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現役&元市役所職員のActions——まちを変えるきっかけづくり|地域のイノベーター見聞録〈美濃加茂版〉Vol. 4 渡邉峻哉/美濃加茂市役所経営企画部 秘書広報課 + 酒向一旭/やまのはたへ(元・美濃加茂市役所職員)

『地域のイノベーター見聞録〈美濃加茂版〉』は、2023年4月より岐阜県美濃加茂市に住み始めた小野寺(地域想合研究室.note編集部)と、2022年10月にこのまちでカレーショップ「らんびー」をオープンさせたばかりの高木さんのふたりでお届けする、新聞で言うところの地域版をイメージした連載企画です。
美濃加茂市は人口6万人、名古屋まで約1時間と好アクセスのいわゆるベッドタウンです。それだけ聞くと全国のどこにでもありそうなまちに思えてきますが、それはあくまでも表層のイメージです。美濃加茂に限らずどのまちにだって、そこにしかない暮らしの楽しさがあるはず。
われわれは、まちで長く商売をされている方・まちに住む海外の方(美濃加茂は人口の約10%が外国人)・近年移住されてきた方・行政の方、あるいは上記に限らないこのまちに関わるさまざまな方からお話を聞きし、それを記事にしていきます。
記事を通して美濃加茂への理解を深めながら、「このまちの魅力とはどのようなもので、それはいかに形成されているのか?」「まちで精力的に活動する地域のイノベーターたちのモチベーションはどこから生じているのか?」といった、おそらく多くのまちに共通するであろう、街づくりの疑問を探ることも試みます。美濃加茂における街づくりのワンシーン・ワンシーンを高木さんと共に、ここに住みながら追いかけてみたいと思います。

はじめに


冬も終わり春がやってきましたが、まだまだ肌寒い日が続きますね。美濃加茂の冬は明け方にひどく冷えた日でも、日中の気温は10℃弱と、厚手のコートとマフラーを装備すれば十分なくらいでした。引きこもりがちになることもなく、まちを歩いたり、新しい飲食店にトライしてみたり、そこで人と知り合ったりと、春夏秋と変わらず楽しく生活することができました。

美濃加茂に来てからの1年弱で、noteで取材した方に限らず、自身のお店を営まれている方からまちへの想いをお話いただく機会に恵まれました。
地域と何の繋がりもない時にまず助けてくれたのが、お店を訪ねれば会える彼らのような存在です。彼らをツテにまた別の誰かと繋がることができ、友人もできました。その一連の流れはまるで自然な出来事だったかに感じられますが、同時にとてつもないことにも思えるのです。振り返ると「まちの顔」であり、「地域のイノベーター」であり、「地域コミュニティのハブ」である彼らのおかげなのだと、しみじみと感じます。

一方で地域のイノベーター、つまりまちに対して何らかのアクションを起こしているのは、上記で触れた、お店を構え日常的に住民の目に触れる方々だけではありません。
その一例が行政に携わる人たちであり、彼らの仕事の一つひとつが、実際にまちを動かし・支えていることを私は知っています。知っています……が、役所の仕事と聞いても具体的なイメージが湧きません。例えば市のHPを見れば、なんらかの情報を得られますが、自治体の職員がどんな想いをもって日々働かれているのかを知るには、直接会ってお聞きするほかないと思いました。
そこで今回は、美濃加茂市役所で広報を担当されている渡邉峻哉さんと、2023年3月に市役所を退職され、現在は里山振興に取り組む「やまのはたへ」の活動を行う酒向一旭さんのおふたりにお話を伺います。まちの課題やそれに対する取り組みや、おふたりの美濃加茂に対する個人的な想いを市役所での経験をベースに語ってもらいました。

今回は「らんびー」の高木健斗さん、NTTアーバンソリューションズ総合研究所の今中啓太さんと齋藤達郎さんを聞き手に迎えお届けします。(小野寺/編)

左から渡邉峻哉さん、酒向一旭さん、今中啓太・齊藤達郎(NTTアーバンソリューションズ総合研究所)。(このほか特記のない撮影:編集部)

生まれ育ったまちの市役所で働く


——まずはおふたりの学生時代から、市役所で働き出すまでのことをお聞きします。渡邉さんも酒向さんも、美濃加茂で生まれ育ったのですか?

