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(美大日記㉒)変化の春

2000年代。まだ新幹線が開通する前ののんびりした石川県金沢市で、美大に通いながら、ひとり暮らしの日々を綴った『美大時代の日記帳』。
プライバシー配慮のため、登場する人物・建物名や時期等は一部脚色しておりますことをご了承ください。
それでは、開きます。

変化の春

2年という、短い時間でかくも人は変わってしまうものか。

テストも出席率も一番やばかったフランス語を「C」判定でぎりぎり乗り切り、無事3年生に進級することが決まった春休み。
しかも夏・冬休みと違って課題制作もない。これまでならひゃっほうとすぐに帰省していたのに、今回はバイトに明け暮れ、予定日を1日遅らせのんびりと名古屋へ帰った。ホームシックどこへやら。

なんだか色んなことが変化している。
一番は、子ども時代を過ごした実家が建て替え中で、まもなく引っ越しがある。現在は父・母・弟が狭いアパートで仮住まい中。そして親と、今回初めて呑み屋へ行った。
これまでは父しか呑めなかったが、娘(私)がハタチでお酒解禁になり、少しずつたしなむようになった祝いに。しかし下戸な母は、だらだら楽しみたい呑兵衛の気持ちがわからず早々に帰りたがる。店を出る前、レジカウンターの前で「恋みくじ」なるものを発見。「女の子はタダ!」と書いてあったので、こっそりもらってきた。中吉。
「温かく誠実な人を選びなさい。愛の扉が開かれます」とあった。

2週間の帰省中、ほぼ毎日誰かしらと約束していた。
東京の大学から同じく帰省中の友人A、高校の友人Bと東山動物園、同じく高校の友人Cと大須で古着屋めぐり、小学校の友人DとEは、別の日にそれぞれの家へと久しぶりに遊びに行った。
この部屋で、よくお互いに描いた漫画やイラストを見せ合っていたなあと思い出す。Eはもう絵を描くのはやめていて、当時自分が描いた漫画も「捨てた」と言うのに、私があげた絵や、ファックスに添えたイラストなどはきれいに保存してくれていて驚いた。

化粧も毎日するようになった。これまで口紅や目まわりのポイントメイクだけだったのが、近頃ではファンデーションやチークにまで手を出している。そんななか、友人Rが志望校に落ちた。
「一週間は人と会わないつもりだった」
すっぴんだったが本人が言う程目は腫れていない。狭いアパートには大きすぎる我が家のテレビで、Rの春休みの日課である甲子園とBSで放送中の『巨人の星』を、黙って並んで観た。星飛雄馬が巨人の入団テストを受けている回だった。

「予感って当たらないもんだね」

Rはつぶやいた。こんな未来は予想外だったらしい。だがしかし、今年は浪人を継続せず、おとなしく地元の美大へ納まることを決めたという。「皆がなぐさめを言うから、もーいーよ。何も言わなくてってかんじ」というので私は黙って巨人の星を観続けた。



初めて人に告白し、まごうことなき失恋を経験したのもこの春休みだった。

振られた帰り道、家族の待つ平和なアパートにどうしても帰りたくなくて、衝動的にバスを降り、深く考えずRに電話した。
指定したデニーズに、Rは謎の言い訳をしながらやってきた。
「今日、夜のおかずコロッケだったんだよね。だから来たの。私あんまりコロッケ好きじゃないから」
据わった目でいきなり白ワインを頼みだす私にビビリながら、「そういえば、例の人はどうなった?」と訊くので
「さっき振られた」
と答えた。
その日は朝までカラオケをし、すっかり明るくなった誰もいない道路をふたりで歩いた。空気が澄んでいて気持ち良かった。デートの気合みなぎる私のピンヒール音が、早朝の静寂にやけにうるさく響いた。
「そういうのばっかり履いていると外反母趾になるよ」
とRが小言をいった。


帰宅後は昼頃まで寝て、目覚めると母がパートから帰るまでの間ひたすらテレビで韓流映画を観ていた。帰宅した母から、「なんか、テレビずっと見てるようで全然見てない感じだね?」と鋭いことを言われた。ちなみに母は、私の告白も失恋もばっちり承知している。
そうこうしているうち夜になり、父が帰宅するというメール。母はいそいそとベランダへ移動し、父が乗るバスが来るのをじっと待っている。この部屋は6階で眺めが良く、ちょうど窓からバス通りが見えるのだ。なんて素晴らしい夫婦であろう。
失恋に打ちのめされ中の娘は、そんな母の背中に向かって皮肉交じりに「ねえ、お父さんとお母さんって結婚する前からそんなラブラブだったの?」と尋ねると、

「あっ、お父さん来た!じゃあちょっと迎えに行きがてら(建築中の)家の方みてくるね~」

と娘の問いかけなど聴こえぬままバタバタと出て行った。ぽつんと残された私は、今更ながら、気がついた。

母は、ずっと私に「告白はやめとけ」と言っていたのである。何故かと言うと理由は簡単、私の想い人にはすでに彼女がいたからだ。それを承知で告白したのである。奪うとかそういう気持ちはなく、完全なる自己満足のために。おそらく母は、断るしかない相手にそんなことを言うのは迷惑だからとか、負ける試合をわざわざしてどうするとか、そういう理由で忠告しているのだろうと私は思っていた。
けれど違った。
母は、そんな見ず知らずの他人の迷惑を心配したのではなく、私が、面と向かってちゃんと「振られた」ら、それなりにやっぱり傷つくことがわかっていたから言ったのだ。それなのに私は、振られるのはどうせ最初からわかっていたことなのだから、仮にそれが現実になったからってさほどショックは受けるまいと考えていた。

ばかだ。あほだ。

例えわかっていたことだとしても、やっぱり傷はつくんだよ。


春休み最終日、名古屋駅まで父母が送ってくれた。駐車場を探す運転手の母を残し、父が改札までついてきた。
「私の代わりにこれに乗りたい?」
としらさぎの切符を父に差し出すと、
「そーしたいなあ。引っ越しも大変だし」と笑った。
改札の向こうから振り返ると、まだ父が居て手を振っていたので私ももう一度、手を振った。するといつのまにか母が追いついて、ふたりの背中が名駅の人波に消えた。
しらさぎの窓からは、海が見えた。

金沢の部屋へ帰る。名古屋から戻ると、短期間なのに実家のテレビの大きさに慣れてしまうから、いつもアパートのテレビの小ささにびっくりする。

畳の匂いに包まれて、私の金沢生活3年目が始まろうとしていた。





今週もお読みいただきありがとうございました。先日、北陸新幹線の敦賀開業に伴い、名古屋からしらさぎで行けるのはついに福井県の敦賀までとなってしまいました(この日記の頃は金沢どころか富山まで行けました)。
あなたは、どんな春を迎えていますか?

◆次回予告◆
『おでかけがしたい。』記憶の中の志摩、不思議ドライブ。

それではまた、次の月曜に。


*これまでのお話はこちら↓


*大丈夫。人は成長する。を記録した黒歴史↓


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