あなたのラベルではなくあなたの名前を教えてほしい

この話題を書こうかどうか、ずっと悩み続けていました。何度か試みては、筆を止めていました。私の中で答えは出ている。でもそれを表に出すことが正しいかどうか、わからなかったのです。
このまま何も言わずにいようとずっと思っていましたが、いろいろと考える機会があり、思い切って自分の思いを書いてみます。

あくまで「自分の思い」です。批判をするのであれば、実際に触れある程度研究した上で論理的に行わなければならないと考えていますが、そこを省いたので、「私の考えたこと」の域を出ていません。あくまで「こういう捉え方をした人間がいる」という程度の話ですので、その前提で読んでいただけたらと思います。


「HSP」という概念が、どうしても苦手です。

何年も前、日々にとても悩んでいた頃(今も悩んでいますが、現在に至る段階よりも前)、自分の揺るぎやすい心に答えを見出そうと、私は必死になっていました。
その時に見つけたのが、「HSP」でした。

私は「これこそが答えかもしれない」と必死になって情報を読みました。自分にはかなり当てはまる。そうか、私はそうなのかもしれない。
とても説明がしづらいですが、私は「そんなのどうでもいいよ」と他人が怒り出すようなことまで気になってしまうことがあったり、他人の悪意のようなものに敏感すぎるきらいがあります。良く言えば繊細ですが、精神がいつもすり減っていて非常に疲れやすく、常に「生きづらさ」を抱えて生きている状態です。子供のころからそうでした。誰しも程度の差こそあれ心のうちに持っていることだろうと思いますが、私の敏感さのようなものは少々異常の領域だろうと考えてはいます。もちろん、何に対しても「繊細」なわけではないですけど、周囲の人からも「純粋過ぎる、繊細過ぎる」と何度も言われ、心配されながら今日まで生きてきたのです。
このもてあます自分の心に解決法なり理由なりを見つけることで楽になりたかった。私は追い詰められていました。

ですが、ひとつの情報だけで判断してしまうのは尚早です。情報については、特に未知の内容については、必ず複数の情報にあたり、裏を取ることを習慣づけています。
そうやって調べていくうちに、私はある疑問を持ちました。性格や気質に関する概念なのに、たとえば公的機関や医療機関などのサイトに、この概念の事が全く載っていない。

どうやら、これは医学的根拠に基づいた概念ではない、というのが通説のようです。ここ2、3年のうちに登場した理論ならともかく、もっともっと前から提唱されているにも関わらず、医学の世界で取り入れられていないということは、確かに根拠に欠けるのだろう、と私は判断しました。

根拠がなければいけない、というわけではありませんし、精神的なことには明確な答えが出しづらいように感じるため、医学が必ずしも正解とは言えないかもしれません。ですが、専門家の検証を経て医療の世界に登場する概念にそこまで破綻したものはないはずです。そうでなければ医療は崩壊してしまうでしょうから。
その観点からいけば、「HSP」の概念が自分に当てはまる、だから自分はHSPである、と判断するのは完全に主観ということになります。つまり、自称です。HSPかどうかを明確に判断する信頼できる体制はおそらく存在していないのでしょうから、そうなります。

あくまで自分の考えですが、このように結論付けた時点で、私は「HSP」を自分の安心のために利用する事は放棄しました。この概念は、私を助ける答えにはならない。曖昧な概念を自称する気にはなれなかったし、何より強い違和感を抱くようになっていました。「自分の直感」という非常に曖昧なものですが、人に対してであれ物事に対してであれ、初期段階から「違和感」を感じた場合はほぼ間違いなく、その一件は私にいい結果をもたらさないのです。

こうして私は「HSP」にブレーキをかけました。自分でかけたというより、自分の感覚が強制的にブレーキをかけたような印象です。ブレーキをかけてからは、自分にとっては不要な概念なので、基本的には忘れていました。


しかし、この「HSP」を耳にする機会はだんだんと増えていきました。その中には、HSPの概念を広めようという活動をされている方々もいました。直接頼まれたわけではないですが、その方々の中には、この活動や情報を拡散してほしい、協力してほしいと声に出している人たちもいました。

私は悩みました。その人たちが自分の信念から活動しているのであれば、自由に行えばいい話で、その是非を問うつもりはありません。が、私にも協力するかどうかの自由があります。納得のいかない内容は、たとえ尊敬する人や好きな人、応援している人の頼みであっても、信念を曲げてまで協力することはできません。
要するに、納得のいかないHSPの概念の拡散に協力はできないと思ったのです。その方々の中には、別の観点から応援している方もいました。だからとても悩みましたが、同時に私にはとても嫌な予感がしていました。
私が拡散に協力した所でほとんど効果はないでしょうが、そうすることで必ず後悔するだろうと思った。何故なら、医学的根拠に欠ける「自称」の概念を不用意に広めたという自責の念にさいなまれることは明白だったからです。

根拠に欠けるものの市民権を得ている概念などいくらでも存在しているのは事実です。たとえば占いなどはその最たるものでしょう。
自分は天秤座のO型だからこのような性格である、だからこのようなことに気をつけて自分を扱ってほしい、と言われたら、大抵の人は「この人ちょっとヤバいのかな」と思うくらいで、本気にはしないのではないでしょうか。何故なら、占いは曖昧なものという共通認識があるからです。
占いも使い方次第で、その人の心を落ち着かせ、未来に希望を持たせることができます。未来に「勘づく」ことは占い師でなくても起こりうることであり、そのアンテナが人より優れている人物がいてもおかしくはないでしょう。そのような占いの特性を個人的に利用することは構わないと思います。
ただ、「天秤座のO型なんだから絶対にこのようにしなければならない」などと言って他人に強制するようになれば話は別です。あくまで個人にフォーカスしているからこそ、「占いは曖昧である」という共通認識に基づいて、ひとつの方便として成立しているのです。

