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同情と共感

「エッセイ」…って聞くと。
何だか妙に片意地張ったりかしこまってしまう
あたしがいました…。

こういう機会で自分の何かの経験が 
どなたかの前進する「きっかけ」になったり
何か「気づき」になれるとするなら…
あたしはこのエッセイを書き残して
よかったと思える時が来たらイイな…
と思い言葉を紡きます

⚠「命」や「他界」の言葉が並びます🙏
ご自分の体調を優先してください。




8歳の時に母は自死した。
当時のあたしは母が亡くなった事すら
わからなかった

あまりにも突然で
あまりにも自分の中で大きすぎる出来事で
受け止めたり現実として認めたくなかった
だけかもしれない

ずっと知らないフリしていられるなら
ずっと子供のままでいたかった…  

世の中…。社会というのか…。
病気や事故で亡くなる事には寄り添えても
自死で亡くなる事には
あまりに周りが家族を責め過ぎる風潮は
昔も今もそんなに変わらない…
責められた家族は家族内で責任のなすりつけを
始める
 
どれだけの言葉を並べても
いくら呼び慣れた名前を呼んでも
知りたくもない 見たくもない
母だけがいない現実…

当時8歳だったあたし。
母という存在が周りに与える
ぬくもりや優しさや強さがわからないまま
大人になって行った

周りから「母がいない」事で仲間外れや
容赦ない「差別」によりイジメに遭いだした

誰にも言えなかった
誰にも言ったらいけない気がして…
今の異常レベルの「我慢強さ」の原点は
きっと…その頃からなんだと思う

母がお星さまになってから
周りや親戚から
「うさちょん…。お母さんがいないから
かわいそう」

父の3番目のオバはあたしに会う度に
「お母さんは 何で置いて行ったんだろうね?
こんなにかわいいうさちょん …
かわいそう」

言われ慣れていたからか
そう言われる事に当時は特に不思議と
不信感もなかった

きっとそれが「あたりまえ」だったから。

学校で靴がゴミ箱に入っていても
それをいつしか自分の中で行き場のない感情を 
食べる事でごまかし
自分を慰め自分を守って来た

いつからかハッキリ覚えてないけれど
父がお酒に溺れるように呑み始めた時期があった 

父は…思春期になったあたしに性的暴力を
するようになった   

人前では
よく笑い母の他界を父のせいだと
責め立てられても相手に「攻撃」しないで
ただただ…、足の上で拳を作り耐えていた
のを子供ながらに見て来たからか…

生きる事に絶望しても
笑い飛ばして来た父だったから

あたしは、父にイタズラされても
それを兄や姉に話す事もなかった

母がお星さまになった13年後
2000/9/6
父は…大好きな漁に向かう最中にお星さまになった

父が亡くなった時 あたしは21になっていた。

今、 思うと父に守られていたあたしがいた。

この現実の全部が全部
目に見える事だけが真実であるなら
どんなに生きやすく楽なんだろうって
思った… 

皆がみんな…。
相手の気持ちや相手を本気で想う世の中なら
きっと  こんなに深く傷ついたままのあたし
じゃない気がする

かと言って周りがあたしのせいにして来た
事をあたしが同じ事をしても
何も変わらない…
同じ「土俵」に上がる価値もない…

父の遺体が死亡解剖が終わり帰って来た時

ただただ…。
取り乱し泣きわめくしか出来なかったあたし。

あたしは何されても父が大好きだった   

いつかバージンロードを歩く時には
絶対に父がいるんだと疑わなかった
絶対に何年経っても父は生きている
存在だと信じ切っていた

犯人探しを始めた親戚が
取り乱し泣きわめくあたしに
「お前が殺めたんだろ?」
「お前が酒を呑ませて事故に見せかけて
生命保険目当てだったんだろ?」

それって…。
例え誰かのせいにしないと 
気持ちが保てれなかったとしても
言葉にする必要ある…?
それって…。さ。。

甘えかも知れないけど
その言葉……姉も兄も。。聞いてた
けど誰1人 あたしをかばう人はいなかった…。

そうか。あたしが悪いんだ
あたしがいるから
あたしがいたから
こうなったんだ…

誰1人として否定してくれなかった
いつだったか苦しすぎてあたしの中で
それらを飲み込んだ

父が船で事故死した日 
県内の通信制の高校の通学日で
あたしは父に最寄り駅まで車で送って
欲しい約束をしていた 

ただあたしが生まれて来た事が間違いで
周りからの風当たりが強すぎるだけ
なのかもしれないけれど。。

父が亡くなって1週間経つか経たないか
ぐらいの時に
父の4番目の弟のオジが
「うさちょんさぁ なんで後 追わないの?」
「お前なんか生きてる価値もクソもないじゃん?」
「働いてもないし。ただ飯 食ってただクソして… 犬より価値ない犬 以下じゃん?」

忘れなさすぎて1文字1文字 
鮮明に覚えている…

時が経ち40代半ばになっても脳裏から
離れた事がない尖ったナイフより
鋭い言葉の影響力…
尖ったナイフなら一突きでトドメ刺せるけど
1度 投げかけられた「言葉」のトゲは
月日が経っても抜けないまま…

いつからだろう

「かわいそう」って言葉に
拒否反応が出始めたのは。。

「かわいそう」の意味を調べてみた。
→同情の気持ちが起こるさま。
ふびんに思えるさま。

「同情」の気持ち…
「ふびん」に思える…

姉が亡くなった8年ぐらい前までは
「かわいそう」って言われても何も 
思わなかった

あまりに言われ慣れていたから
感覚が麻痺していた

母が亡くなった後に周りからずっと
言われて来た
「お母さんいないから…かわいそう」

周りが何言おうが言われた側が
どう捉えどう思うかで未来を変えて行ける
気がした

かわいそう…。
あたし「かわいそう」って思われたくないし
見下されてる感じがするから
あたしは遣った言葉がない言葉
「かわいそう」

つい先日…ヘルパーさんに
「うさちょんさん
お体も大変なのに精神的にもボロボロで
かわいそう」
って言われまして。
 
人それぞれ感じ方や価値観違うけど
その時のあたしは…
そんな風に見下して楽しいん…?

ってなった

かわいそうって言われたらわかる景色あるけど

かわいそうって言われて
何も嬉しくないし。むしろ何も生まれない。
なんなら不信感だったりマイナスなモノしか…。。

無神経な言葉を投げかけられて来たからか

あたしを大事に想ったり大切にしてくださる方には同じ想いはしてほしくないから
言葉の重みを伝えて行きたい

同情されるより共感される人でありたい

🏵ツライ今は  永遠には続かない🏵

最後まで読んでくださりありがとうございます。








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