく僕の成功の一つと言えます。
なぜそう言えるのかを幼少期に戻りながらまとめていきます。

✅金銭感覚の醸成

両親は二人とも起業をしていてクレーン車のオペレーターでした。
起業と言っても田舎のスモールビジネスで、家には3台の大きなクレーン車がありましたが、親は個人事業主だったため個人で借入をして返済は数千万円はあったと思います。
そのため朝から晩まで働いて家にいることは少なかった記憶があります。

小さな頃からお金って大事だなーとか、仕事に大変な親を見ていてお金のために働くことが自然に身についてきつつ、大人になったらこうなるんだと抵抗感もありました。
それもあってか社会をナナメに見ていたし、会津は娯楽が少ないので自然とゲームにハマり、学校がない休日は家に引きこもることが多かったです。
得意なことはゲームの中でお金貯めでした笑

ドラクエでもFFでもモンハンでもコツコツお金を貯めるのが好きで、すぐに億万長者になります。
ただ、ゲームを終えると現実世界は虚しくお金はありません。僕はゲームのお金が現実になればいいのになーとずっと思ってました。

そんなこんなで現実世界でもお金をやりくりしようということで、小遣いを貯めては新品を買い、すぐにクリアして近くのゲオへ行って中古で高く売ることをしてました。
それでも7,000円で買ったゲームは売るとき半値近くに下がります。
中古ゲームでも3,000円ぐらいで買ってクリアして売ると500円になり悔しい思いをしてました。
まあ、普通はそうですよね。
※今ではメルカリ、ラクマで中古で5,000円ぐらいでゲームを買っても売るときは同じ値段で売れるので、ほぼタダでゲームをしている感じで最高です!なんとも素晴らしい世界になったと思います。

で、なぜこんな話をしているかというと、大小はありますが経営にも幼少期の金銭感覚が無意識に現れます。
僕はコツコツお金を貯めるのが好きなので、会社も黒字経営をキープしていたのはこのゲームの金銭感覚が無意識にありました。
結果M&Aするなら黒字経営の方が相性は良かったです。

それと同時にお金の使い方は下手くそで、ユニットエコノミクス的には3以上なのに投資に回すのは慎重になり機会損失が多分にありました。

※エクイティも入ってましたが、結果買い戻してました。
どんな資本政策だったかはこちらをご覧ください

話を戻すと思春期の2000年中盤からガラケーが出て、田舎でもネット時代に突入します。
田舎出身の方は一度は思うかもしれませんが、僕もたぶんにもれず田舎にいるよりは東京に行きたいと思い上京することとになります。

✅地方起業の経緯

東京から会津にUターン

ここから話が飛びますが、起業する前の29歳まで東京で音楽業界でアーティストマネージャーをしていてをしていました。

初めは全国に行けるので楽しかったのですが、年々忙しくなる+プレッシャーも高くなります。
ちょうど親の事業を継ぐかどうかの話もあり、音楽業界から離れることを決めます。

そんな中でこれまでの経験を地元会津で活かせないかと考えるようになり、東京から逃げるように会津にUターンしたのを思い出します。

会津で起業

Uターンしたあとに、結局親の事業は継がないことを決めて、起業をすることになります。
その時は、大きなビジョンがあるわけではなく、ただ起業したいという利己的な思いがありました。

何から始めればいいか分からないので、とりあえず地元の起業セミナーに参加したり、商工会議所青年部に顔を出したり行動量を増やしました。

そこで、司法書士をしながら不動産業をしている起業家の先輩に出会います。
ちょうど起業する人向けにシェアフィスを作るという話でしたので、入居させてもらうことにしました。

リノベーションする前から交流していたので、色々と要望が言えて寝泊まりできるようにシャワー室は必須で付けてもらいましたw
家賃は月3万円ちょいだったかなあ

305号室に入居。アプトリー最初のオフィスです。
机と椅子があるだけの小さな部屋でした。

✅未経験の事業で起業

事業迷走

オフィスが決まったのがいいですが、事業は迷走を極めました。
事業を立ち上げては辞めるの繰り返しで、1年間はメインの事業は決まらず右往左往してました。
こんな事業をしてました。
・イベントプランナー
・Podcast広告運用
・空き家マッチング
・人材紹介
などなど

この中の人材紹介をフックに会津大学出身のフリーランスエンジニアと知り合ったこともあり、フリーランスエンジニアと企業をマッチングする事業に決めて成長することになります。

運命的な出会い

事業をブラッシュアップするために顧客のニーズを聞こうと思い、タウンワークでテレアポを片っ端からすることを決めてあ行から電話を始めました。
そこでたまたま会津太陽光発電の社長と出会い考えている事業プレゼンをすることになります。
その中で、「君の事業はよくわからないけど、君は面白そうだ」という言葉をいただき応援して起業当初の出資をしてもらいました。