HSPとおっしゃる方の「自分はHSPだからこのような人間である、理解してほしい」という主張は、上記の「天秤座のO型だからじぶんはこのような人間である、理解してほしい」という主張と何も変わらないように思えます。
ただし、決定的な相違点があります。占いはこれまでに挙げたとおり、曖昧なものという共通認識が我々に存在しています。だから「話半分」に聞くことができる人も多いだろうと思います。しかし、HSPは一見、医学の領域のように思わせてしまう雰囲気をまとっています。実際には根拠があるかどうかもよくわからないものなのに、悩んでいる人や信じ込みやすい人に、これが正解のように受け取らせてしまう可能性が十二分にある。治療効果のない代替医療や、何も救わないスピリチュアルと変わらないような気がしています。
たとえ根拠がなかったとしても、その人がこの概念や治療やスピリチュアルによって楽になったのであれば、それはそれでいいと思うのです。でも、だから他の人にも知ってほしい、広めたいというのはまた違った話だと思います。情報をどのように受け取るかはその人自身の問題ですが、他者にどのような情報を伝えるかは、まずは伝える側の問題です。地に足のついていないように感じる概念を広めることが正しいとは私にはどうしても思えなかった。無責任だと感じました。

HSPだから、繊細だから、だから自分はこうである、と決めつけてしまい、それ以上考えようとしない。HSPだから繊細だから、他者の意見に耳を貸さない。この人はHSPだから大切に扱えと強制する。HSP同士で傷を慰めあい、進歩しようとしない。病や障害であると認めたくないばかりに、HSPという「わたあめみたいな概念」を利用する。
こういった事態を招きかねないと私は感じました。それはとても恐ろしいことで、解決したと思っているのは本人だけだと。実際には周囲の人間を困らせているのに、その事実に向き合わず逃げてしまうだけの結果になることすらあるのではないかと。

独特の感性や繊細さを理解してもらえない苦しさは私もよく、本当によく知っています。だからこそ、この曖昧な概念に逃げてはいけないと思っています。だって、「じゃあどうしたらいいのか」ということがまったくわからない。自分をラベリングして安心するだけなら「HSP」じゃなくても可能なはずです。
そもそも、HSPという概念を持ち出してまで、繊細さを理解してもらう必要があるのでしょうか。生きづらいことはよくわかっています。でも、自分に合わせてもらう必要が本当にあるのでしょうか。HSPとして自分を扱う人より、「ちょっと変わってるけど繊細で面白い○○さん」と個性を受け入れてくれる人の方がよっぽど自分にとってはかけがえのない人なのではないですか。それができる人には「HSP」など不要なはずです。その逆に、「繊細でない人」をあなたが理解できないように、「繊細な人」をどうしても理解できない人もいるのです。その人たちにまで、「HSPだからわかってください」と言うことが本当にあなたや世界を幸せにするのでしょうか。
繊細で生きづらくて困るのは、人生を破壊してしまう危険性をはらんでいるからですよね。そうなると、生きづらい人に必要なのは、もっと現実的なことのはずです。たとえばベーシックインカム。心を病んだかもしれない人に、とにかくまず治療を受けさせるための補助。それは「繊細な人」を理解できなくても可能なことです。システムを作ってしまえばいいのだから。しかし、そういったシステムの根拠にするには、HSPはあまりにも曖昧です。

私にはとても恐ろしく映った。私が強い不安を感じて警戒したことがまさに「HSP」のそれなのではないかとも思いました。けれど、HSPの概念に捉われている方々が、私を受け入れることはないのだろうと思います。少なくとも、一部の方々からそれを感じています。HSPの話とは直接関係はないでしょうが、遠因はそこにあるだろうと私は予想しています。私は協力をしませんでしたから。
私は「理解できないおかしい人」とおそらくは受け取られている。そのように思われたであろうことに、それより以前に協力ができないと感じる自分に、私が非常に悩み、苦しみ、悲しんだことにその人たちは気づかない。繊細で人の気持ちが分かるはずのHSPや、HSPの人を理解しようとしている人のはずなのに…。HSPの人に生きやすくなってほしいのではないのですか?結局、自分や自分の好きな人だけが生きやすくなればそれでいいのですか?隙間から伝わってくる悪意が、私にはつらすぎる。
そう、HSPなんて関係ないんですよ。単にその人の問題なんです。私は、そう思っています。


私と同じように、自分もHSPかもしれない、でもどうしても何かが違う、と感じている人はいるんじゃないかと思います。人知れず悩んでいらっしゃる方もいるのではないかと思います。私にはその違和感に「根拠」をもたらすことはできませんが、私なりに違和感の正体を追い求めた結果、私はこのように考えるようになりました。
正しいか間違っているかはわからないけど、ここにも違和感を感じた人間がいますよ、とただそれだけを言いたくて書きました。

本当に純粋な気持ちで、誰かを苦しめるつもりなどなくHSPの理論を推奨しようと考えた人がたくさんいるのだろうと思います。だからこそ言えなかった。
でも、私はずっと苦しかった。協力できない、受け入れられないことをはっきり言えないのが苦しかった。その人たちを傷つけたくなかったから。でも、私はこれ以上耐えられそうにありません。
金銭や名誉、賞賛は簡単に人を変えてしまいます。純粋な気持ちの人々が、心ない人々などに食い荒らされてしまわないことを、遠くから祈っています。

うまくまとめることができませんでした。微妙な話なのに、まとめることができないまま載せてしまい申し訳ありません。こういったことを考えてしまった人間もいるのだ、という程度に流していただければ、と思います。

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