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徳川家光の霊廟・大猷院(たいゆういん)

世界遺産「日光の社寺」というと、どうしても日光東照宮が注目されがち。

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実は 世界遺産「日光の社寺」は、日光東照宮、日光二荒山(ふたらさん)神社、そして日光山輪王寺(りんのうじ)の二社一寺。

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輪王寺とは、日光山にある数十の寺院の総称。

日光山の仏教寺院は、奈良時代末期、766年に勝道上人(しょうどうしょうにん)が、日光山内に四本龍(しほんりゅう)寺を創建したのが始まり。

日光山では、仏教と神道が融合した日本独自の信仰が育まれることに。

鎌倉時代に隆盛を極めますが、豊臣秀吉に寺社の所領を没取され凋落。

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そこから日光山を再興したのが、家康に重用された天海大僧正(てんかいだいそうじょう)。

天海大僧正と言えば、明智光秀 = 天海という説。

光秀は本能寺の変で織田信長を討ったあと、豊臣軍に追い詰められたけど、実は殺されずに 天海大僧正として生きていたという説。

この話は嘘か誠か?

真実味は低いけど、可能性がゼロでもないとしたら、それも面白いかも。

天海は東照宮の造営に伴い、日光山を霊場として再建。

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大猷院は、輪王寺のなかで唯一の国宝の建物。

ここは家光の霊廟。

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1651年 46歳で死去した家光。

「東照公(家康)のおそば近く侍(はべ)り仕え奉らん」と家光の遺命。

2年後、東照宮の西側に建てられた廟が大猷院。

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家光は、東照公の威光の決して邪魔にならないよう、自分の廟は控えめに造るように命令。

大猷院は東照宮より小さめで装飾もひかえめ。

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家光を祀る本殿は、鬼門である北東に向け建造。

これは、その方角に家光が崇拝する家康の霊廟、東照宮があったからと言われてます。

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大猷院は東照宮に比べると確かに規模は小さめ。

でも、建物も装飾も東照宮に負けないくらい素晴らしいものでした。

東照宮ほどは混雑していないので、比較的ゆっくり見学出来ました。




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