🥇さま 33 サラエボ

147、カルトルとはユダヤ教礼拝の先唱者のことであり、イェシバとはラビ養成の神学校のことである。

148、『ウィーンは世界没落の実験場である』カール・クラウスより

149、1894年時の市外電話は最長でも10分しか繋がらなかった。

150、1894年頃は梅毒が流行っており、当時の治療には限りなく毒に近い水銀を服用したり、恐ろしい病原菌を死滅させるだけの高熱が出るようにマラリア病棟に行かせて、かなりキツイ治療方法だった。

有名人だとシューベルトとか

151、ウィーンは技術的にも芸術的にも栄えていたが、ハプスブルク家の皇太子(国民を見つめていた自由を重んじる人物)が愛人と共にマイヤーリンクの狩猟で自殺したことにより、ウィーンは少しずつ衰退していた。

152、ウィーンは当時ヨーロッパで最も自殺率が高かった。皇太子の死によって自殺率が少し引き上がってしまった。

多分これのせい↓

153、1894年時のウィーンは富裕層だろうと貧しい方々だろうと性病と自殺がウィーンの住民の命を奪っていた。

154、ヴァイトホーフェン決議でウィーンでは、その話で持ちきりだった。大学でも軍隊でも多くのユダヤ人が精進して力を持つようになったから、ドイツの愛国主義の党が過剰反応を起こした。ユダヤ人からしてみれば、高まる反ユダヤ主義から身を守るためにそうせざるを得なかったわけだけど。その決議によって、ユダヤ人は生まれたその日から人としての尊厳はないということになった。善と悪の区別もつかない人間以下の恥ずべき生きものにされた。ゆえに、どんなことわやしてもユダヤ人を侮辱したことにはならず、どんなに侮辱されてもユダヤ人は名誉の回復を求められなくなった。


とある美しくまとめてくれた読書レビューbloggerさんを発見したので参考にしてください。

オーストリアにおける反ユダヤ主義

1885年、オーストリアとヴァチカンが「コンコルダート(政教条約)」を締結する。「コンコルダート」とは、最初期には、聖職叙任の権利を教会と国家が争った叙任権闘争の解決策として結ばれたもので、皇帝は聖職叙任権を放棄し、教皇は司教の選出に皇帝が列席することを認めるという内容だった。その後、フランス革命(18世紀)を経て19世紀になり、近代国家が成立していく中、国家が教会の立場を認めるかわりに教会を国家の制限の下に置こうとする傾向の強いものとなった。国家が教会をコントロールすることが明確になったため、ユダヤ人はカトリック社会でより多くのマイナスを被るようになった。

オーストリアの政治に大きな影響を与えることになった最初の反ユダヤ主義運動は、ゲオルグ・リッター・フォン・シェーネラーと急進派学生グループに率いられたドイツ民族主義者のそれであった。この運動は、文化的反ユダヤ主義の潮流に端を発している。文化的反ユダヤ主義とはグラッテナウアーが理論化したもので、ユダヤ人を現実としてではなく、抽象的イメージとしてとらえるという特色がある。たとえば、ユダヤ人はドイツ人が嫌いで憎んでいたものすべてを代表しており「心理学的特質」としてのユダヤ性に重きが置かれていた。資本主義や合理主義は「ユダヤ的」とされ、演劇や思想書の中に戯画化されたユダヤ人が描かれ、それを非ユダヤ人が嘲笑する作品が人気を博した。

だが、この文化的反ユダヤ主義はドイツ民族主義学生同盟のような大きな影響力をもつ組織の内部で、しだいに人種主義的反ユダヤ主義にとってかわられるようになる。これら学生組織が反ユダヤ主義に転じたきっかけは、1875年におこなわれたテオドール・ビルロートの不運な演説だとされる。1877年には、「異民族に占領されつつある大学」を救うため、ユダヤ人メンバーを組織から除名するようになっていた。1881年に発表されたオイゲン・デューリングの『人種的、倫理的および文化的問題としての「ユダヤ人問題」』は、人種的反ユダヤ主義に理論的支柱を与えた。リンツ綱領(1885)を経て、1896年、悪名高い「ヴァイトホーフェン決議」が、すべてのユダヤ人は卑しい生まれであるから、ドイツ人と同等に扱われることはできないと宣言した。これにより、かつてドイツとの同化を夢見たユダヤ人はドイツ民族運動から完全に追放されるようになった。オーストリアにおける人種的反ユダヤ主義の台頭は、ユダヤ人の同化願望を打ち砕くとともに、その社会そのものを変質させ。破壊しつつあったことを明らかにしている。

キリスト教社会党の反ユダヤ主義(ウィーンの反ユダヤ主義)