渡邉峻哉(以下:渡邉)
僕は中学校までは美濃加茂市内で、高校は隣の御嵩町に通っていました。高校時代にバンドを組んで、それからは音楽一筋にひた走っていました。でも二十歳くらいに音楽だけで生きていくのは難しいなと思って、別の道に進むことにしました。

渡邉峻哉さん

小学生の頃に美濃太田駅前にあったアトリエに通っていたんですよ。今はもうありませんが、丸圭書店っていう本屋さんの2階にあった子ども向けのアトリエです。工作をしたり絵を描いたり、すごく楽しくて、中学校に入るまで通っていました。両親が教員だというのもあったのか、当時の夢は学校の先生になることでした。それで、関西の美大に入学して美術の教員を目指すことにしたんです。

美濃太田駅前の商店街。写真右が、丸圭書店とアトリエ・学習塾がかつてあったビル。

大学で美術教員の免許を取って、いざ美術の先生になるぞ! というところまで来たんですけど、岐阜県内で正規の美術教員の募集がほとんどなかった……。

僕は長男だし——っていうのは田舎特有の意識なのかもしれませんが——バンドを好き勝手やらせてもらったし、大学まで行かせてもらったから、家族がいる地元で働こうという思いが自然とありました。そこで、「同じ公務員試験だから教員試験の練習にもなるだろう」「美術教員の募集が出るまでの繋ぎになればいいか」くらいの気持ちで、美濃加茂市役所の採用試験を代わりに受けたんです。

それから現在まで15年働いています。最初に配属されたのが広報を担当する部署でした。当時は市の広報紙のリニューアルなど、デザインの分野の仕事についても任せられ、役所の中でも結構重宝してもらえて。それで味をしめたんでしょうね。「市役所で働く」って生き方もあるんだなって思えたんです。その後は、みのかも文化の森/美濃加茂市民ミュージアムで学芸員の仕事を経験するため、一度広報の仕事を離れましたが、現在はまた広報の仕事に携わっています。

美濃加茂市の広報紙。渡邉さんが所属する秘書広報課が表紙の写真撮影からデザインまで多くを手がける。

——酒向さんはどうでしょうか?

酒向一旭(以下:酒向)
僕は、先ほど皆さんに来てもらった蜂屋の自宅の、その何軒か先に実家があるんです。

酒向さんの自宅。一度現代風にリフォームされた古民家を、再び元の姿に戻しながら現在も改修中。インタビュー実施前に訪問した。

僕は中学生の頃、リサイクルショップをやりたいという夢がありました。しっかり卒業アルバムにも書いてあって。だから商業高校に行きたかったんですけど、うちの親はわりと堅くて「普通高校に行って進学しなさい」と。当時はそれなりに反発していたつもりなんですけど、歯向かうまではしませんでした。

その後大学進学で名古屋で一人暮らしを始めましたが、地元が好きでよく帰省していましたね。卒業後は民間企業に就職して関東地方で3年ほど営業職をしていました。その頃はライフ・ワーク・バランスなんて言葉はなかったので、とにかく朝から晩までがむしゃらに働いていました。夜遅くに外食して、帰りがけに買ったアイスクリームを流し込んで、そして寝る! みたいな生活をずっとしていて(笑)。そもそも就職先も「東京商工リサーチである程度点数が良くて、一部上場で……」みたいな探し方をして入った会社でした。そういう自分の「流されて生きている」感じになんとなく違和感を持ち続けてはいて、だんだんと、「このままじゃまずいな」って気持ちになっていたんです。

具体的に何をすべきか分からないけど、ひとまず美濃加茂に戻ろうと思った時に、思いつく就職先は市役所くらいしかありませんでした。一応、ネットで近隣の企業なども探しはしたのですが、載ってる情報も限られていたし、特にやりたいことがあったわけでも無く、それほど一生懸命になれなかったというのが正直なところです。なので、他の会社の情報も特にないまま関東で働きながら市役所の試験を受けて、内定をもらい、2010年の4月から2023年の3月まで13年間働きました。

酒向一旭さん

——市役所を退職されて、今は?

