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繊細さ(HSP、エンパス)をポジティブに使えるようになるコミュニケーション法


「生きづらさの総合商社」とあえて自分を表現します。

とは言っても、十分恵まれた家庭に育ったし、本当にしんどい環境の中育ってきた人から見たら「全然恵まれてるじゃん!」と思われる方もいらっしゃると思います。

私の場合、どんなことに生きづらさを感じ、「生きていたくない」という思いが強かったのか。
いつも自分自身と自分の周りとの間に「膜」のようなもの(コロナ禍であちこちに見られたアクリル板やシートのようなもの)があるのを感じ、保育園〜学校や組織では決して「馴染めていない」、同じ空間にいるのに全く異世界にいるような感覚。
他の人たちと「一体感を感じた!」というような経験も得られなかったし、そのことで「疎外感」や他の人たちを一歩引いて見ている自分、「自分のことなんて誰もわかってくれない」という寂しさや悲しさがつきまとっていました。


「自分は他の人とは違うんだ…普通じゃない…」

他の人との「違い」、発想力や独創性、読んだ空気感とアウトプットが見事に一致した時の成果を、とても認めてくれたり、魅力的に取り扱ってくれる人たちもいてくれたことで、私は生き生きと充実した時間を過ごすことができ、その人たちには感謝してもしきれません。

そんな幸せを感じられた時代(時間)や、良好な関係を作れていると感じられる人間関係があった一方で、
「おかしいんじゃないの?精神科行ったら?」と言ってきた上司もいました。

「自分は他の人とは違うんだ…普通じゃない…」
それを私自身はどう思っていたのか?
私だけの最高の魅力、と思えていたのと同時に「ここにいてごめんなさい」という申し訳ない気持ち、いたたまれない気持ちも持ち合わせていたし、場合によっては今でもその気持ちが年に数回程度ですが出てくる時もあります。

申し訳ないという気持ちが大きくなるにつれ、いかに周りの人たちに迷惑をかけないように過ごすか、という気遣いの方にエネルギーを使うようになって、なるべく自分が関わらないようにという方に意識が向かうように。

ここから離れよう。
私がいるとみんな嫌な気持ちを抱いて時間を過ごすことになる。

相手が「いなくなって欲しい」と言った訳でもないし、むしろ「いて欲しい」と言葉で言っていたけど(今振り返ればわかること)、私はさようならを選択することが多くなり、人と距離を置くことで自分を守るのに精一杯になっていきました。


人との違いや、繊細さん(HSP、エンパス)の能力があることで苦しい期間が長かったせいで、いったんそれらの機能を「オフ」にしました。
苦しみは減ったけど、充実感も減った。私が喜べる機会も失ってしまったから。

せっかくならそれらの能力が人の喜びのために役に立てないか?
それができた多くの体験が私を幸せな気持ちにしてくれたこともあった記憶が忘れられず、(どんな時も)ポジティブな魅力に変える方法はないか、ずっと探し続けていました。



もがき続け、何度も人との関係性や組織内での不快な出来事が起きたことで、私はあきらめずに探し続け、、、出会いました!ついに見つけました!

"アドラー心理学の目的論をベースにしたコミュニケーション法"をスクールで実習、日常の場で実践すると不思議なことにすぐにあっさり手応えを感じられて、威力を発揮するのを実感したのです。

だからこそ、多くの"コミュニケーション"に悩んでいる人に伝えたいと思い、(書きたい範囲が大き過ぎて、なかなかまとめられないのをがんばって)書きたいと思っています。


「この苦しさの出口なんて存在しないんじゃないか…もう私なんていないほうが良いんじゃないか…」

人との関わり方でこんな思いを抱いている方、私の体験が少しでもお役に立てたら幸いです。


簡単に家庭環境など自己紹介をしていきます。
父親は従業員5名ほどの会社を経営、家族に対してはとても厳しかったものの、地域では影響力を持った(色々な会長を務めたりしていた)存在。
私の記憶の中では、母親はそんな父親と「仲が良い」という場面をあまり見たことがなく、母親は父親の会社で経理職として支え続けていた。
(奇しくも、私も経理のキャリアが20年。)

