お釈迦様の仏舎利を分配するために建造された仏塔
紀元前486年、お釈迦様が入滅。
最後の説法を受けた人たちが、遺体を火葬し、仏舎利(ぶっしゃり)を祀り(まつり)ます。
ちなみに、入滅は釈迦や身分の高い僧侶が亡くなること。仏舎利はお釈迦様の焼骨。
その仏舎利をめぐって、お釈迦様にゆかりある部族で争いが。
そこで、仏舎利は八等分され、ゆかりある北インドの八地方に分配。
そして、仏舎利を納める建物として、ストゥーパを建設。
この八つのストゥーパが、仏塔の始まり。
お釈迦様入滅の約200年後、仏教を保護したアショーカ王は8つのストゥーパから、仏舎利を掘り起こします。
その仏舎利を納めるストゥーパを、インド全土に8万4000も建造。
仏教伝来とともに、仏舎利も中国、朝鮮半島を経て、形を変え日本へ伝来。
日本で最初の仏塔建造は593年。飛鳥寺の仏塔とされてます。
飛鳥から奈良時代にかけ多くの仏塔が建造されました。
仏塔は一つ目の重が右に揺れると、その上の重は左に揺れてバランスをとる構造。震災の多い日本において非常に良く出来た耐震構造。
現在、日本のほとんどの塔は三重塔か五重塔。
実は以前はもっと高い塔もあったけど、高すぎて落雷で焼失。何でも多ければいい、というわけではないか。。。
仏塔は三、五、七、九重と奇数。
これは、陰陽五行説(風水の基本になるもの)で、奇数が吉数だったためという説が有力。
風水って、昔から影響力大‼️
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