酒向
今は独立して「やまのはたへ」という屋号で、ざっくり言うと里山振興にかかわる活動をしています。
そもそも、僕がこうした活動を始めたきっかけは、市役所で働き出して1年目の3月11日に発生した東日本大震災でした。7回ほどボランティアとして被災地で活動する中で、「自分たちの暮らし方を変えないとな」「やっぱり自分の住む地域でちゃんと暮らしていこう」という気持ちが芽生えてきたんです。

まずは、耕作放棄地を田んぼにして、自分の子どもと一緒に田植えをして、餅米をつくって、一緒にお餅を食べる、っていう完全に個人的な活動からスタートしました。そういうことを続けていたら、一緒にやりたいという人が集まってきて、ちょっとしたイベントになり、だんだんと関わる人や生産する作物の種類も多くなっていきました。とはいえ市役所で働きながらなので、趣味の延長というか、自発的な地域活動のひとつ、くらいの規模でした。当時は朝5時に田んぼで作業してから出勤するみたいな生活をしていましたね。

——東京にいた頃より働いていそうですね。

酒向
当初は「里山農耕」という名前で活動していて、確かに名前の通り「農」にかかわる取り組みが多かったんですけど、独立してからは「やまのはたへ」に名前を変えました。「はた」って言うとなんとなく「畑のはた」に聞こえるんですけど、実は「そば」とか「かたわら」という意味でして。たとえ都会にいても里山といった場所を身近に感じられるような社会をつくりたいと思ってこの名前にしました。だから、農業に限らずそんな社会づくりにかかわるあらゆることを「やまのはたへ」ではやっていきたいんです。

自分だけが山で農業をやって仙人みたいになっていくのではなく、まちの人、特に子どもたちに里山の魅力やそこで起きていることを知ってもらい、少しでもこれからの生き方を考えるきっかけを与えていきたいと思っています。

「やまのはたへ」の活動例。上:子どもたちとの田植え。下:川の生き物観察。写真中央の大人が酒向さん。(2点写真提供:酒向一旭)

美濃加茂といえばコレ、というものはつくりたくない


——美濃加茂ってどんなまちですか? とこの『見聞録〈美濃加茂版〉』では毎回質問しているんですけど、市役所ではよそから来た人たちにまちを案内することが多かったんじゃないかと思います。そんな時に、どんな説明をされていたのか気になります。

酒向
美濃加茂は立地的には濃尾平野の最北で、山間部の入り口に位置しています。まちと田舎が良いバランスで共存している場所だと思っています。南の木曽川付近は中山道や、駅前商店街があって商売のまちになっていますし、北へ行けば農地や山林があります。さらに外国人が多いので、ハード・ソフトの両面で多様性があるまちなんだと思いますね。

渡邉
太田宿があり、古くから交通の要所だったので、元々交流人口があったまちなんですよね。外の文化や習慣を受け入れやすい土壌がありますよね。
もう一つ、これは自分が広報の仕事をしているから特に感じるのかもしれませんが、こだわりを持った人が集うまちだなって思います。

——インタビューが始まる前、渡邉さんと雑談していた時に、美濃加茂市の名産品について質問したじゃないですか。その時に、「美濃加茂市としてこれ!」みたいな、あらかじめ用意されているような鉄板のセールストークみたいなものがなかったのが印象的でした。それって、あえてですよね?

渡邉
個人的には「美濃加茂市といえばこれ!」というのをつくらないことがいいと思っているんです。「色々な良いものがあって、あれもこれも良いんだよ」っていうのが美濃加茂であってほしいという視点で常にいようと思っています。

もちろんその中でも目立つものはありまして、「堂上蜂屋柿のまち」だったり「坪内逍遙のまち」にしてほしいという声はあったりしますが、それだけじゃないですよっていう声もあったりします。だから自分としては、何かに偏った見方はしたくないなという意識はありますね。

酒向
美濃加茂市は昭和の合併で生まれた、あくまで自治体運営のためのフレームですよね。そういう意味では、やっぱり美濃加茂市全体に愛着を持つというよりかは、それぞれが「自分のまち」だと思う範囲以外にはそこまで関心がないというか、なかなか全体を常に意識できないというのが市民として自然だとは思います。私個人としても「美濃加茂市」を主語として日々考えて暮らしているかというと、ちょっと微妙かもしれないですね。

——市役所の職員としては、市全体を主語に考えることが多いのだと思いますが、確かに個人単位で「まち」を考える時、想像する範囲は違うかもしれませんね。それこそ渡邉さんと酒向さんでも違うはずですよね。
ところで、おふたりは子どもの頃から面識はあったのでしょうか?