3人兄弟の末っ子。兄ふたり。私だけひとまわり違って誕生。甘えん坊。
小学校に上がる前の年頃の頃、父親にとって私はよっぽどかわいい女の子だったのでしょう。行きつけの喫茶店などあらゆるところへ私を連れて回って、仲間たちから「こんな可愛い子いたの?!」と声をかけられ嬉しそうに話す父親。「予定外にできた」と「大人の会話」の最中、その雰囲気から小さい私なりにそれも楽しかった。
(もしかしたらその頃耳にしていた「予定外」という表現法に自分自身を必要以上に「特別な存在」と捉えてしまった結果、私のセルフイメージに繋がったのかも?)

甘えん坊キャラでうまくいくことも多かったが、いつしか誰かに言われた「甘えん坊は良くない」という言葉にとらわれ、無理して自分のキャラを殺して大人になろうとして、結局うまくいかず、拗らせたパターン。
現在は「甘えん坊の私、オッケー!」と"自己受容"の過程を経たおかげで、生きやすくなれたのと、幸福度上昇。


▶︎"幸せ"というのはどういう状態を言うのか。その感覚がよくわからない

「自分は幸せじゃない」

側から見たら(条件で見たら)幸せそうに見えていても、自分では『自分らしい幸せ』を感じられていない人も少なくないと思います。


不快に対しては敏感だけれども、積極的に「これをしていると幸せだなあ〜」と自分自身が感じられている"快"の状態にはちょっと無頓着。。

「◯◯だったら幸せ」と誰もが憧れる幸せが明確だった時代はいつの間にか終わっていて、人それぞれが幸せを感じるポイントは違うし、違って良いんだと多くの人たちが気づき始めたけれども、具体的に描けない・・・与えられないとわからない。

幸せな条件が揃ってない。
私が描く幸せの状態になっていない。
不足ばかりに目が行く。
"不快"にはすごく敏感。
実はそこには"快"も存在していること、それを十分に味わい、幸せなことに無頓着。
そうか!「幸せ」ともっともっと感じて良いんだ!!!と自分の意識がいかにほかの部分に行っていたのかに気が付いたのはつい最近。

「自己肯定感が低い(自己肯定感を上げるには)」とか、「発達障がい(ADHD)」「アダルトチルドレン」「インディゴ(スターシード)」…
完全に自分探しジプシーになって、様々なワードに「ピン!」と来て、講座に通いまくった結果、どうだったか。

「完全に これが私だ! というものは見つからなかった」

それはどういうことかと言うと、「誰かの解決法(やり方)はその人にとっては正解かもしれないけど、私にはそれじゃなかった。」

「こうやって生きると良いよ!」と言われて、
「そっか!そうやって生きたら良いんだね!」
と全て採用できているならば、誰もこんなに苦しんでない。

占いや「運の上げ方」を知ってそれを取り入れて、ただ目の前の"不快"(問題)が解決されればしばらく「平和」でいられて、そしてまた問題が起きて・・・を繰り返し。。。
まるで春の花粉症みたい!

自分だけの正解の見つけ方。
(※年齢やその時の状態によっても自分の正解も変わります。
 変わって当然と知っておくと、楽になれると思います。)


生きていると本当に色々なことが起こります。
自分の人生で予想もしなかったようなことが起こったりするものです。
自分を守るために、自分の感情を殺す、という行為につながることもあります。
配偶者が遺書を残して失踪、1週間ほとんど食事もせずに捜索したことがありました。
家族や警察関係の方たちから言われる言葉を、全て私が引き受けるしかありませんでした。(ほかの方法があっただろうに、その時の私はそうするしかなかったです)


