見出し画像

日本のクレーン会社で甦ったモアイ像

二週間くらい前にテレビで「世界不思議発見」を見てたのですが、倒れてたモアイ像が再び立ったきっかけは、この番組だったのだとか。

1988年に、同番組内で「倒れたモアイ像をもとに戻したい。クレーンがあれば。。。」と番組内で訴えるイースター島の知事。

番組の出演者の方も「クレーンさえあれば」とつぶやき。

その言葉がきっかけで、救済に乗りだしたのが、日本のクレーン会社「タダノ」。

1992年、「タダノ」はイースター島にクレーンを運び、倒れていたモアイ像15体を建て直しました。

費用はすべて「タダノ」が負担。

その上修復後には、そのクレーンを島に寄付。

学校建設等に使われたそうです。

カッコいいですね👏

自分は何もしてないけど、同じ日本人として誇らしいです😊


4~5世紀頃から、この島を支配していたのは、耳たぶが長い長耳族。

6世紀から祖先の霊を祀るため、モアイ像を造り出しました。

1100年頃から耳たぶの短い短耳族が移住してくると、長耳族は権力誇示のため、大量のモアイ像を制作。

やがて、人口増加に伴い、食料不足に。

部族間で勢力争いが勃発。

勝ったのは、短耳族。

彼らは、長耳族の象徴であったモアイ像を破壊していきました。

とりわけ、特別な力が宿ると畏れられた目の部分はことごとく破壊したのだそうです。


1862年、島に悲劇が。

ペルーの海賊船が約1000人の島民を奴隷として連行。

再び島に戻れたのは、わずか15名。

しかも彼らは、西洋の病気であった天然痘や結核を持ち帰ってしまい、免疫のなかった島民たちが次々に命を落とすことに。

当時推定1万人とされた人口は、1877年には120人にまで激減してしまったということです。


上陸日がイースター(復活祭)だったため、イースター島と命名したのは、西洋人として初めて島に上陸したオランダ人。

島民はずっと、輝ける偉大な島という意味の「ラパ・ヌイ」と呼んでいました。

でも この「輝ける偉大な島」は、疫病からかろうじて生き延びた人たちもやがてキリスト教に改宗。

島固有の文化は残念ながらほぼ消滅。

島の文字「ロンゴロンゴ」をもう誰も読めない。

その結果、島には多くの謎が残されることに。

美しい空と海と謎多き伝説の島「ラパ・ヌイ」

日本からすごく遠くて、行くのがものすごくたいへん😖💦

でも、いつか行けたらいいなあ。



#一度は行きたいあの場所

この記事が参加している募集

一度は行きたいあの場所

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?