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日中友好新聞2020年5月5日号掲載記事

昨年末、第2回「忘れられない中国滞在エピソード」の受賞式に参加した際、ご縁があり日中友好協会の方と交流した。第1回から参加しているこの大会。

1.第一回大会

1回目はまさかの落選ということでショックを受けていた。その落選通知で考えたのは、自分が書いた作文の内容を客観的に見てもらえるというチャンスが意外に少ないということだ。せっかくなので、有名な先生に聞いてみると、前振りが少し長すぎたということだった。確かに前振りが長く(今回のように)内容まで入っていかない。ついに文字数が足らず尻つぼみになってしまう。かといって、後ろに何を書いていいか分からない。書いた文章を見ていると、感情への入れ込みが少なく、まるで箱の概要をしているかのようである。宝の部分は何なのか、どう思っているのかが見えてこないので、判断のしようがないといったものであろうか。そのため、非常に意味のないものになってしまっていたような気がする。それからどうすれば書きやすいのか、考えつつ第2回を応募した。

2.第二回大会

第2回の作文を書いた雰囲気をまだ覚えているが、そのころになると書くことにも少しは慣れてきていたのだが、どちらかというと正統派で書くよりも異端の存在として書くことが好きになった。なぜなのだろうか、それは作文に対する自信というべきものだろう。自分が書いている文章よりも素晴らしい文章に出会ったことはいくらでもある。しかし、それといって自分が書けるというわけでもない。同じぐらいだなと思っているレベルの文章は頑張って書けるぐらい難しい。そうなると、コペルニクス的転回というべき、頭の方向転換をしなければ、インパクトを残すことができない。特に一分野に対し深い洞察があるわけでもない、あっと驚くような経験をしたこともないという前提に立つのであれば、発想は非常に大切である。この考えは、学生への作文指導においても重要だと考えている。普段「当然」と思っていることに疑いをかけてみることができれば、人とは違った目線で見ることができる。テーマをまずはじっくり見つめるということを心がけてほしいと願っている。有名なテレビ番組で「アイデア」をいかに出すのかといった特集をしていた。すぐに「これだ」と思うアイデアはだいたい100人ぐらい(もっと多いかもしれない)が考えているのだ。粘って考えて、やっと生み出したアイデアでも10人ぐらいは考えている。ただ、100人から10人に減ったことを見るべきである。そこから実力勝負になってくるので、あきらめずに取り組んでいくことがある。

3.作文授業について

作文指導をしている時に気づくのだが、一段回目のアイデア出しの部分でおよそ7~8割の人が「無理」と気づく。毎日生活している中で新しいことは「ない」と簡単に断定してしまうことが多い。ちょっと待ってほしい。例えば今回のコロナウイルスにおいて、中国のある地方で過ごしている人の情報を知っている日本人がどれだけいるだろうか。それと同じく、東京だけではない田舎のあるところでは、「マスク」は手に入るのか?ニュースとコメントだけではよく分からないところが潜んでいる。その「当たり前」から疑い出して、スーパー、人、事件何でも構わない、気づいたことに対して自分からキャッチしていくことが必要である。例えば毎日家にいて出ないとすれば誰が料理を作って野菜を買っているのか、自分が出ないのであるから誰かが代わりにしてもらわなければならない。それを捉えず「毎日家にいるから辛い」という言葉を出すことは非常に難しいことに気づいてほしい。

4.作文から考えてみる

そう思えば私含め、いろいろな仕事も同じである。誰かが仕事をしている中で出てくる「したくない仕事」を誰かが(時々わたしが)していると気づくだろう。そこの差がお金だったり、時間だったりして補い合っている。ただ、その仕事をできる人がどれだけの数いるかで、そのバランスは変わってくる。ただ、目だけでなく、その裏側をつかむような考えを持ってほしい。日本語を勉強しているのならば、それをいかに活かしてつなげていくのかを考えなければならない。「お金を稼ぎたい」でもよいし、「日本のアニメが分かるようになりたい」でもよい。そこはかなり先にある目標だとしたら、その距離を測る作業が必要になる。距離が分かりさえすれば、後は手段である。どれをどれだけ突っ込んでいけば到達することができるか。1年なのか、3年なのか、そうして継続していく(一般的には5年以上)ことで、他のものにつながっていく。たいていは途中であきらめてしまって自分から道を閉ざしていることが多い。この年になって気づくことは多い。

5.授賞式の話

さて、第2回の授賞式の話をしよう。日本の東京にある中国大使館で執り行われた大会。両親もわざわざ時間を作ってきてくれた。最初は道が分からず、住宅街の中に入って違う大使館(小さくてきれい)に近づいてしまった。それもまたよかったのだが、時間の関係もあり、来た道を引き返す。大使館の前でなまえをチェックして、中へ。門の前で記念撮影。子どもの時には記念撮影していたのだが、大人になってめっきりその回数が減ったような気がする。大使館に入るとよく知っている方が受付をされていて、びっくりする。中国人作文コンクールで大使賞などを受賞した学生もいて、久しぶりの再会に思わず喜んだ。授賞式は大使のご挨拶、議員さんの発表もあり、とても賑やかに執り行われた。その後は、交流会。食べ物と飲み物が準備されている中で、受賞者と関連者の方と交流する。その中で日中友好協会の方とお話する機会があった。とても気さくで優しいお方という印象が今でも残っている。第3回も申請したのだが、またお会いできるだろうか。

6.記事について

年を跨いでコロナウイルスが中国で猛威を振るっていたころ、ご担当者様から記事にしてみませんかというお誘いがあり、自分が経験したことと思ったことをまとめて送った。文章を書く際、どのようにして書けば分かりやすいのか、良いのかなどを考えながら文章を書いたが、まだまだ書き足りない。そうした年明けの素敵なプレゼントは、今年の課題までもプレゼントしてくれた。


そして、5月5日に無事、日中友好新聞に掲載された。ご担当者に確認を取り、掲載の許可をいただいたので、ここに掲載したいと思う。

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日中友好新聞2020年5月5日号掲載記事

7.今後について

来学期、また新たなステージで授業に取り組んでいきたい。もちろん、自分自身も成長を続けるために歩み続けなければならない。



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