「もういい加減、新しい人生を生きなよ!」
という人も現れ、魅力的な道筋を示してくれた人たちもいた。
でも私は「それじゃない」といつも感じていて。

そこからどうやって私は、私らしい!と思える正解を見つけることができたのか。
それは過去の良かったことも、もう体験したくない!と思うようなマイナスな出来事も出し切るということ!
そして、未来についても起こって欲しいこと(プラス)と絶対起きて欲しくない(マイナス)を描いてみる。


一人で取り組むよりも、他の人とやってみると様々な体験や価値観を知ることができます。「こうなったらいいな」という条件を描くのではなく、身体そして、その瞬間に身を置いたときに感じる味や匂い、音など五感全てを使って
そうすることで、忘れていた記憶や、価値観も出てきやすくなります。


「未来の目標とか夢なんて、描けないし。
そんなの、今の行動の積み重ねでしかないし。」
と、アツく夢や目標を語っている人を見るたびに、描いてみろと言われるたびにそう思ってた私です。

けれども、この方法で未来について考えてみたら、描くことができたんです。
それは、他の人には描けない、私だけの、私だからこそ辿り着ける(気がする)未来が目の前に広がってました。


▶︎「今が思い通りじゃないのは◯◯が原因」という考え方よりも、『目的論』を採用して行動したら人生変わった


「無意識」「潜在意識」という言葉を聞いたこと、ありますか?

潜在意識は95%ぐらい、表層意識(潜在意識とは対義で、気がついている意識)は5%ぐらいと言われています。

それらを現すのによく、「氷山」の絵が使われます。

いらすとやさんから

海上に現れている部分が「意識(表層意識)」、海面より下の部分を「無意識・潜在意識」、こんなふうなものだよ、と。


自分の潜在意識を知る方法は「目の間に起きていること」でわかると言われます。

それってどういうことでしょう。

95%の意識のほうが現実を創り出している、と。

「そんなばかな!こんな現実望んでいない!!」

そんな風に思っちゃいますよね。
私も、そうでした。

「だから、潜在意識と表層意識を一致させましょう」
と多くの書籍にも書かれています。

しかし、世界3大心理学者のアルフレッド・アドラー(1870〜1937、オーストリアの精神科臨床医)は「潜在意識と表層意識は相反する関係ではなく、協力的な関係である」と。

同じく世界3大心理学者のフロイトが「無意識」という部分を発見したことで有名ですが、この無意識の領域が影響を与えている、と。

アドラーは「人の行動は全て目的がある」と言いました。

「あの経験をしたから、今わたしは●●なんだ」(原因論)
「今わたしが●●をすることで、わたしは□□というものが得られる(というメリットのために)からこの行動をしている」(目的論)

私が目的論を知って、生活スタイルが変わり健康になった体験談があります。

身体が弱くて、会社も休みがちだった私。
とうとう鬱になり、休みがちだったことは決して私にとって決して都合の良いことではありませんでした。

「休みがちであることで得られるメリット」
と、
「休まないで得られるメリット」
を比較し考えた時に、後者のほうのメリットを得たい!と心から思えたことで、毎日の習慣を変えることができ、その習慣の結果それまでとは違う生活、人生に激変しました。

「食の習慣」を変えました。
(いちばん大きかったのは、菓子パンを買うのをやめ、手作りのお菓子や米粉パンで徹底的にグルテンフリーの生活にしたことです。)


よく子供の頃「習慣」という言葉を学校の先生からも言われていた記憶があります。でもあまり聞いてなかった。習慣の底力を甘く見てた。
(両親はあまり「習慣」という言葉を私に言っていなかった気がします。)
習慣の力ってすごいんだな!と知ったのは、38歳の時。