なぜこんな出会いになったかというと、会津で起業しようとする人が少ないので、頑張ってる人がいればすぐに目立つからです。
なので、地方企業のメリットの1つは目立ちやすく応援してもらいやすいところです。
全国色々と回りましたが、必ずどこの地方でも敏感なセンサーでギラギラしている起業家や経営者がいるものです。是非、地元の先輩を味方にしてください。

株主の方々

右も左もわからない中、本当に色々とアドバイスや支援をいただきました。

CTOとの出会い

起業して良かったことのもう一つは右腕と言える仲間と出会えたことです。
エンジニアと企業をマッチングする事業で伸ばしていくのですが、僕は非エンジニアだったので技術も分からず信用もありません。
そのため、技術はもちろん、営業もできるCTOのエンジニアが必須でした。
半年間探しまくって右腕と言えるCTOに出会います。
今でも関係が良いので、本当に素晴らしい仲間に出会えました。

当時の株主とCTOや社員

✅そして事業成長へ

そして成長にブーストがかかったのはEO - Entrepreneurs' Organization(起業家機構)への加入です。
僕の起業家ストーリーを話す際にはEOには外せません。
起業家としてのベースになっている考え方、立ち振舞すべてはEOの先輩方から学びました。
共に成長にコミットする仲間、辛いときに電話一本で解決策を提示してくれるメンターとの出会いに心から感謝をしています。

EOは年商1億円以上の経営者しか加入できないのですが、EOの中に1億円を目指すアクセラレータープログラムがあります。
そこに売上0円でわらをも掴む思いで年間20万円を払い全力で学んだのを覚えています。
そして2年で売上も突破してEO本体に入ることができました。

僕は東北のEO North Japanに所属をしました。
ホントおすすめなので興味がある方はEOの門を叩いてみてください。

EOアクセラレーター時代の皆さん

ピッチ大会で覚醒

起業して個人的に成長したことの一つはプレゼン能力です。
僕は元々、早口で滑舌が悪いので人前で話すのは不得意でした。
ただ、会社を知ってもらうためピッチ大会に積極的に参加をして、出させていただいた大会で優勝することが出来ました。
起業家としてはプレゼン力は重要だと思うのでおすすめです。
IVSなど日本にも素晴らしいコミュニティが出来上がってます。

EO Tokyo INNOVATION PROGRAM 2019の大賞受賞
X-Tech Innovation 2021東北大会で最優秀賞を受賞

その後、会津から仙台市に本社を移転して事業成長しました。
そこで、仙台市の未来創造企業に認定いただきました。

仙台市長へ訪問

✅なぜ会社売却をしたのか?

そして、2018年に起業した会社を5年後の2023年に会社売却をすることになります。
会社売却については機密情報もあるので細かいところは差し控えますが、なぜ会社売却をしたのかをまとめます。
※会社売却ノウハウはこちらの記事をご覧ください。

細かいところだと色々ありますが、大きく2つの理由になります。

起業家の資質

起業家あるあるですが、僕は事業立ち上げが最低限できたらまた新しいことにチャレンジしたくなる性格です。
1を100にするよりも、ゼロイチが好きなんですよね。
興味があるところに飛び込んで行きたくなるので、自分が経営するよりも、お任せした方が伸びると思い会社売却を決めました。

仲間との別れ

会社を大きくするために仲間の退職は当たり前ですが、僕にとっては辛いことでした。
特に一番最初の社員さんのことはよく覚えていて、辞めるときの言葉や状況は鮮明に覚えています。
どうしても自分に返ってきて、自分が未熟だから離れてしまったのか?など色々内省するうちに経営に自信がなくなってしまっていたのを思い返します。
仲間の退職を気にせずガンガン行けるかどうかが、僕の中では大きな判断軸になりM&Aに繋がったと言えます。

✅今後について

最後まで読んでいただきありがとうございました。
M&Aをしてから、あっという間に1年以上が経ちました。

経営していた頃は毎日が必死で、文字通り命をかけて仕事に望んでいたことを思い出します。
月日が経つとどんどん記憶が薄れていくので、まだしっかり記憶があるうちにまとめられて良かったです。

繰り返しになりますが、僕はニュースになるような大きな成功をしていないからこそ、身近な存在として普通の人間でも起業をして成功できるんだなと刺激になれば嬉しいです。

そして今後は2つのことに時間を使っていきます。

起業家支援

長年、これまでの経験を活かして複数社の起業家支援(顧問、エンジェル投資、M&A伴走)をしています。
SNSでメッセージいただくことも多いのですが、変な勧誘もされるので下記の情報を含めてメールいただければ返信します。

■欲しい情報
会社名、お名前
HP※あれば
事業内容
悩み事

■メール
utakoya.kuma@gmail.com

シリアルアントレプレナー

もちろん次の起業も考えてます。※会社はすでにあるんですが。
ただ、家族の体調不良があり今はケアに集中しています。
そのためフルコミットができないので、代わりに事業をしてくれる社長を探しています。
是非、一緒にビジネス連携したい方もご連絡ください。
・医療や、保育業界で起業したい方
・ベンチャー投資
・オーナーとして複数起業

ではこれからも一緒に成長していきましょう。
ありがとうございました。

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