酒向
ありませんでしたね。市役所に入ってからです。でも先ほどの話を聞いていたら思わぬ共通点があって驚きました。実は僕も丸圭書店の2階に通ってたんですよ。でも(渡邉)峻哉さんがいたアトリエじゃなくて、僕が通ってたのは学習塾の方。もしかしたら顔を合わせていたかもしれないですね。

渡邉
学習塾があったのは知らなかったです。子どもの頃はあまり気に留めていなかったのかも。でも確かに自分たち以外にも子どもが出入りしているなとは思ってました。学習塾の方はシュウさんが教えていたの?

酒向
いつもってわけではないですけど、シュウさんも時々勉強を教えてくれたかな。

——シュウさん?

酒向
渡辺修さんという、丸圭書店のオーナーの方です。既に亡くなってしまいましたが、丸圭書店と2階の塾とアトリエが閉店したあとも、商店街の小さな町ビルを借りて「ワンダーランド」という本屋さんを続けられてました。そこでは月に一度くらいゲストを呼んで小さなライブイベントが開催されていたんですよ。

イベント開催時のワンダーランド(写真提供:VINCENT)

渡邉
ワンダーランドになってからは、大人向けのコアな書店になりましたね。横尾忠則の絵とかが飾ってあって、修さんは美濃加茂のカルチャーおじさんって感じの人でした。

酒向
ワンダーランドがあった当時、僕は産業振興課に勤めていて、商店街をうろうろすることが多かったんです。そこで修さんともしばらくぶりに再会しました。小規模ながらも定期的にイベントをやっていることなどが、まちとして面白いなと思って仕事でも関わり出したのですが、その直後に修さんは亡くなられてしまった。2016年のことですね。

産業振興課にいた頃は、こんな感じでまちの人と関わることがけっこう多かったです。コクウ珈琲/NPO法人きそがわ日和の篠田さんと小川さん(見聞録美濃加茂版 Vol. 2を参照)も、最初は産業振興課での仕事の流れで知り合いました。

役所の仕事は楽しいーー仲間と共に問題に立ち向かい、ゼロからアクションを起こす


——普段の生活の中で、なかなか市役所の仕事がどんなものかを想像できないのですが、こういうふうにまちの人たちと密接に関われるお仕事もあるのですね。単刀直入に市役所のお仕事って楽しいものなのでしょうか?

渡邉
もちろん今の修さんとの話は一例ですし、役所には色々な部署があって、その中でも一人ひとりが担う仕事も違います。極端なことを言えば、理不尽なクレームや要求に振り回されながら仕事をする職員もいます。僕が担当している広報は役所の中では自分の感覚や考え方に基づいて仕事をさせてもらっている側。そのことは強く意識しています。それもあるけれど、今まで楽しく仕事をしてきたと思ってますよ。(酒向)一旭はどう?

酒向
あくまで自分の体験ですが、役所の仕事ってめちゃくちゃ楽しいんですよ。役所に入るとたくさんのまちの課題とぶつかるんです。それらの課題って、明確な答えはないんですよね。しかも企業と違って金銭的な利益を目的とせずに地域課題と向き合うことができます。
課題と向き合う時、まずは自分で調べ、実験を繰り返します。でないと事業提案をつくれません。だから本当にゼロから自分で何かをつくり上げていけるんです。そして、それが上手くいけば市の政策になっていきます。これって役所でしかできないと思うんですよ。その環境が自分には合っていたんじゃないかと思います。

渡邉
「あい愛バス」の路線拡大なんかが良い例だと思います。一旭が引っ張ってやっていたよね。

酒向
引っ張っていたかは分かりませんが、市役所に入って4年目の2013年、国体推進室から地域振興課(現在のまちづくり課)に異動になりました。そこで市のコミュニティバスである「あい愛バス」が赤字だから廃止を検討してくれ、というミッションをもらったんです。
でも、「そもそも役所で採算が取れている事業ってなんだ?」って疑問が湧いてきて、存続させるという選択肢も消さずに動いてみることにしたんです。住民向けにワークショップを開き意見を吸い上げたり、専門家をお呼びして公共交通がなぜ必要なのかというテーマで、市役所で講演会を開催したりしました。

——講演会というのは、市役所職員向けのものですか?

