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全ては不可逆

最近気づいたことです。
不可逆的なものは美しく、また全ては不可逆なのです
そして我々は不可逆という車輪の上で運命を享受しています。

今日では当たり前のこととして扱われていますが、まず宇宙はビッグバンという不可逆に作られました。
それが起きて私たちが存在する以上、それは無かったことにはなりません。

また、もう少しミクロな視点で考えてもこの原則に変わりはなく(芥川龍之介の)河童に登場する胎児のように発生途中の段階で出生しないことを選択したとして生まれぬことを決めた者は確かに過去に存在したこととなり、またその選択を認知したものがいるという不可逆を与えたことに他ならないのではないでしょうか。
遠い未来、本当にこのようなやり取りが生まれるかは分かりませんが仮にそのような世界が来たとしてこの不可逆性が変わることは無いと思います。ビッグバンという不可逆の元に我々が生じたので、そういうものなのだと思います。

この不可逆こそが、感動という感情の根本に関わるのでは無いかなと思いました。
最も単純な構造を挙げるならば、「誰かが死んだ、殺された。その死んだ誰かの仇を打った。」こういう物語で感動を呼び起こすことは最も簡単な手法だと思います。そしてまた、ここに不可逆があります。

大なり小なり私たちは不可逆を経験しています。
その不可逆を連想する何かを見せられた時に条件反射として感動というものが出てくるのかもしれないですね。
パブロフの犬のように。

もう居ない誰か、永遠に変わってしまった誰か。
記憶を失った誰か。取り壊された建物。
もう記憶にしか残らぬ誰かの言葉、面影さえ無き故郷。
そういうのって
なんか、いいですよね。

そのような、永久的に不可逆となった何かに対して
ずっと変わらず同じ感情を抱き続けられること
それこそが愛なのではないでしょうか。

私は創作家として不可逆を与え、作りたいと考えています。
それが創作家としての責任なのではないでしょうか。


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