見出し画像

江戸時代にグローバルな活躍をした日本人・山田長政

山田長政という名前、聞いたことありますか?

歴史の授業なんかで名前は覚えてる人も多いかも。

自分も名前は知ってましたが、勉強不足でどんな人かはよく知りませんでした😣

実は 長政さん、結構すごい人。

駿府に生まれた長政の夢は武士になること。

けれど、徳川の時代になり太平の世の中。

立身出世が難しくなります。

画像3

1612年頃 長政は駿府の豪商船に乗り、密航しアユタヤへ渡ったとされてます。

そこから 10年足らずで異例の早さで出世。

31歳の頃にアユタヤの日本人町の頭領に。

同時に日本人600~800人の兵隊からなるアユタヤ国王の親衛隊長に就任。

アユタヤ近くに攻めこんできたスペイン軍を襲撃したときは、オーククンという貴族の称号を授与されることに。

商才にも長けていた長政は、日本だけでなくアジア諸国で、外国人の仲買商人として活躍。

アユタヤ王朝に大きな利益をもたらした長政。

当時の国王ソンタムから絶大な信頼を得てどんどん昇進。

遂には「セーナピモック(戦いの神)」の名を受けます。

1629年 貴族最高位のオークヤーに昇りつめた長政。

異邦人としては異例中の異例。人生のピーク。

画像4

しかし、ソンタム王が逝去し、後継者の長男ジェッダが即位後8ヶ月で暗殺され、その弟アデットウンが即位。

その頃から長政の人生に暗雲が。

王位を狙うオークヤー・カラホムの策略で、長政は反乱の多いリゴールへ赴任。

長政がリゴールへ赴任中、アデットウンも暗殺され、カラホムがプラサトトーン王として着任。

プラサトトーンが王になった事実を知らないまま、リゴールを平定し、一刻も早くアユタヤへ戻ろうとする長政。

しかし、リゴールでの戦いで負傷。手当を部下に任せると、傷口に毒を塗られてしまい無念の死😭

享年41。

黒幕はプラサトトーンという説もありますが、事実は不明。

長政の死後 アユタヤの日本人町は焼き捨てられ、日本人追放の報は江戸幕府にも伝わることに。

日本とアユタヤは絶縁状態へ。

その後 日本人町は、再建されましたが、戻った日本人はほとんどいなかったそう。

アユタヤ王朝に大きな影響を与えたと言われた日本人・山田長政。

アユタヤの日本人町は、彼の死とともに衰退の一途をたどりました。

画像2

現代では日本人もグローバルな活躍をする人も数多くいます。

けれど 江戸時代に海外で成功するというのは無謀にも近い夢。

海を渡るだけでも命懸け。言葉の壁もきっとあったでしょう。

想像以上にたいへんだったことでしょう。

たくさんの困難を乗り越えて、異国の地で成功した日本人・山田長政。

強運ももちろんあったでしょうが、絶対成功するという強い思いが、アユタヤ王朝で長政を栄光の道へ導いたのでしょうか。

画像1

現在の日本人町跡地は、静かで穏やか。

敷地にある2007年に建造された日タイ修交120年記念館が、両国の友好の歴史を伝えます。




この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?