酒向
そうです。職員向けの勉強会みたいなものですね。こうした講演会は、この「あい愛バス」の件に限らず色々な部署でも企画されてましたよね。反対している人には必ず出席してもらうようにするんですよ。そしてみんなで問題について理解を深めつつ、コミュニティバスを存続させる方向に説得していくと。結果的に廃止どころか、以前よりも路線を拡大することになりました。

あい愛バス。
あい愛バスの路線図。写真は市発行の『あい愛バス時刻表路線図 2024.4.1改定』pp. 1-2を撮影したもの。詳細はあい愛バスのHPより閲覧可能。

——なかなか武闘派ですね。

酒向
実はこの件に関して言えば、国交省のHPを見るだけで公共交通の必要性は一目瞭然だったりします。でもそれを自分一人が唱え続けるんじゃなくて、ワークショップとか講演会みたいな場所をつくって周りを巻き込みながら合意を得ていったのが効果的だったと感じています。

そもそも、これに限らず市の課題というのは、市の総合計画によって整理されています。要するに市のビジョンですよね。このビジョンを実現するために、一つひとつの事業を総合計画と結びつけながら、長期的な視点で評価していくのがあるべき姿だと思います。例えば現状赤字であるからといって、事業単体の目先の問題だけでその良し悪しを判断しないよう、これからも色々な課題について役所の中で慎重に議論されていくことを願っています。

——職員のアクションが、まちの未来の姿に直結している……。市役所の仕事の楽しさ、醍醐味が感じられました。

美濃加茂市の第6次総合計画(2020年)の冊子。子ども向けの絵本形式の冊子もある。webでも閲覧可能。

誰よりもまず、美濃加茂に住む人たちへ魅力を伝えたい


——課題というと、美濃加茂には他にどんなものがありますか? 

渡邉
個人的に感じるのが、自分が住むまちに関心を持たない人が増えているということです。美濃加茂市に新しく住む人の中には、ちゃんとこの土地について調べて、引越してくる人もいれば、周囲と比べて土地が安いという理由だけで入ってくる人もいます。仮に「土地が安い」というのが関心のスタート地点だったとしても、この先もっと深くこの土地について知っていきたいと思ってもらえたら、それは市にとって大きなプラスになるはずです。私としては、そこの関心を持ってもらうためのきっかけを、役所として提供したいという想いで色々な事業を打っています。

そのひとつが、2020〜22年度に行った株式会社ビームスの日本の良さや面白さを世界に発信する事業「BEAMS JAPAN」との連携による、ふるさと納税返礼品の開発・監修事業です。国の地方創生推進交付金を活用した「シビックプライドの醸成による定住促進事業」の一環として実施したもので、美濃加茂市内の事業者とBEAMS JAPANのバイヤーが意見交換を重ねながら返礼品の開発やブラッシュアップを行いました。この企画自体は2022年度で節目を迎えましたが、今も2024年の市制施行70周年に向けた記念商品の開発事業を和菓子店やビール醸造所など6つの事業者と進めていまして、BEAMS JAPANにも事業パートナーとして関わってもらっています。

2020〜22年度にBEAMS JAPANとの連携によって誕生した返礼品の一例。(3点提供:美濃加茂市)

——BEAMS JAPANをパートナーに選んだ理由は?