「みんな習慣の力に頼ったら良いのに!」
恐らく私よりもみんなのほうが習慣の力を知ってるにも関わらず(笑)
そんなことを思ったほどでした。


習慣化に悩まれてる方も少なくないと思います。
目的論を使うと、習慣化できる(しやすい)、ということなんです。


人は頭では、その行動を続けることのメリットをわかっていても、なかなか習慣化することは難しいんです。そしてそのメリットを実際にやってみて、わからないと習慣化しないそうです。それにはだいたい、3週間かかるそうです。

では、「頭で理解する」ではなく何をすると良いのか。

それは、「まずできることから、やる」

全然、すごい話でなくて、ポカーンとされている読者の方の表情が浮かびます。。(汗)
行動した結果のメリットを脳にわかってもらうためです。


けれども、それって想像するだけでしんどそうに感じますよね。
だから習慣化って難しいんですよね。。

私が、新たな「食の習慣」にするためにやったこと、毎日食事を作ることを頑張ったのではないんです。私がはじめにやったのは、
お気に入りと感じる食器を探しまくり、それを買って、使い始めた
ことです。(イッタラにしました^^)

その食器を使った食事の風景を思い描いて・・・・
どれだけ気分が上がるだろうなあ〜
という気分を先にイメージしたんです。
それを毎日使っている生活。
ああ、そんな生活、良いよね〜〜〜〜〜
という、気分、気持ちをただ「感じた」。
(予祝です。先にそのエネルギー・波動を自分に身につけた、ということです。)

マラソン初挑戦!という方は、たとえば「このウエアで走っているオレ(ワタシ)、かっこよくない?」「ゴールの瞬間の写真、こんな感じだったら気持ち良いだろうなあ〜」とか。先に味わっちゃうんです。

それが、未来のプラスを描く、五感を使って、という意味なんです。


▶︎繊細さんが身につけたい筋肉はズバリ「こうなったらいいな♡」筋

繊細さんはどうしても人が気が付かないような細かいことに気が付いたり、人の感情の動きに敏感なことで「自分自身がなんとかした方が良いのかな?」「私が悪かったのかな…?」と思いがち。
そんな能力が長けている反面、

「本当に嫌なのは、なんなの?それがどうなったら良いと思ってるの?」

といった、自分自身が求めている心地良さや快、幸福感に対しては鈍感かもしれないです。

要するに、自分(を大事にする)のことは二の次。

「自分以外の人を優先しすぎちゃってないか?」と時々自分に質問をしてみて欲しいんです。


「こうなったらやだな」筋を育てることを卒業して、「こうなったらいいな♡」筋を育てて、それを現実に起こすコミュニケーション法を使いこなせるようになると喜びも増えます。


人の感情には振動数(波動の高さ)があり、「喜び」や「平和」という気持ちの人といると、居心地が良かったりしませんか?

逆に、「怒り」や「攻撃」を感じる人と一緒にいるのはしんどいですよね。。

同じように、あなた自身が喜びや平和という感情を持つことにもしも罪悪感を抱いてる状態ならば、その「罪悪感」の波動を発していることになるんです。。
(罪悪感の波動は低い部類です。)


何をするかも大切。
もっと大切なのは「どんな気持ちでやるか」
それが掛け算となって、結果に表れます。


良かれと思ってやったこと。
恐怖や罪悪感を持ってしまっていることが、意図した通りに伝わっていない理由になっているかもしれないのです。
避けたい未来よりも、得たい未来に向かって行動する力。
そんな気持ちの状態で行動できることで、波動を上昇することができるようになります。


▶︎あなたがしている行動の源は、「役に立ちたい」という強い思い


あなたの意図がうまく伝わらずに怒られた。。注意された。。嫌な顔をされた。。。

そんな経験が積み重なって、積極的に行動することを恐いと思ったり、諦めちゃってしまってませんか?


