無題note

こんばんは。5月ですね。GWですね。雨ですね。
今回は自分の中学生時代の話をちょっとだけします。

そして、誰もが一度は思うであろう
「今までの人生であの時違う行動を取っていたらどうなっていただろう?」がテーマです。

自分の音楽記事以外のnoteを読んで頂いてる方は何度か触れている話題ですが、当方地元ガチャで盛大な外れを引きまして。

宮城県は柴田という町にある船岡という地域で幼稚園~義務教育までを過ごし、そこがヤンキー祭りの荒れてる地域でして。更にウチの学年は酷くて。
(地元に関しては如何にクソだったか、という事をむしろ啓蒙したいので特定を気にせず所在地をドンドン晒していく所存です、いま地元出てるし。戻る気無いし。)

幼稚園では家庭から持ってきた箸をゴミ箱に捨てられたり、犯行予告並みに悪口の書いたお手紙を有難く頂戴したり。
小学校では多少治安は良くなったものの、ほぼ毎日リアルジャイアンみたいなデカブツから泣かされてたり(たぶん10歳くらいまでで一生分の涙を使いすぎて今のデフォルト無表情になったんだと思います)

中学ではヤンキーが盛大に幅を利かせ、自分ではないもののリンチ・暴力によって学校を去ったり不登校になる同級生がいたり、そもそも授業が成立しない時もあったり、
恐らく全国の学校で煙草だー的な不祥事が見つかった時に行われる臨時集会的なやつ、ウチの中学では起こる問題が多すぎて緊急集会が週に最低1回は行われる定期集会になったり。そこで教員が涙ながらに「悪は勝っちゃいけないんだよぉ!!」とワンピースばりの迫真のメッセージを届けてくれたり。そしてその次週も無事定期集会が開催されたり。

自分は金品強奪とかリンチ系までの被害は無かったものの(ゲーム借りパクはあったけど)、
「不良の被害にあってる友人を助けようとしたら自分がターゲットになる」的なよくあるやつを体験しまして。
上靴に画鋲とか登校したら自分の机倒されてる系のテンプレは「あらら」って感じでノーダメで受け流せちゃうくらいの耐性はつきました。

まぁ教室入ろうとしたらギロチンの如くドア閉められたり授業中消しゴムや消しカスが飛んで来たりする実害ある系は勘弁してほしかったけど。
あと小学生~中1くらいまで仲良く会話してた女子の半数以上がさっとフェードアウトしていったのは現実ゥって感じでしたね。弱者には厳しい種の保存的な本能なんでしょう。その時に自分と話してくれた女子はマジ天使と未だに思ってます。

自分は一応シスジェンダー(男性です)で性の対象も女性なんですが、好きなタイプの子はと聞かれると「中学時代の自分とコミュニケーションをちゃんと取ってくれる人」がまず一番に思い浮かびます。ルックスは割とそっちのけです。リアルの飲み会とかでこれ言うと100%空気悪くなるので勿論言いませんが。

ちなみに机の油性ペンの落書きはエタノールで余裕で消せます。義務教育時代の数少ない学びです。当時の担任だった理科教師(女性)に感謝。何だかんだで彼女からは「人が仲良くなれるかのターニングポイントはお互いの価値観」と何度か言われましたが、未だに残ってる金言です。13歳でそれを理解する子がどれだけいたんやって話だけど。

そんな感じで地元に恨みつらみしかない自分は高校で自称進学校的な所に行ってからの大学進学で仙台へ、そして社会人になり関東へ脱出となった次第です。自分が未だ偏執的にnoteやツイッターでひたすら地元やヤンキーdisしてるのはこういう経緯です。(これでもあくまで一部の経験を書いただけですが)

あと「休み時間」って休めるんですね。まともな学力を持った「人間」が集まる高校に行って初めて知りました。チャイムとともに解き放たれる動物から「逃走中」の如くいかに逃げて被害を抑えるかのイベントだと思ってました。

