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ショートショート「マスクジェネレーション」

「あー、やっぱり最初はビールに限る」

部長の長い挨拶のあと、待ちに待った乾杯とともに空けたジョッキをテーブルに勢いよく返した原口が、マスクを口に戻しながら唸った。

「なんだ、もう一人前の社会人だな」

クリアパネル越しに座る先輩の平尾も、枝豆を放り込んだ口を、忘れず律儀にマスクで蓋をしながら冷やかした。

「いや、今週やばかったっすよ。おれまじで1年目なんすけど、あれだけよく売りましたよ」

「そうだな。ま、俺のフォローがあってこそだけどな」

「はいはい、そうですね。優秀な先輩で助かりましたよ」

「嘘だよ。確かに1年目であれはすごいよ。俺も鼻が高い。そうだ。なんかほしいものあったら買ってやるよ。俺も1年目に先輩にこの名刺入れもらったんだ」

平尾がスーツの内ポケットから出した名刺入れは、高級ブランドのものではないが、上品な革製で、その艶から丁寧に手入れされていることが見てわかる品であった。しかし、原口は興味がないようだ。

「いや、ものはいいっすよ。ものは。今時」

「なんだ、じゃあ何がいいんだよ」

平尾が少し不機嫌に聞き返す。

「前から思ってたんですけど、なんでうちのチーム女子いないんすか。第4とか、半分くらい女子じゃないっすか」

「まぁそれは会社の方針だよ方針」

40代のチームリーダーが女好きで、実は過去に色々あったことは言っていない。変な先入観が入ると、仕事に集中できない。

「第4、今日も来てるんすけど、めっちゃ可愛いって噂の子がいるんですよ、あの右端の子なんですけど」

原口が目配せをする。

「あぁ、あの子。確かに。でもマスクでよくわかんないな」

「そうなんすよ!おれらって、ずっとマスクしてる世代っすから。もう中学出たくらいから。だからなかなかいい子見つけられないんですよ!SNSとかほとんど偽装だし」

「確かにそうか。もう、マスク生活も7年くらいか。俺が2年目くらいの時だから」

「で、だからちょっと平尾さんに紹介してほしいんですよ。第4の女子といつも楽しそうに話しているじゃないっすか」

「いや、話してるけど、あの人は先輩だし、なかなか頼みにくいな」

「てか、そこはどうやって繋がったんですか、そもそも」

「たしか、新入社員のころの懇親会かなんかで」

「ほら!マスクなし時代の栄光だ。てか、平尾さんの時って、ずっとマスクなしっすか」

「そりゃそうだろ。入社式も、飲み会も全部な」

「まじっすか。そんなの仕事ならないっすよね!俺、絶対ガン見っすわぁ」

「いやいや普通だろ。今でも食事の時は見えるし」

「食事中も、俺らほとんどマスクしてるじゃないっすか!」

横で黙って聞いていた2年目の中岡が突然割って入った。

たしかにパンデミックの後、飲み会こそできるようになったものの、食事中のマスクは「常識」となり、今日も全員が食事を口に運ぶ時以外は、マスクの着用をしている。

もちろん、自宅で開く食事会やプライベートの飲み会ぐらいであればそこまで徹底されていないが、少なくとも会社が主催するような飲み会はマスク着用はもはや義務と言える社会の雰囲気だ。

「そうっすよ。ほぼ顔なんて見えないんですから。こんなんじゃ恋愛もままならないんですよ」

「俺たちの青春はずーっとマスクだったんですよ。だから俺が彼女できたことないのもこれのせいなんですよ」

2人が交互に平尾を攻める。確かに最近メディアで「マスクジェネレーション」という言葉が流行り出している。90年代のロストジェネレーションをもじったもので、青春時代からずっとマスクの着用を求められ、普通の生活が送れなかった世代を言うそうだ。

確かに、恋愛はしにくくなったのだと思う。とはいえ、平尾はどうも納得がいかない。

「いや、そもそも、人を好きになるのは顔だけじゃないんだか・・・」

「よくあんな可愛い彼女いるくせにいえるな!!!」

今度は2人から同時に突っ込まれた。確かに、平尾は彼女と撮った写真をスマホの待受にしているので、仲のいい後輩はみんな知っているのだ。

そしてその彼女と出会ったのは確かにマスクをする前の時代ではあった。

「わかった、わかったよ。確かに、顔を見ることは大切だ」

「そーですよ。それも、リモートとか、だめっすよ。リモートは盛りまくりっすから」

原口が念押ししてくる。

「わかったよ。じゃあ、俺の家で飲み会でもするか」

「よっしゃ!」

平尾の言葉が終わるより前に、2人は同時にガッツポーズを決めていた。


結局、その日の飲み会も男3人で盛り上がり、女性と接することはなかった。これも「飲み会での移動禁止」ルールのためだと2人は主張していた。

2人と別れた後、人通りの少ない道まで来た平尾は、マスクをずらし大きく新鮮な息を吸って呟いた。

「マスクジェネレーション。えらい世界になったもんだ」

そして「そもそもあの2人、マスクのない世界でも彼女はできていたのかな」。そんなことを思いながら、少し笑った。


#2000字のドラマ



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