アドラーは、この3つを感じられる時に人は幸福を感じられると言いました。

  1. 自己受容

  2. 他者信頼

  3. 他者貢献

これら3つを「共同体感覚」と呼んでいます。
自己受容とは「どんな自分もオッケー!」

(自己肯定感を上げることをとことんやってきた私が、「何かが出来たから上がる肯定感ではなく、自己受容ファーストなんだよ!」と声を大にして言いたいです。笑)

私は人が信頼でき、人の役に立てていると感じられる。
(そして所属感が得られ「所属の欲求」(※)の実現につながります。※マズローの欲求の五段階説)


「誰かを嫌な気持ちにしたくてあなたはその行動をしたんじゃないんだよね。。役に立ちたかったんだよね。。うまく伝わらなかったかもしれない。でも、行動できたね。がんばったね。」

たとえ行動ができなかったとしても、

「行動しようと思えたね。よくやったね。」

ぜひ、あなた自身の承認から始めてみてください。
行動の承認ではなく、"意図"の承認から

「やろうと思っただけじゃだめなの!やらなきゃ意味がないの!
 結果につながらなきゃ意味がないの!
 成功しなきゃ意味がないの!」


(私もこのブログを書いていて聞こえてきます・・・)

そんな声が聞こえてきたりしませんか?
それは誰が言っている言葉ですか?
その言葉は、あなたをやる気に満ち溢れさせますか?

あなたが少しでもやる気が上がる言葉がけはどんな言葉ですか。

私がやっているのは、良いな!と思った言葉をメモしています。
元気を出したい、やる気を出したい時にその言葉たちを見返すことをしています。


罪悪感や欠乏感からの行動を卒業すると決めましょう。
あなたがあなた自身にその言葉掛けをしていきましょう。
その習慣が、あなたがあなた以外の人にそんな言葉かけができるようになる一歩です。

結果、あなたに対してそういう言葉を言ってくる人がいなくなります。
なぜなら、あなたがいつもそうやって自分に対して言っている言葉に敏感だから。その言葉に反応しやすい状態になっているだけ。
ということは、あなたがあなたに対して言う言葉がけが変わると、あなたがキャッチするアンテナも変わるということ!


喜びや楽しいから離れた行動は、本当に欲しい結果につながらないんです。
今はもう土の時代から風の時代へ。


何をするかも大切。
もっと大切なのは「どんな気持ちでやるか」
それが掛け算となって、結果に表れます。



私は今、幼児〜高校生を対象とした区の教育施設でアルバイトをしています。
私自身が厳しい父親のもとで育ち、優しい言葉をかけられた記憶がほとんどなく、
「本当はお父さん(親)にこうやって接して欲しかったんだなあ〜」と気が付いた関わり方、それは『横の関係で、承認されたかった』なあ〜と。
そんな関わり方を子供たちにしたい!
と思ってアルバイトを始めました。

子供たちがやろうとしてくれたこと(意図)そして、行動に声がけをした時に見せてくれる、とても誇らしげな表情がたまりません!

生きる力って、そうやって育まれていくのかな、と感じています。
その過程に関われていることに感謝しています。

子どもはお母さんの手伝いをしたがります。
役に立ちたい、という思いが根本にあります。

大人になってからも同じで、良かれと思って「手伝わなくて良いよ」と言うこともありますが、誰かの役に立てている、という思いを持てるように、私はいつしか、ありがとうという言葉は「言うのではなく、いかに言わせてもらう関わり方をするか」の物差しになりました。

自分の幸福と、自分以外の幸福。

アドラー心理学は、「持ってうまれたものをどう使うか」=「使用の心理学」とも言われています。(=目的論。対して、所有の心理学=原因論。原因論が悪いわけではありません。目的論的に関わるとうまくいきやすいパターンもあるよ、ということです。)

あなたのこの特技がとても役に立っているよ。
ありがとう。

そんなふうに言われたら。
それをどうやってみんなの為に使えるようになるかな、というアンテナが立ち始める気がしませんか?

できないことを頑張るのではなく、上手に得意に楽しくできることが役に立てている。そんな関係性でつながっている。

風の時代に合っている気がしませんか。


▶︎言語化できることの大切さと、実は人に伝えるのに必要なのは言語じゃなかった!(やっぱりテレパシー!!)