ちなみに我が家は一応仏教で父親からは口癖のように「良い事をしたら神様は見てくれているんだよ」「いつか神様は絶対助けてくれるんだよ」と物心ついた頃から言われてましたが幼稚園~中学校の経験と親の教育の反動を経てがっつり無神論者となりました。たぶん不可知論よりは無神論派閥です。
自分が死んだときは葬式も戒名も説法も一切要らんのでコンビニのレンチン感覚で焼骨したあと宮古島付近の海とかに散骨して欲しいです。


話を冒頭に戻しましょう。
「あの時こうしていたら?」のif世界線の話です。

未だーにたまに思い返しては答えが出なかったりします。ちなみに予め言うと、別にトラウマとかではなくあくまで疑問の範疇の話です。魚の骨が歯に挟まって取れないわ的な感覚というか。そんなレベルの話なので安心して下さい(ここまでの文がちょっと重ためだったので)。

じゃあ何故思い返すか、というと「自分に選択権が(一応)あったから」ということです。

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー


中2の時の体育の授業の話です。
場所は屋内の道場的なところ、器械体操の授業前です。

上記の通り休み時間は自分達のような弱者男子にとっては休める時間ではなく、ヤンキー連中が通り魔のように運動神経悪い系男子に柔道技をかけてキル数を稼ぐお遊びをなさっていました。勿論自分もターゲットの一人です。

まぁ当然のように逆らっても良い事ないので「いかにダメージを少なくするか」のアレだったんですが
(自慢じゃないですが、この件とはまた別の際にヤンキーからパンチを繰り出された際、身を守るためのとっさのカウンターがクリーンヒットで決まってしまい、一瞬空気が止まった数秒後に不良のボスと取り巻きがブチ切れで背中に蹴りを何発か頂いたことがありました、反撃成功してもあんま得がないのです)

その際、何の技かは忘れましたが自分も軽く投げられ、受け身の際に手を捻ってしまったんですね。
その瞬間は「痛いけど時間経てば治るやつかな」と思ってましたがいざ授業に入り前転でもしようもんなら猛烈な痛みが襲ったので、授業中に痛めたことにしてその日はそれ以上運動せず見学しました。

そして何日か経っても一向に痛みが引かず。
自分は水泳部に所属してたんですが当時は秋から冬へ差し掛かるシーズンだったこともあり実質陸上部だったので手を使うメニューやらなければ言うほど困ってなかったんですが流石にこのままだとアカンな、と思い。親に症状話して病院行こうと。
どう説明しようか迷いましたが、結論から言うと授業同様「体育の授業で前転したら手捻った」と話して整骨院に連れてって貰い、骨折こそしてないものの骨に若干のヒビが入っており、その上あまりよろしくない方向に受け身の衝撃で曲がってしまったらしく即テーピング&サポーター案件でした。+お薬で2週間程したら無事自然治癒したのでめでたしめでたし。


そして今現在、「昔そんなこともあったなぁ」位でこの件そのものは自分の中で尾を引いているという訳では無いのですが、上にも書いた通り「どうするか自分に選択権があった」案件だったと思い返すのです。
具体的には「治療費が発生する怪我を負わせられたのでそれを両親(or教師)に言うか言わないか問題」。
(そもそもヤンキーからのターゲットにされた時点でその選択肢案件だろ、っていうのは言わんといて)

自分は当時不良からターゲット扱いされていることを両親には黙っていたので、経緯を正直に話そうもんなら別の学校の現役教師であり正義感の強い父は学校に乗り込むでしょう。で、たぶん治療費も相手の両親持ちになるでしょう。色々ごちゃごちゃなるでしょう。

で、教師に言ったパターンでも流石に封殺されることは無い(多分)(証拠不十分で自己責任扱いされる可能性もあるけど)とは思うのでお互いの両親呼び出しからの同ルートかと。

幸いにも我が家庭は荒れ果てた地元の中ではそこそこ常識人で構成された中流家庭で(だからこそ地元で浮いてた節も)貧乏ではなかったけど、自分も親も悪くないのに親に治療費を出させてる事に申し訳なさも有り。

