見出し画像

勇気をください

過去に消えた人間関係を修復させたいと、願ったことはあまりないのだけど、1人だけそう思う人がいる。

私は10年以上文通をした人に、もしも叶うなら、もう一度手紙を書く勇気がほしい。

中学2年生の時に文通を始めて、10年以上続いた。1度だけ電話で話したことがあるけど、会ったことはないし、会おうとも思わなかった。今でも会うかといわれたら、迷うかもしれない。

私には、かけがえのない人。学校で孤立しても、不登校気味になっても、友達が一人一人消えていっても、病気になっても、そばにいてくれた人。

文通をやめるきっかけになったのは、私かもしれないし、相手の問題だったのかもしれない。

正直、よく分からない。

その人がある思想家のような人に憧れて、遠くのまちへ行くという手紙を受け取った。研修をうけてみて、さらによい人だと思ったと書いてきて、私はものすごく不安になった。

思想家という人たちのことを、私はよく知らないし、みんな同じように怪しく思えてしまった。気をつけて欲しくて、そんな怪しげで危険なことをしてほしくなくて、小姑みたいなことを書いてしまった。

それからしばらく、また文通は続いたけど、それまで不和というものは何一つなかっただけに、その思想家のできごとが、文通が終わるひとつのきっかけになったのは、間違いない。

遠くのまちへ行って、これまでのように手紙が書けないから、文通をおしまいにしましょうと書かれて、その人との文通は終わった。

私が返事を書いても、一切の返事はなかった。

関係は終わった。

ひたすら、寂しかった。毎日毎日ポストを覗いて、最後に書いた手紙の返事を待った。年賀状だけは書こうと出しては、ポストを覗いた。

返事はなかった。

引っ越したことを伝えてないので、今はポストを見たところで、手紙がないことはよく分かっている。

文通が終わってもう何年にもなるのに、まだ私はその人から手紙が来たらいいなと思っている。人間関係には賞味期限があって、それが切れたのだと言われても、私の中では何も終わってない。

未練がましい、身勝手な願いだ。そう分かっているから、今更手紙を出す勇気がない。

もしも叶うなら、手紙を出す勇気がほしい。そしてもしも叶うなら
、あの時、その人の行動を責めたかったわけではなく、小うるさい説教がしたかったわけでもなくて、ただ心配と不安だったと伝えたい。

何を信じても、私はその人のことが大事だと言えたら良かったのに。それまでのその人が優しさや親しみを裏切るようなことをして、自分の狭量さに恥ずかしさを感じていると。

……言えたらいいのに。書けたらいいのに。

できないのは、自分に自信がないから。自分の言葉を信じてもらえなくても仕方ないと、割りきれないから。そういう傲慢さがある限り、手紙は書いちゃいけない。

もしも叶うなら、私に勇気をください。かつてのその人の優しさに感謝していること。もしその人がいなければ、私は今生きていないくらい、かけがえのない存在であったこと。そんなその人を、信じないばかりか、批判するようなことをして、ごめんなさいと謝りたいことを。

伝える勇気がほしい。

#もしも叶うなら #日々 #日記 #文章 #エッセイ #毎日note #毎日更新 #手紙 #文通 #勇気をください #自分を乗り越える

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?