繊細さんって、誰かが言った言葉に傷付きやすかったりもするけど、実はどんなエネルギーで言われた言葉か、の方に心がとても傷付いたり、身体が硬直しりしませんか?


私は大きな音がとても苦手です。
特に、誰かが意図的に出す大きな音(たとえば扉を閉める時や、ガチャガチャと作業の時など)に対してはとても敏感です。
もしかしたらそんな時の私の表情には恐怖が表れているかもしれません。


言葉よりも、見えていないものに気が付く力、繊細さんは他の人には見えていないエネルギーや誰かの感情に敏感なんですよね。

だから優しさや細やかな気遣いにも現れる。
そこが素敵なところでもあると思います。

さらにすごいところ、それは、見えていない力の偉大さに気が付いている・・・ということ!


私が過去実際にやらかした出来事。

入社したばかりの職場で、仕事上多く関わる女性に、朝のあいさつと一緒に「スカート素敵ですね!」と言った時のこと。

私はてっきり「ありがとう^^」と笑顔で返ってくるとそれまでの経験値から予想していました。しかし、返ってきた反応はまったく予想していたものではありませんでした。
こちらに顔を向けることもせず、もちろんありがとうの言葉もなく、「はあ?」みたいな・・・

私は何が起きたのかわかりませんでした。
その瞬間、私から表情が消えました。背筋に冷たい空気が通り過ぎました。

「え?…わたしそんなに、相手の嫌なこと言っちゃったのかな・・・」

それ以来、その人に仕事以外のことを言うのをやめようと思いました。


相手の反応を気にしない人であれば大したことではない、些細な出来事だったかもしれません。
その時の、相手の気分の問題だっただけかもしれません。
けれども、繊細さんや、距離を縮めようと思って行動した結果がこの反応だと、悲しいという気持ちが強く出てしまいました。


今ならわかります。
どうやったら、私の意図どおりに伝えることができたのか。


私が失敗した理由、それは、「非言語の部分が欠けていた」ことです。


『素敵!!』と感じていることが伝わるような言い方が足りなかったんです。
『素敵!!』というエネルギーをのせて伝えていなかったんです。


このことを知って、今の私は、以前の私が大嫌いな人になっています。

以前の私が嫌いな人はこんな人。

「うわあ〜〜!!それ、好きです〜〜!!」
「ああ〜〜〜!!良いですね!!それ!!!」
「うんうん!すごく素敵ですね!!!!!」

昨日の帰宅時に乗っていたバスでの出来事です。

停留所でバスが停まっていると高校生の女子が、乗り遅れまいと走ってきました。
よく見ると後ろには、その友達が走って追いかけていました。
自分自身もその友達もバスに乗れるように、バスの乗車口のドアの前に立ってに乗らずにその友達を待っていました。
時間にして30秒もないほど。友達が追いつき、二人一緒にバスに乗ってきました。

「ありがとうございます〜〜〜!!!」
と運転手さんに言いました。


ああ、こういう言い方する人、(過去の私)嫌いだったなあ〜。(苦笑)

なんだか、媚びを売っているような言い方だと、思っていた、感じていたんです。


実は違いました。
私が通ったリーダーシップのクラスで、話の聞き方の違いをペアを組んでワークをしました。


「ちゃんと言われる(聞いてもらえる)って、こんなに気持ちが良いものなんだなあ〜」って人生で初めて感じられたんです。

普段のコミュニケーションに取り入れてみたら、、、

人とはわかりあえない。。。明るい未来はない…と思っていた私の人生が、再びときめき始めました。(!)