渡邉
自分のまちへの関心が薄いのは、新しく美濃加茂に住み始めた人に限らずなんですよね。美濃加茂で生まれ育った若い子たちにもあまり関心を持ってもらえていないな、と自分が広報として仕事をする中でわりと感じていて。なんなら、市役所の若手職員だって自分のまちについて知らないことがたくさんあると思うんです。それで若い世代に人気のアパレル企業に声掛けしたというのはありますね。

元々これをやろうと思ったきっかけは、一旭がやっていたある事業なんです。美濃加茂の高校生と地元の事業者を繋いで、もっと地元の産業について知ってもらおうというものでした。

酒向
ちょうど僕が産業振興課にいた時に、企業支援の補助金をつくる仕事があったんです。「なかなか若い人が地元で就職してくれないので、地元の学生を採用したら補助金としていくら出しますよ」というものですね。でも調べてみるとこんな補助金では問題は解決しないだろうと分かったんです。

学生は小・中・高と地元の企業と関わりを持たないまま地元で過ごして、大学では市外に出ていってしまう。それなのに彼らが就職するタイミングになって、「困っているので地元の会社に就職してください」と言うのはあまりにも虫が良すぎるんじゃないかなと。ちょっと補助金を出したところで採用戦争には勝てるわけないじゃないですか。だったら、企業側が学生と直に接して、彼らがどんなことを考えているかを理解し、市外に出ていってしまう前に愛着を持ってもらう仕組みをつくれないかと考えたんです。

それで、補助金制度ではなく、企業と学生が繋がれるプラットフォームづくりをやろう、と立ち上げまではやったんですけど……。

渡邉
人事異動で担当が変わったら、終わっちゃったんですよね。もったいないなと思いましたよ。そこで、これをヒントに自分が広報として何かやれないかと思い、BEAMS JAPANとの事業を構想し始めました。広報としては、企業と高校生を直に繋ぐことはできないけれど、BEAMS JAPANとふるさと納税の返礼品の監修と開発を行うことで、若者に地元にどんな企業や産業があるかを知ってもらうきっかけになるんじゃないかと。

ふるさと納税という枠組みを使っているので外向けのPRに見えますし、実際そうではあるんですけど……。私としてはふるさと納税を使ったのはあくまで事業費を創出するための策であって、やはりいちばんは美濃加茂市の方々、特に若い人たちに自分の住むまちを再発見してもらいたかったっていう想いが大きいです。それもあって、この企画に関連した冊子『MINOKAMO STORY』を毎年発行してきました。美濃加茂の、今すでにある魅力にフォーカスする内容になっています。2021〜2023年にかけて、年に1回発行していて、駅にある観光案内所や市役所、市内の飲食店などで手に取ることができます。

冊子『MINOKAMO STORY』。BEAMS JAPANのバイヤーのほか美濃加茂にゆかりのある人物たちが「わたしの好きなみのかも」をテーマにコメントを寄せている。webでも閲覧可能。

——BEAMS JAPANとの事業の反響はいかがでしたか?

渡邉
もちろんメディアの反響はありましたし、若い人から感想をもらうこともありました。そもそも一般的に市役所の事業って、なかなか知ってもらえないし、興味を持たない人も多いのが現実です。でも今回は、市が直接取り組みを発信してもリーチできないような層にもBEAMS JAPANからの発信で情報を届けることができたと思っています。この知ってもらうためのルートを確保するのも大事なことなんです。

——BEAMS JAPANのバイヤーは美濃加茂をどんなまちだと捉えていたんでしょう?

渡邉
実際にバイヤーの方々がどう思ったのかは詳しくは分からないですけど、一つ確信を持って言えるのは、全国に誇れる産業や仕事が美濃加茂にはあるのだということですね。それを認めてもらっているからこそ、一緒に事業をやってこれたのだと思っています。

この企画に参加された市内の事業者さんで、元々BtoBでやられていたところがBtoCの商品を開発するようになったところもあり、嬉しい変化が起きています。

BEAMS JAPANのクリエイティブディレクター鈴木修司さん(左)と美濃加茂のまちを散策する渡邉さん(右)。(撮影:奥村凌大)

——ふるさと納税って、ついつい返礼品ばかりに目が行ってしまいますが、地元の企業が幅広く全国にものを売っていくための視点を育んでいけるというのが面白いですね。NTTアーバンソリューションズ総合研究所の仕事の中でよく自治体にヒアリングするのですが、そこで彼らからキーワードとして頻繁に挙がるのが「産業創出」です。ただ、産業っていきなり生まれはしませんよね。今の話を聞いて、既存産業の魅力UPを自治体がこんなふうにサポートできるのかと、すごくいいなと思いました。

渡邉
ありがとうございます。行政だからこそやれる取り組みだと思いますし、逆に行政はこれ以上手出しできないとも思っています。

人口の多さはまちの発展に関係ない


——「産業創出」というワードが出ましたが、他にも必ずと言って良いほど声が挙がるのは「人口減少」や「少子高齢化」です。これらについて美濃加茂市ではどうですか?

