ミッション迷子案内②
「神崎…さん?」
思わず、半疑問形で尋ねていた。
研修期間中ずっと見せていたクールな雰囲気は、今の彼のどこからも感じられない。それどころか、別人かと思うほど爽やかだ。
邪気のない笑顔で、神崎は隣の座席に腰を下ろす。男性が苦手で不慣れな真朱は少しどきっとしたが、悟られないよう平静を装いながら、尋ねた。
「神崎さんも水上バスで帰るの?」
「うん、そう。せっかくだから。面白そうだよね」
本当に、彼だろうか。けど、今ここで、この場所で自分の顔も名前も知っているのは研修のメンバーしかいないし、そもそも神崎と呼んでも否定しなかった。
「…いつの間に着替えたの?」
「さっき。もう帰るから着替えちゃった」
スーツが入っているのであろう収納ケースを手に、神崎は微笑む。
「そのトランク、神崎さんのだったんだ…」
「そう!可愛いでしょ」
「お姉ちゃんの借りたとか?」
「ううん、自分で買った!可愛いから買っちゃった」
嬉しそうにキャラクターの名前を連呼する神崎の背景に、ガラガラと崩れていくビルの姿が見えた気がした。ビルの名前は「イメージ」である。
真朱の動揺をよそに、水上バスは出発した。吹き抜ける初夏の風が、心地良く頬を撫でていく。
「わあ、動いた」
一瞬動揺を忘れて、心が弾み始める。見ると神崎も、明らかにテンションの上がった表情だ。
都会の姿を両手に眺めながら、バスは水上を走る。やはり、これを選んで良かったと真朱は思った。
しかも、まさか神崎もこの便に乗るなんて。自分と同じことを考える人間がメンバーの中にいるなんて、しかもそれが神崎だなんて、考えてもいなかった。
「行きはどうやって来たの?朝は水上バスだと間に合わなかったよね、研修に」
「電車で来たよ。電車の乗り方わかんないから、絶対迷わないように始発の駅の近くのホテルにしたの」
ウキウキとした様子で景色を眺めながら、神崎は笑顔で答える。
「電車の乗り方が…わからない…?」
「うん!僕の出身地、みんな車に乗るから滅多に電車なんかみんな乗らないの。だから乗り方知らないよ誰も」
…誰もってことはないだろう、たぶんあなただけだ…、と真朱は喉元まで出かかった言葉を飲み込む。だんだん、神崎のキャラクターが掴めてきた気がする。
「車に乗るより電車の方が簡単だと思うんだけど…」
「いやいや、簡単だよ車なんて」
自動車学校の卒業検定に3回落ち、4回目でやっと合格して「こんな難しいこともう一生やらない」と心に決めている真朱には、神崎が言っていることが本気でわからなかった。毎朝の通勤時間に見かける、私立小学校の生徒の姿を思い出す。小学生だって乗れるのに。切符買うだけでいいのに。
しかし、神崎は本気で電車の方が難しいと思っているらしい。その言葉から、神崎の素朴な人柄が見えてきたような気がした。この人、可愛らしいいい人なんだ。ちょっと、いやかなり変わってるけど…。
川べりに、白いワンピースの姿が見えた。周囲には撮影機材らしきものが並んでいる。アイドルの写真でも撮っているのかもしれない。遠目なので顔はわからないが、きっと綺麗な女性なのだろう。
思わず、手を振ってしまった。誰も自分を知らない大都会で、解放的な気分になったらしい。
真朱の姿に気付いたアイドルと、撮影スタッフが手を振り返してくれる。気さくな対応に、真朱は嬉しくなってますます手を振ってしまった。
そんな真朱の姿を、神崎はびっくりしたように半笑いで眺めていたが、そのうち自分も手を振り始めた。手を振ってしまってから、キャー、なんて照れながら顔を覆っている。
「君、面白い子だね。飲み会の時は全然わかんなかった。大人しい子かと思ってた」
「ああ、猫被ってたから」
喋ると個性の強過ぎるらしいキャラクターがバレてしまうのと、少々人見知りなので、真朱はできるだけおとなしく振る舞っていた。どうやら、見た目と中身が一致しないタイプらしい。
あなたの方がよっぽど面白いですけど、と真朱はまたも、喉元まで出かかった言葉を飲み込んだ。あなただって、飲み会の時はこんなキャラクターだなんてまったくわからなかったですけど。
水上バスの旅は終点に近付きつつあった。名残惜しさのほかにもうひとつ、真朱はある不安を胸に覚え始めていた。
楽しそうな神崎の横顔に、目をやる。
この人、ちゃんと自分の地元まで帰れるんだろうか…。
→第3回に続く
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