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ホームシック逃亡劇ー美大時代の日記帳⑦ー

大学1年の夏休み、私は1度だけ、ひとり暮らしの部屋から逃亡したことがある。

原因は情けないことにホームシック。
しかし当時の私にとってそれは笑い事ではなく、19年目の人生で初めて味わったまさに地獄の時間だった。

もともとひとり暮らしに憧れはなく、高校生になっても親としょっちゅう出掛ける子だった私は、自分が県外の住人になるという生活を受験が終わるまでぜんぜん想像できていなかった。
ひとり暮らしは楽しい事もあったが、入学から日が浅くクラスメイトと出掛けるほどには仲良くなれていない状態で迎えた夏休み。アパートに引きこもり課題ばかり描いていた私にとって、唯一にして最大の楽しみは実家への帰省だった。

課題(絵)も残していたため、帰省は2週間のみ。その期間、私は地元の友人と日替わりで会ったり、親と買い物に行ったり、実家のハムスターと遊んだりと十二分に満喫した。久しぶりにおいしいものを食べまくり栄養過多で鼻血が出るほどだった。

夢にまでみた実家は、帰省前に想像していたものと何かが違った。
荷物の抜けた元・自室。広々としているけれど年季が目立つ家。居心地はいいけれど、両親の隣にいる自分が以前よりなんだか不自然に感じた。
「私はもう、この輪の中にいるのではなくて、違う世界で自分の居場所を確立しなくてはいけない時期にきているのだ」と、体が自分に教えてくれているような気がした。
それは少し淋しかったが、同時に安心する感覚でもあった。残りの夏休みはまだまだ長い。私は金沢でちゃんと生活していける。そう思って「しらさぎ」に乗り、実家からひとり暮らしの部屋へと戻った。

その翌日、ふたたび金沢から名古屋へ戻るしらさぎに乗るなんて思いもよらずに。

なんでこんなことになったのか自分でもわからない。けれど、前日に金沢に戻ってからというもの、涙が止まらないのだった。

なんで私は金沢美工を選んでしまったんだろう。
泣きながら歯磨きし、せっかくカレーの材料を買って帰ってきたのにご飯を炊いただけで終わり、炊き立ての1合をそのままタッパにつめながら泣いた。かれこれ19時間も断続的に泣いていた。しゃっくりも止まらない。

帰省中に会った友人が早々に大学を辞めたという話や、授業をサボりがちな学生に「美術を本気で好きじゃないならさっさと辞めた方がいい」と教授が言っていたのを脳内で幾度も再生した。正直なところ、美大に入ってからというもの、課題をこなしていくだけで自分が絵を描くことを楽しいと思っているかどうか私はわからなくなっていた。
けれどまだ引っ越して4カ月足らず。
家具だって新しい。自分の気持ちだけで勝手に決められる話じゃない。

けれど。

このまま実家に電話をかけてもクールな母はあまり慰めてはくれないだろう。ひとり暮らし経験もある父なら話が通じるかもしれないが、まだ会社だし、第一電話でうまく話せる自信がない。
私は悩みに悩んだ末ついに「現実から逃げるしか生きる術がない」と決断し、小さな鞄だけひっつかんで、午後6時53分発のしらさぎ16号に飛び乗った。


夜、11時頃実家に着くと、朝から何も食べていない私に母は梨を振る舞ってくれ、父は何も言わずにオリンピックを見ていて、ハムスターたちは檻の中で寝ていた。
「電車の中でもずっと泣いてたの?」と母に尋ねられ、やっと少し苦笑できた。私は風呂を使わせてもらいすぐに寝てしまった。

翌朝、偶然にも昨夜実家もカレーだったらしく、母のカレーを温めなおして食べた。仕事に出掛ける前の母と少し話し合い、グズグズはしたが、思っていることは話せた。
母を見送りベッドに戻り、また眠り、お昼に起きたらけっこうすっきりしていた。そして帰宅した母にあっさりと、
「明日か明後日金沢帰る」
と告げた。父にもメールを打ち、心配をかけたことを謝ると「明日の朝に散歩にでも連れ出して話を聞こうと思ってた。あんまり深刻に考えるな」と返事が来た。
「何も冬休みまで帰れないなんて思わないでも、1泊だって帰ってこればいいじゃない」と母が言うのでスケジュール帳を見てみる。9月は色々予定もあるし難しそうだが、10月は3連休もあるし、11月は休講期間もある。それを超えたらすぐ冬休み。
なんだ、あっというまじゃないかと思った。
母が言った。
「気分転換に、猫は無理だけどハムスターでも飼ったら?」