ウィーンでは、人種的反ユダヤ主義はそれほど強い勢力とはならなかった。それはウィーン独特の反ユダヤ主義運動であるキリスト教社会主義が、大きな成功をおさめていたからだ。同党の成功の主因は、選挙民のあいだに充満していた社会的・経済的不公平感をユダヤ人にぶつけたことによる。同党の指導者、カール・ルエガーとその支持者たちは、反ユダヤ主義はウィーンにおけるさまざまな民族からなる市民がユダヤ人に対する反感で一致できると考えた。それはほかのどんな政治イデオロギーにもない利点があった。もともとのウィーン市民、「元チェコ人」「元ルテニア人」「元ポーランド人」「元ハンガリー人」のウィーン市民が反ユダヤ主義感情で一致できると。しかも同党は、かつての自由主義、民主派、ドイツ民族主義者、教権党、職人層のリーダーといった、異種分子の寄り合い所帯。反ユダヤ主義は、これら党内の多様な支持者を結び付けられる唯一の共通項であった。キリスト教社会党の選挙における勝利は、反ユダヤ主義によるものであったが、このような同党の基盤の曖昧さが、ウィーンの反ユダヤ主義をそれほど過激なものとはしなかったわけだ。しかし、同党の勝利により、社会における諸矛盾――経済的不平等、犯罪などを含め、自分たちの敵はすべてユダヤ人につながっていると選挙民に信じさせる結果となった。自由主義勢力に対して、「彼らはユダヤ人に奉仕する勢力だ」と攻撃を加え、自陣を有利に導くこともできた。こうした策略が自由主義を後退させ、社会を分断し、ますます自由主義者を孤立させていった。こうしたなか、同化の道を閉ざされたユダヤ人に、シオニズムと社会主義という、二つの希望が芽生えたことは注目すべきだろう。

ブルジョア政治の参加を拒否されたユダヤ人は、自分たちと同じようにアウトサイダーである労働者と同盟したのである。衰退した自由主義に代わって、社会主義の政治理論はユダヤ人に、自分たちが他の人々と同等に扱われることが可能になるという最後の希望を与えた。(P240)
ところが、ユダヤ人をみまった人類史的悲劇は20世紀、オーストリアの片田舎、ブラウナウから画家を目指してウィーンにやってきた男によって引き起こされる。

http://tokyotram.blogspot.com/2021/03/?m=1の『世紀末ウィーンのユダヤ人 1867-1938』についての読書レビューの一部抜粋

↑この方がその高い本を読書レビューして綺麗にまとめてくれました🥹💓🙏

155、ユダヤ教徒とカトリック教徒のハーフはめちゃくちゃ苦労した。ユダヤ人として扱われて迫害を受けてた側だった。

156、ウィーンには1894年時、毛皮の帽子を被ったハシド(1750年頃ポーランドのユダヤ教徒に起こった神秘主義的信仰復興運動のメンバー)がシナゴークに通っており、片言のインディッシュ語を話していた。


話全然変わるのですが
これ、どう思いますか(・ω・`)?
もうちょっと上品に喋ってくれたらありがたいのですが…(感情爆発込みプラス早口プラス簡単な英語。つまり聞いていて疲れるのに、『ん?(・ω・`)やばい、なんか見といた方が良さそう…。。。』)


ところで、こちらの動画って簡潔にまとめてくれているからわかりやすくてありがたいです。

各自精鋭人の皆さまは
ビビ‼️ってきた将軍は改めて歴史を調べると役に立つような気がします(´・ω・`)


🥇さまグループ3人(🥇さま、ヨンロックさま、上原さまにコメントでも書いたけど)
子供スパイは大体10歳くらいが多い模様で、確かにどの国でも10歳ばかり…
しかも、昔の歴史からずっと今現在まで10歳ばかりの子供スパイばかり…
子供がマフィアと繋がっている…
バングラデシュで7.8歳の子供が作成した服や靴を『made in Italy』と書いてあるけど、本当はバングラデシュ産でバングラデシュ人の子供が作っている姿を見て、またその信じられないくらいの器用なハイスキルの技術力を7.8歳で身に付けていて、さもこんな環境にいるのは当たり前の如く、その環境下でモクモクと過酷な労働を強いられている姿を見て何とも言えない気持ちになりました…

https://www.researchgate.net/publication/290210631_The_gangs_of_Bangladesh_Exploring_organized_crime_street_gangs_and_'illicit_child_labourers'_in_Dhaka

ドイツの大手自動車会社がウイグル人が強制収容所で作成した備品を使って人権問題で、悪質だって列挙されていましたが
ファストファッションやら、ダイソーとか安い物で良いものを買えるのは人権問題的なもので、どんどん列挙されるような気もするけど『made in China』ってきちんと書いてあるだけ、きちんとまともで良心的な方かな、いや逆にイメージ悪くなるのかなと、物価高でファストファッションやらダイソーとかには救われていた分、どんどん生活が苦しくなる未来が見えてきて、フリマアプリとかはメルカリとかは大儲けしているんだし、郵送費くらい値段が上がる前のままで負担してくれてもいいのに…とか思ってしまいます(´;ω;`)

なぜならば、ウクライナにせよガザ地区にせよ、他国の紛争にせよ、あそこまで行くとアナログ的なことで物事を解決できる能力が必要になるのに、そのアナログは結局はサイエンスの知識が必須になってくるという…

明日は我が身で、第二次世界大戦で大悲劇な人生を送った私たちのご先祖さまが平和な日本を作ってくれたけど、こんな時代だから日本もどうなるやら…なんたって、すぐ隣にある北と南で大騒ぎになっている、日本人ってだけで拉致されそうでどこの国とはストレートに言いたくないが、全ての読者さんには北と南で、あの国を指していると理解してもらえる…。あのヤバイ国の強制収容所ではいかに日本が最低かをめちゃくちゃ徹底的に強制収容所の学校(名ばかりの学校)で日本の悪口を延々と話しているらしい。因みに子供たちは教師から虐待受けているし拷問受けているし、歴史の授業で教官から語られる日本の悪口なんかどうでもいい、とにかく逃げたい。お腹空いたと思っているだけ…。。。。



アナログ活用出来る為の万が一の為のサイエンス(サバイバル術)は勉強した方がいいかもしれないと思うようになってきたこの頃…。。。。

この記事が参加している募集

#読書感想文

192,370件

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?