この世に絶対失敗しないコミュニケーション法というものはないですが、失敗率を下げるコミュニケーション法は確実にあります。


非言語に強い繊細さんだからこそ、誰よりも使いこなせる方法です。


人にわかってもらうには、言葉で伝えなきゃいけないと思ってました。


というのは、うそです。

本当は、言葉にしなくても伝わる、というのを知っていました。
なぜなら、母親が私にとってそういう人だったから。
そして、言葉にしなくてもそんな風にわかってくれる人が私の周りには多かったんです。(なんででしょう)

「人は言葉にしないと伝わらないんだよ!」
と、ある人に言われたのをきっかけに、私は頑張って考えてることを言語化しようとしました。今から12年前です。

1周回ってわかりました。
言語で伝えられることはとても限られている。
ましてや、人は「わかってもらえた」と思えるのは非言語の部分が大きい、ということを。

形になっていないものを感じられる繊細さんだからこそ。
このコミュニケーション法で、さらに心地良さが得られるコミュニケーションができるようになれます。




▶︎はっきり言って、「人の気持ちなんてわからない!」


私は国語が苦手でした。
テストの問題でよくある「この時の作者の気持ちは?」の解答を、「作者に聞かなきゃわからない」と思っていたものです。

数学、理科は得意でした。
それしか答えがないから。答えを導く道筋があり、それがすでに証明されている原理を使えば良いから。


自分自身の本心もわからないのに、誰かの気持ちを断定できるほど人の気持ちを読むことはできない、ということ。
繊細さんが感じる誰かの心の動きはそうかもしれないし、そうじゃないかもしれないんです。

だから、心配しすぎても、仕方がない、
目的論で考えると、心配することで得られるメリットってなんだろう?
ということです。


自分は愛情深い人間だと言う状態を感じられるから?
明日の雰囲気を今日より良いものにしたいと思ってるから?
その心配をすることで誰かが喜んでくれるから?

それを考えることで、あなたの感情の振動数(波動)は上がるかな?

だとしたらそれを考えてもいい、でも、それを考えることであなたの振動数が上がらなければ、あなたの状態を悪くするだけ。

だから、あなたの幸せと感じることに全集中する筋肉を徐々に付けていって欲しいんです。


人は「誰かに理解された」と感じられる体験があると、とても心が安らぐものです。

でも完全に人を理解することは、不可能なんです。
でも、人に「理解してもらった(気がする)」という関わり方はできるんです。
人とのコミュニケーションをあきらめないで欲しい。
信頼関係を築くコミュニケーション法。

繊細さんは、人と関わりたくないのではなく、信頼関係を感じられないあやういと感じるつながり方をしたくないだけなんですよね。

信頼関係を感じられるコミュニケーション法は、あります。
その方法をすることで、相手にも信頼関係を感じてもらえて、あなた自身も感じられ、心地よいコミュニケーション法。

『話し上手は聞き上手』と言いますが、繊細さんがポジティブになれない聞き方でいつも疲れる…と感じるのであれば、ポジティブになれる聞き方をぜひ知ってください。



▶︎私が足りなかったのは業務スキルではなく、◯◯◯◯でした


私は職場で信頼を得たくて、スキルを磨きまくりました。
仕事もたくさんこなしました。
それでも満たされた気持ちがなかなか得られず、『共同体感覚』が欠如していました。


私が圧倒的に足りなかったのは「信頼関係を築く」関わりでした。

新潟から東京に上京し、人間関係の距離が地方都市と東京で違ったのでしょう。
新潟では人と人との距離が、近い。
「田舎の人は人を信じやすい」というのはそういうことなのかもしれません。

新潟で働いていた時と同じ感覚で東京で働き始めて、職場の人間関係や言われる言葉の選択に「おかしい」と感じることが頻発してました。
その時に違和感をしっかり感じていたら誤った方向性で進むことはなかったのかもしれませんが、「私はおかしいんだ…普通じゃない。。。」と受け取ることの方が大きい性格だった分、「やっぱり私はおかしい」の方に行ってしまいました。

