アルタイルの行間③

「おい春輔、いい加減にしろ。お客さん困ってるじゃないか」
厨房から背の高い青年が姿を現す。涼しげな顔立ちを麦穂に向けると、ご不快な思いをさせて申し訳ありません、僕たちの教育が行き届かないもので、と頭を下げた。
「痛い痛い痛い、そんなに押さえ付けるなよこの馬鹿力!」
下を向かせるために自分の頭の上に置かれた手を、春輔は必死で払いのけようとする。

「なんだよー、貴秋だって絶対感動するって。俺、ホントに感動したんだよ」
「確かに、非常に美しい文章でした。貴女には才能があると僕は思います。是非、きちんと完成させてもらいたい」
貴秋の言葉に、春輔も麦穂もあんぐりと口を開ける。
「すまない、この馬鹿が机の上に置き去りにしたまま掃除をしていたものだから、うっかり読んでしまったんだ。申し訳ない。申し訳ありません」
貴秋は、改めて深々と頭を下げた。麦穂はもう、どこか諦めてしまったようである。いえ、忘れていったわたしがそもそもうっかりしていたんですから、と涙目で返した。

「ふーん、“浴衣の君”から見ても、やっぱり心が打たれたんだな」
「なっ、お前どこでそれを!」
「こいつ、高校の頃ファンクラブがあった程モテたんだって。学園祭の時に浴衣姿で演劇に出たのがきっかけで、バレンタインなんて下駄箱からチョコが溢れ…って何すんだよ!」
貴秋は春輔の口を腕力で塞ぎにかかる。確かに、貴秋の整った顔立ちは目を引く、と麦穂も以前から思っていた。
「冬二郎だな?冬二郎の奴が喋ったんだな?!くっ、あいつ余計なことを…」
「いいじゃねーかよ、褒められてるんだからよー」
春輔は鬼の首でも取ったようにニヤニヤしている。
「良くない!貴様に余計な情報を与えるとろくなことにならん!いいか、その話は忘れろ、いいか今すぐ忘れるんだ」
「いやー、“浴衣の君”はテストに出る重要単語だからなー、しっかり覚えちゃったんだよなこれがー」

般若のような形相で春輔の頬をわし掴む貴秋と、もがもがと何か叫ぼうとしている春輔の、小学生のような低レベルの喧嘩を目の前で見せつけられた麦穂は、たまらず吹き出してしまった。どうやらツボに入ってしまったらしく、そのまま笑いが止まらなくなる。
「ほらほら、二人ともいい加減にしなさい。申し訳ありません、私の教育が行き届かないものですから」
デザートのケーキを片手に冬二郎が近付いてくる。貴秋とおんなじこと言ってら、と貴秋に羽交い締めにされたまま春輔が悪態をついた。

テーブルに置かれたケーキの皿を見た麦穂の目がきらきらと輝いた。
「2個?どうして2個?!2個、食べてもいいんですか?!」
「ええ、どうぞ。従業員がご迷惑をお掛けしたお詫びです」
「そんな、構わないのに…。でも、ありがとうございます。わたし、このチーズケーキ大好きなんです。今までに食べたチーズケーキの中でいちばん美味しい」
冬二郎は顔をほころばせた。ケーキを作っているのは冬二郎なのである。

「それはありがとうございます。どうかこれからも、懲りずに店にいらしてくださいね」
「ええ、もちろん。このケーキ食べられなくなったら、わたし生きる楽しみ無くなっちゃう。初めてこのケーキを食べた時、びっくりしたんですよ。初めてシリウスの輝きを見つけたあの日みたいに素敵だったんだもの」
遠くの星空を見上げるようにうっとりと語ってしまってから、麦穂は自分の口から出た言葉に気付いて再び真っ赤になってしまった。
「あ、あの、変なこと言ってごめんなさい。わたし、星が好きなんです。だからいちばん好きなものを星にたとえてしまうことがあって、あの…」
「こんな美しい言葉で褒めていただいたのは初めてですよ。作った甲斐があります。とても嬉しいです、ありがとう」
冬二郎の穏やかな笑顔に、麦穂はホッとしたような表情を浮かべた。

そうだった。あの映画館に入ってみたのは、名前に惹かれたから。
星の、名前だったから。
それだけ、だったのに。


④へ続く

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