この映画を観ないまま生きていくことは、なんだか許されないことな気がする。
こんなにも苦しんで、泣きわめいて
怒り狂ってしまうくらい
誰かのことを信じきったことも、
誰かに信じきってもらったことも、ない。
1ヶ月くらい、ふとした瞬間に映画の一番嫌なシーンが
フラッシュバックみたいに頭に浮かんだ。
こんなにもトラウマになった映画は初めてだった。
ただの生活が、日常が、人間が、怖かった。
いつでも何処にでも狂気や残酷がまみれているという事実が、恐ろしかった。
この映画は、これまで私達が目を瞑ってきたこと、考えないようにしてたこと、見過ごしてたこと、知らないフリをしてきたこと、その全部を無理矢理ミキサーにぶち込んで混ぜ合わせて乱暴に目の前に突き出して、ほらちゃんと見て、匂いを嗅いで口に入れて咀嚼して飲み込んでみなよ。あんたにこれが消化出来る?出来ないでしょう。ざまあみろ。って、嘲笑っているかのような、冷たさがあった。
もう、この味を忘れることは出来ない。
この映画を観終わったその瞬間から、私はこの映画を一生掛けて消化していかなければならなくなった。
私は昔から「もしも裏切られたら」を想像してしまう癖がある。
実際に誰かに裏切られた時には「ほら、やっぱりね。こうなることは分かってたから大丈夫、全然平気。想定内。」って平然を装って、そうやって自分を守りながら、傷つかないように、傷つかないように、生きてきた。
どんなに近くにいる大切な人のことも、必ずほんの少しずつ疑いながら生きている自分は、おかしいんじゃないか。
100%何の疑いもなく信じることができない自分は、おかしいんじゃないか。
この映画は、そんな風に誰のことも信じることができなくなったひとを、誰かを疑う自分を責めているひとを、優しくドン底に突き落としてそこから強引に引っ張り上げて抱きしめて、そしてまた突き離して、背中に思い切り飛び蹴りを入れて、無理矢理前に歩き出させるような、そんな、とんでもなく乱暴でやさしい映画だった。
この映画は、お勧めできない。
100%あなたのトラウマになるから。
それでも、観る価値がある。物凄く、ある。
何かの縁でこの文章を読んで、見ず知らずの女が書く文章を疑いながらも信じて、もしもこの映画を観てみようと思ってくれた方がいたら。
トラウマを抱える準備をして、
覚悟を持って、再生ボタンを押してください。
一緒にこのトラウマを抱き締めながら、
背中に飛び蹴りを入れられて、生きていきましょう。
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