酒向
僕は、人口はまちにとってあまり関係ないと思っています。美濃加茂市では平成に入ってから人口が1万人増えているんですよ。それでも財政が厳しいと言われるわけです。では、隣の可児市のように10万人いればいいのかというと、やはり同じことが叫ばれています。数の問題じゃなくて中身の話でしかないと気づいているのであれば、単に人口を増やすための議論をやめて、どういう人がこのまちを構成するかの議論をしていくべきだと思います。

昨年退職するまで、まちづくり課で自治会のことをやっていました。加入率が下がっているというので調べてみると平成13年頃から美濃加茂市の世帯数が約7000増えているのに対して自治会の加入数は約700しかなかったんです。たったの10%です。つまり人を増やしたところで、地域と関わろうとする人はそんなにいないわけで、彼らに自治会への入会を勧めても現状は響きませんよね。たかが自治会って思うかもしれないんですけど、住民自治力をいかに向上できるかって、実はこれからの自治体運営においてすごく大事なんじゃないかと思っているんです。

戦後は人がどんどん増えるし、企業も進出してくるので、税収は必然的に増えました。税収増で行政はやりたいことができるようになったので、市民へのサービスをどんどん拡大していきました。役所は感謝され続けてきたわけです。

でもそれは昔の話で、今は人口が減り、働き手も減り税収も下がっています。すると、これまでのサービスは維持できないので、再び住民に担ってもらうよう仕向けていく必要が出てきます。そういう意味では今の行政職員って、感謝されていた昔とは逆に「今まではやってくれていたのに、どうしてやってくれなくなったの?」と言われるフェーズに入ってきているんです。

荒れた農地や山林、道路、空き家、増える高齢者……それぞれをどう支えていくのかという問題も、行政だけでカバーするのは難しいところに来ていて、だから住民自治力を上げなきゃいけない。かつては行政と住民が支えあってやってきたことを、いかに現代に再構築できるかを考えていく必要があると思います。

——酒向さんが「やまのはたへ」でやろうとしていることも、この「住民自治」に繋がっている感じはありますよね。

酒向
そうかもしれませんね。元々市役所職員時代に「誰かこんなことやっていないかな」と探してみたけれど、やっている人がいないので「じゃあ自分でやろう」と思ったことが私の「やまのはたへ」での活動のベースになっています。今は自分たちで農作物を育てることや、企業向けの農業研修や子ども向けの教育活動を行うのがメインの事業ですが、いずれも荒れた農地や山林をどうにかしたいっていうのが根底にあります。行政ではなく住民の側から問題にアプローチできるんだ、と思ってやっています。

——「やまのはたへ」の取り組みの中でも特に大きいのが子どもへの教育だと思います。畑や山を小さい頃から体験することの良さってどういうところにあるんでしょう?

酒向
最近、子どもたちが決められたことでしか遊べなくなっているんじゃないかと危惧しているんですけど、自然との関わりが少なくなっていることに関係しているんじゃないかと思っています。

自然の中では何をやってもいいんです。僕が子ども向けにやっている農業体験では、予定では田植えをすることになっていても、別にやらなくたっていいんですよ。虫取りに夢中になる子も入れば、泥の中を泳ぐ子も出てくるし、そういう子に「みんなで田植えをしましょうね」とは言わないんです。自分が何をやりたいのか、自分の意志で行動する力を養ってほしいんです。そういう力を当たり前に身につけるには、子どもの頃から自然に触れている方がよいだろうと思っています。

渡邉
ちょうど最近、同じことで悩んでいたんですよね。自分の子どもたちが、それこそ小さい頃から市内の里山で自由に遊ばせていたはずなのに、成長とともにどんどん受け身の人間になっているような気がして。

酒向
心配になりますよね。でも、大丈夫だと思ってます。子どもの適応能力はすごいですからね。普段は受け身になりがちな子も、意外と自然の中では自発的に自分の遊びを見つけ、ガーっと集中できたりするんですよ。その力を大人になっても忘れずに、社会の中で役立ててほしいですね。

そのアクションはまちを変えうるか


——最後の質問です。この地域想合研究室.noteでは、さまざまな主体による活動が互いに何らかの影響を与え、結果的にまちという姿で現れるものだ、と考えています。おふたりにとって、自分たちのアクションがまちを変えているような実感はありますか?