ただいわゆる告発的な事をして、一瞬波が収まったとしてもすぐにそれ以上の報復が来ることは容易に想像付く訳で。

田舎の公立中学という「学校と家の往復しか存在しない世界」にいた当時の自分にとって、今となっては視野が狭いなとは思うけど「何で自分が悪くないのにお前ら(ヤンキー)のせいで不登校にならなアカンねん」ってある種意地のように皆勤で学校行ってたのよね。負けず嫌いというか。
(その負けず嫌いを現在に至るまで拗らせた結果、社会人になった後にそういった気質を持った上司と対立して病気になったりしたのだけれども)

学校生活を乗り切る上での障壁を今以上に困難なものとするのも如何なものか、と思ってたリスク回避の節もあり。結果、上記の通り「言わない」「自身の不手際で負傷した」というストーリーを選んだわけです。
まぁ言うても全治2週間ほどで、これが骨折だったりもっと大きな怪我だったりしたらまた別かもなので、怪我のラインが微妙だったというのもある。

今考えればあんな学校行かずに自宅学習しときゃええやん感もあったけどね。でも一応それなりに友人もいたし。部活だったりで完全に居場所が無い訳でもなかったので。
あといまの時代ならTwitterやらネットを駆使して匿名告発する方法もあったかな。当時はニコ動でやらないかとか言ってた世代なのでそんなテクノロジー無かったけど。

単純に法だったり「ただしさ」に殉じて傷害を受けたなら告発するべき!というのは分かるんです。むしろそれが有るべき姿だと。
ただ、当時その選択をし結果余計なリスクを負わなかったことで自分は何とか義務教育を耐えられたようにも思うのです。
告発することでもしヤンキーやその取り巻きの嫌がらせが自分の許容の一線を越えて、不登校の道を選び心が折れてしまったら、もしくは自分が耐えきれず暴発して新聞の一面を飾るような結果を招いたら?その後の自分はどうなっていたか?良くも悪くも今の世界線には居ないでしょう。

そう考えると、自分の作ったストーリーは一概に愚かだったとも言い切れないような気がします。ただ、また別のやり方もあったのではないか、泣き寝入りをする必要は無かったのではと大人になった今もたまに思うのです。

繰り返し言うと、この件についてはヤンキーが云々というより、「自分の選択」についてのモヤモヤが多少なりともあるというか。勿論明確な答え、正解なんてないのでしょう。
まぁ、単純に傷害自体は悪だろとは思いますけどね。

「悪は勝っちゃいけないんだよ!!!」まさにその通りですね。ただ現実、巨悪の前に弱者は傅くしか無いことも有る訳で。

未だにこの件についての答えは出ていません、
ただ、この件に限らずですが良くも悪くも「意地でも治安の悪い公立中を不登校にならず卒業する」という負けず嫌いを通したことで、その後自分の進む進路や職業だったりが自然と決まったり、何なら関東に出るという選択が新たに産まれ、今の自分があるのは間違いありません。別にそれを美談にしたくはないですが。

ifルートの世界線、自分のような小市民にもたくさんあります。
この記事を読んで頂いてる皆さんもそうでしょう。

別にこういう重い系に限らずとも、
ランチメニューでどのセットを頼むかなどの些細な問題や、異性関係でのアプローチ、会社での立ち回り等「あの時こうしてればどうだっただろう?」という事は往々にしてありますよね。それは単純な疑問であったり、取り返しのつかない後悔であったり。


自分にも数多あった選択肢を選び続けた結果、今この世界線に辿り着いた訳ですが。そして先日に今の半分くらいの年齢の自分が顔を出してそのifの選択を改めて求められた気分になったのです。

マジでこの件、受けた暴力とかそういう事じゃなく「自分の選んだストーリーへの疑問」が絶えないんですよね。


ちなみに、今後もヤンキーと地元は一生嫌いなままの人生で良いと思ってます。その選択肢は変わらない事は断言できます。


それでは、また次の記事で。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?