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百田尚樹vsKAZUYA、上念司のバトルは6年前にその兆候がありました

三品純さんの論説はいつも的確でとても参考になります。今回も、我々が気付かなかった視点を与えてくれたという意味では参考になるのですが、個人的には、どうも違うなというか、違和感がありました。もちろん、三品さんの主張を否定するつもりはないですし、そういった側面もなくはないのかな、とは思いますが、やはり、そこが本質ではないような気がするのです。

というのも、我々は6年前の東京都知事選挙で、今のトランプ現象と似たような光景を目にしているからです。

6年前、猪瀬知事が金銭スキャンダルから辞任に追い込まれて行われた東京都知事選挙、自民党は舛添要一氏を推薦したのですが、自民党とは無関係に、元自衛隊幕僚長の田母神俊雄氏も出馬しました。すると、いわゆる「ネトウヨ」たちは田母神氏を熱狂的に支持し、舛添氏に対して誹謗中傷、罵詈雑言の限りを尽くして猛攻撃を仕掛けました。

その誹謗中傷、罵詈雑言の大半はデマであり、しかも舛添氏の出自に関するものでした。事実に基づかない、明白なデマを以って、舛添氏を誹謗中傷した人たちと、現在の陰謀論支持者は、私は大部分が重なっているのではないかと推測します。たぶん「余命三年時事日記」なんかを信じてしまうような人たちなのでしょう。まあ、憶測でモノを言うのは良くないことなので、このくらいにしておきます。もちろん、舛添氏に対する事実に基づかない攻撃が行われていたというのは、憶測でも何でもなく事実です。

余談ですが、この知事選には他に細川護熙元首相と宇都宮健児氏も出馬していたのですが、細川支持者による宇都宮氏への攻撃もありました。この遺恨は2年後の都知事選にも尾を引き、鳥越氏惨敗の主要因ではないにせよ一因にはなったのではないかと思います。

そして、同年末に行われた衆議院議員総選挙でも似たような現象が見られました。日本維新の会から分裂して生まれた次世代の党を、彼らは熱狂的に応援しました。田母神氏も同党から出馬しました。この時は、特定個人を誹謗中傷するような動きはあまりなかったと思いますが、次世代の党は大敗し、田母神氏も落選してしまいました。すると、同党の支持者と思しき人たちの中から「不正選挙だ」という声が挙がりました。同調する人がさほど多くなかったためか、そういった声はすぐに鎮静化しましたが、そういった動きがあったことは事実です。

安倍総理が支持すると明言し応援演説にまで駆け付けた舛添氏に罵声を浴びせ、他の候補者を応援する。そして安倍総理が所属する自民党に背を向け、次世代の党や、あるいは日本第一党などを応援する。はたして彼らは「安倍支持者」なのでしょうか。

もちろん、その後、自民党に山田宏議員や和田政宗議員、杉田水脈議員らが移籍するなど、安倍政権と彼らが、ある程度親和性が高いことは理解できます。しかし彼らは安倍政権を守ることよりも彼ら自身のイデオロギーを守ることを優先しているように見えます。

なので、百田vsKAZUYA論争の主要因が「安倍ロス」とは、私にはどうしても思えないのです。なぜなら、彼らは、安倍政権を一応は支持しているものの、明らかに安倍に対して物足りなさを感じており、だからこそ田母神氏や次世代の党、さらには安倍政権を明確に批判していた日本第一党などが選択肢として現れると、いとも簡単にそちらになびく。そして彼らの大半はデマを簡単に信じ、そして韓国・朝鮮に対して差別的です。

もっと言うと、彼らは他罰傾向が非常に強いです。他罰傾向が強いというのは左派の特徴です。とすると、彼らは果たして保守なのでしょうか?右翼と保守は混同されやすいですが、他罰傾向の強い右翼はそもそも保守ですらないと思います。

ところで、百田氏とKAZUYA氏のバトルについてですが、私は明白にKAZUYA氏を支持します。というか百田氏を支持できる理由が見当たりません。同じような内容の文章をもう一回書くのはめんどくさいので、私が三品さんのコメント欄に書いたことをそっくりそのまま転載しておきます。

百田vsKAZUYAバトルというのは、私は正しくないと思います。なぜなら、少なくともこの件に関しては100%KAZUYA氏が正しく百田氏が間違っているからです。KAZUYA氏や上念氏らは決して「バイデン推し」ではありません。単に事実と願望を分離しているだけです。ですので、仮にトランプ氏が大逆転勝利をしたとしても、KAZUYA氏や上念氏らは立場上は困りません(ただしトランプ支持者のお門違いなバッシングに悩まされることにはなると思いますが)。しかし、百田氏は明らかに事実と願望を混同しています。そして、KAZUYA氏らに「バイデン推し」という明白な虚偽のレッテルを貼っています。つまり、百田氏は、仮に万一トランプ氏が大逆転勝利して続投することになったとしても、「だから百田氏が正しかった」ことにはなりません。百田氏は100%間違っており、100%正しいものと100%間違っているものの対立を、「バトル」と呼ぶのは、まるで対等であるかのような印象を受けます。もちろん、支持の声の多さで争うなら「対等」なのかもしれませんが、少なくとも私はそこではなく論理で争いたいですね。


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