また、今後こんな自分に/美濃加茂になっていたらいいなという理想像があればお聞きかせください。

渡邉
まちを変えているという実感はまだ無いですが、市の職員をはじめ、自分の周りの人たちが、何かしらの目的をもってこのまちに関わってくれるようになってきているとは思います。
なので、まちの理想像としても、住んでいる人たちが、「ただ住んでいる」だけではないまちにしたいと思っています。目的や関心があるから美濃加茂に住んでいるみたいな。それが人だっていいし、場所だって、モノだっていいと思っています。その理由となるきっかけをこれからも市役所の職員として提供していきたいと思っています。

酒向
市役所職員時代の仕事から、今「やまのはたへ」で自分が取り組んでいることが、少数の個人の価値観に影響を与えうるのだろうとは思っています。でもまち全体が変わるっていうのは、同じような価値観を持つ人がマジョリティになることで、それは自分の代だけでは無理ですよね。だから教育が大事なわけです。まちが、社会が、ものすごく長い時間をかけて変わっていくための最初のひと押しを自分が担っていけたらいいなと思っています。
「こうなりたい」という人ですが、誰からも評価されるでもなく当たり前のように毎日畑に出ているおじいちゃん・おばあちゃんたちですかね。自分が食べる分以外に作物を育てて、それをおすそ分けしてくれる。こういうことを当たり前のようにやっている人が、僕の中での理想。最後はそんな人になりたいですね。

らんびーでのインタビュー収録風景。写真2枚目右が高木さん、中央が小野寺(編)

(2023年11月13日収録)


編集後記
街づくりで必ず話題になる「人口減少」。まちをこれまでと同じように維持するには人口も維持するしかない。しかし日本全体の人口が減っている以上、それも望めそうにない。であれば、右肩上がりではない別の価値を追求すればいい。実はこうした「金銭に由来しない豊かさ」や「良い面に注目して将来を検討していく」としている自治体は少なくない。意外と世の中で憂いているほど「人口減少」という現象は悪くないのではないかとも思う。課題はこうした考えに企業がどう寄り添っていくか。そんなことを考える良い機会になったことに感謝しています。(今中・齋藤/NTTアーバンソリューションズ総合研究所)

例えば僕のカレー屋という仕事のように、お店をやっている人の仕事というのは、多くの人の目に触れることもあって、わかりやすさがあると思う。かたや、市役所の職員の仕事は一目ではわかりにくい部分がある。だから、今回こうして彼らの想いを直接聞くことができたこと、そしてその仕事がまちを根本から支えているのだと身をもって実感できたことに感謝したい。日々刻々とまちは変化しているけど、おそらく変化の一つひとつに市役所の方々のサポートがなんらかのかたちで介在している。それを忘れてはいけない。(高木/らんびー)

美濃加茂に越してくるまで、住んでいる自治体の広報紙を読んだことがありませんでした。私自身も「自分が住むまちに関心を持たない人」のひとりだったのですね。市の予算、新市庁舎の建て替え、男女共同参画社会に関するトピックなど……さまざまな特集が組まれており、広報紙を読むだけでまちとの接点が増えたような気持ちになります。みなさんも手始めに自分のまちの広報紙をぜひゲットしてみてください。広報紙以外にも、まちの中で眼を凝らすと、まちに関するさまざまな情報に出会えます。それらから地域のイノベーターたる人々の活躍を知り、例えば「やまのはたへ」の活動を行う酒向さんのような人を応援するようになるかもしれません。自分の住むまちについてもっと知ろうとすると、自ずと生活が、住むことが楽しくなっていく。それを実感するインタビューでした。(小野寺/編集部)

聞き手:小野寺諒朔、高木健斗(らんびー)、今中啓太・齊藤達郎(NTTアーバンソリューションズ総合研究所)
構成・編集:小野寺諒朔(地域想合研究室)
編集補助:福田晃司、春口滉平
デザイン:綱島卓也

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