周囲を見渡し、私が「この人仕事デキる!」と感じる人は専門性が高いと感じる人ばかりでした。そんな一面を見て、そして、当時の上司の私への接し方が「東京の働き方のモデルだ」と勘違いをしてしまったことが、ずっとたどり着きたいところへ全く辿り着けなかった理由だとわかりました。


信頼関係は日々の積み重ね。

アドラーは、適切な時も不適切な時も関わりましょう、と言います。
しかし普段私たちは生活をしている中で、なんにもない時は何も言ってこないのに、困った行動や指摘や叱ると言う時だけ関わろうとすることが多いんです。

今でもこういう人、私は苦手です。
不適切な時に、すごいスピードで距離を詰めて、感情的になって言いたいことを言って、その人が返して欲しいようにこちらが対応するまで言い続けてくる人。

そう言う人になりたくない。
だから、適切な時も。勇気づけの言葉がけを。
自分にも、他の人にも、するようにしています。



▶︎人は、自分が持っているものでしか傷つくことができない


「◯◯のくせに!」と攻撃された時、自分でもそうだと思っていることを言われるととても傷つくものです。

もしも私が「男のくせに!」と言われても傷つけないんです。

傷付くの語源は気付く(自分の中にあると気が付く)なんだそうです。

もしも誰かに言われてずっとひきずったままのことがあったとしたら。

  • そんな私で困ったこと

  • そんな私だったから良かったこと

  • そんな私だったから人の役に立てたこと

この順番で、思い返してみてください。

私たちは生まれてから今日までの記憶すべて100%覚えているわけではありません。

良かったことも悪かったことも、都合が良い(目的論的に)ことだけを覚えて、都合よくそれを理由にして生きています。

だから、自分の未来にとって勇気がわく思い出をうまく使って、自分軸にして。
自分だけの人生を味わうことを選択することを、今からできるようになります。


▶︎生きやすくなっちゃうと私の個性がなくなっちゃうんじゃないか心配で、今の人生以外を選択することにどちらかと言うと積極的になれない。。。 私もずっとそうでした


マジョリティーの中でうまくやっていけない私を少しでも感じなくて済むように、あえてマイノリティーな選択ばかりするようになったのか。
または、もともと学生時代から人があまり興味持たないものに興味を持ちやすい性格だったのかもしれない(どっちかな)。


どんなに生きづらいと言えど、みんな自分の性格を愛していると思うんです。
否定しながらも、嫌だと言いながらも(自分と周りは鏡なので、普段口にしている言葉が自分に言っている言葉だったりします)、ただ良好な関係を作るという方法を知らずに生きているだけだから。

もしも生きやすくなっちゃったら、自分の大好きな個性とお別れしちゃうことになっちゃうんじゃないか。

本当は愛されたいのに。

(生きづらい私のほうが人に愛される・・・
 身体が弱い私はひとに心配してもらえる、大事にされる。。。
 私が鬱になったことで得たかったメリットのひとつはこれでした。)


私が生きやすさにシフトできたのは心理的安全性を感じられるコミュニケーション法を知って、使って、結果自分が認知する世界が変わったから。

心地悪さを極端に避けたいので、人と関わることに対してとても消極的だったし、使うのは「言語(メールやテキスト」だけで良いと思っていたし、人間と接するのは最小限に抑えたいと思っていた私。

自分との、他者とのコミュニケーションを、アドラー心理学をベースにした手法を使うと、本当に生きたい人生を生きれるようになれた。

どんなにつらい人も、生きたい人生を生きています。
目の前に現れる現実がつらい、しんどい、「なんでこの人○○なの!」という人がいる。

「どんな人生だったら、いい?」
そんな時自分はどんな表情で、どんな振る舞い(行動)をしている?


自分の人生の操縦桿を誰かの手に渡さないこと、ってそういうことなんだと思います。



ライフキャリアデザイン講座や、コミュニケーション講座を今後開催していきます。
noteで開催案内をしますのでお待ちくださると嬉しいです。
フォローやスキをしていただくと記事を書く励みになります!


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