「ジャンガリアンはここにいるやつだけですか?」
店員さんに訊いて、いちばん小さい女の子のハムスターを選んだ。生後1ヶ月ほどのブルーサファイア。とても可愛い。泣きべそをかいて帰ってきた一昨日とはうってかわって満面の笑みで実家に帰った。

私は金沢から逃亡してきた小さな手荷物と、出会って数時間のメスのハムスターを抱えて、名古屋駅まで送ってくれた父と母を車に残し、ひとりでしらさぎに乗った。土曜なので子どもたちが賑やかだ。取り乱してウォークマンも持ってこなかった私は、約3時間の道のりをハムスターの名前を考えたり、ときどきゲージを覗き込んでハムの無事を確認しながら過ごした。
怒涛の4日間だった。
日頃ひとりで居ることが苦でなく、悩み事を相談しないタイプの自分が初めて追い詰められてひとりじゃどうしようもなくなり、衝動に任せて逃げた。けれど、結果的にはこれで良かったと思う。物事は何一つ解決していないが、行動を起こしただけでこんなにすっきりするとは思わなかった。
もし、あのまま我慢してアパートで泣き暮らしていたら一体どうなっていたことやら……想像するとゾッとする。
そのとき、広げていた文庫本の一行に目が留まった。

「……だって、わたしは現実なんだもん」。

当時の私のバイブル、島田雅彦の『僕は模造人間』(新潮文庫)。主人公の恋人、ちづるの台詞。込められた意味は私が現在感じているものとは全く違うが、その言葉が、主人公・亜久間一人の胸に響いたようにしらさぎに揺られる私にも響いた。
金沢まであと20分。


そして私は、2日前まで牢獄だと思えた部屋に戻ってきた。もあっとした熱気に包まれた和室にハムスターの居るゲージを持って佇み、なんとかこの場所で主導権を握ろうと、息苦しい喉に唾を飲み込み、まず窓を開けた。
無事に到着したことを告げる母への電話中、また涙がにじむ。人間というのはそんなに良く出来てはいない。しかし母にも発破をかけられ、なんとか電話を切りテレビをつけた。オリンピックはいつの間にか終わり、ニュースは日常のものに戻っていた。食欲も徐々に出てきて、数日前冷凍したご飯でチャーハンを作った。「おいしい」と思える自分にほっとした。
ハムスターは静かに眠っている。


金沢にふたたび戻り、気分のアップダウンを繰り返しながら数日後、久しぶりにバイトのシフトに入った。バイト仲間の人たちが挨拶とともに「久しぶり!」「あれ?髪切った?」と話しかけてくれることが信じられないほど嬉しくて、ああ私、ちゃんと現実の金沢で生きている人間だと再認識できた。

これ以降、卒業までの4年間で私は徐々に帰省の間隔が開いてゆき、4年生の冬には、大好きなバイトのカウントダウンイベントに出勤したくて、ついに金沢で年を越すまでになった。

あの夏休み、衝動に任せて大学を辞めなくて良かったし、父母が甘えさせてくれながらも金沢に戻れという姿勢でいてくれたことに今でも感謝している。



その後、ハムスターには「テロ」の名前がつきました。

テロ20220718_22405354_0001

↑今回発掘された写真!




今週もお読みいただきありがとうございました。たいていの経験は書くことに抵抗がない私ですが、さすがにこのホームシック事件だけは恥ずかしくてあまり人にも話したことがありません…。でも、こんなめちゃくちゃな状況下でも日記のノートを持ち歩いていたんですよね……。しかしそのまま公開するのは私の人権に関わるので(それほどひどい内容だった…苦笑)起こった事だけを整理して書きました。

これから夏休み。私のようにホームシックに襲われてしまうかもしれない新入生・新社会人の皆様が、無事に今日も生き延びられますよう祈りつつ。

◆次回予告◆
『よみきりエッセイ』生きているとだんだん入り混じっていく方言の話。さて問題です。「かいとかんとかん」。どんな意味かわかります?

それではまた、次の月曜に。


*恥ずかしくも愛しい日々。金沢での大学生ライフはこちら↓



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