艶やかな妖精

思想を垂れ流す。私はポジティブ思考。

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最近の記事

自分が馬鹿にされるより他人が馬鹿にされているほうが憤りを覚えるという不可解な現象。

 子供の頃。  よくクラスの子に罵倒されていた。  お前は馬鹿だなぁ、アホだなぁ。死ねよ。  そんな風な罵詈雑言を学校で浴びせられても。  私の場合は不思議と怒りが湧いてこなかった。  なぜか。その答えは簡単で、当時の私は自分自身に自信が無かったからだ。他の誰よりも無能であり、罵られて当然の存在で。そういうことをされても仕方の無いポンコツ無能だと思い疑わなかったから。自分自身もそれは理解していたし、もし仮に私が相手の立場になってみたら怒るのは当たり前だと共感してなおのこと

    • 一定の速度のリズムを定期的に聴き続けた際に時間が飛ぶ現象。その時に別次元に行っている説を提唱したい話。

       例えば掃除機の音。  例えば机を拭く時の音。  あるいは幾つかの車が行き交う街の音。  そういう音を聞くとボーッとしてしまい。  意識が朦朧として時間が飛ぶことがよくある。  なんなのだろうか。不思議で仕方がない。  人は自分から見た視点しか見ることができない。  良くも悪くも、自分以外がメインキャラのゲームしかプレイすることができないのだ。だから自分の身体を客観的に見ることはできない。    そんな中で私は思うのだ。  もし記憶が飛んでいる瞬間、私の身体が別次元をさま

      • 自分の考えによって相手の行動を変えさせるのって怖くないですかって話。

         大前提として絶対的に正しい意見というものはこの世にほとんど存在しないと思っており。ましてやそのほとんど存在しない希少な意見を私なぞが発掘できる自信が無いので、自分が「こうしたほうがいいのになぁ」と思っても、相当なことがない限り「しなければならない/マスト」と言いたくないみたいな話です。  自分の考えに自信が無いといえば話はそこで終わりだけど、別の視点から物をいうと自分の考えイコール絶対的な物、だという根拠がどこにもないからとも言える。  基本的に根拠の無いものを軽はずみ

        • 逆張りオタクすぎてYOASOBIのアイドルを今頃聴いた捻くれ者の私である。

        自分が馬鹿にされるより他人が馬鹿にされているほうが憤りを覚えるという不可解な現象。

        • 一定の速度のリズムを定期的に聴き続けた際に時間が飛ぶ現象。その時に別次元に行っている説を提唱したい話。

        • 自分の考えによって相手の行動を変えさせるのって怖くないですかって話。

        • 逆張りオタクすぎてYOASOBIのアイドルを今頃聴いた捻くれ者の私である。

          万物は母なり。

           全ての人間は母体を持つ精神的な母親である。  親は子を産み。  子は影を産む。  思想家は人生の問いを産み。  音楽家は気分を産む。  賢い者は好奇心を産み。  馬鹿な者は反面教師を産む。  崇めよ、顔を高く上げよ。  万物は母なり。  要らない者なんてこの世にはいない。  生産せよ、育てよ、励め。  この世に果てがあるのかは分からないけど。  御身を捧げ、日々の活動に勤しみなさい。

          万物は母なり。

          Vtuber(2.5次元)というカウンセラー。

           Vtuber(バーチャルYouTuber)という方々がいる。ゲーム実況をしたり、あるいは雑談配信、あるいは複数人とコラボをする企画物など、その活動内容は個人個人によって変わる。最近流行りの人達だ。  とあるVtuberがいる。  リスナーの悩み相談を聞いて、それに対して自分の意見を述べるのだ。  正直、回答内容の質なんてどうでもいい。  私が思ったのは、Vtuberという存在は誰かを救うことに関してかなり向いているのではないかということだ。  リスナーはVtuberを

          Vtuber(2.5次元)というカウンセラー。

          イジメる理由はあっても。

           イジメは良くないと言う。  しかし同時に、イジメられた側にも非があるという。果たしてそうだろうか。  イジメられる人間に非がある。  どんな非だろうか。例えば顔がブサイクだとか、空気が読めないとか、すっとろいとか、そういうことが例に挙げられるのだろうか。  私は思う。それはイジメられる『理由』でしか無いと。『理由』があるからといって、イジメてもいいワケではない。イジメっ子よ、己の差別心に負けてはいけない。それは恥ずべきことだ。どんな理由があっても、他人を虐げることは良く

          イジメる理由はあっても。

          泣いている人、あるいはかつて泣いていた人に告ぐ。

           今泣いている人に告ぐ。    アナタは正常な心を持っている。  考えてご覧なさい。  こんなにもバカな時代に涙を流さずに生きられるワケがない。  アナタは他の誰よりも正常で、職人のように繊細で、才能溢れる人だ。誇りを持ちなさい。顔を上げて、前を向きなさい。涙は枯れることはないけど、それゆえにアナタの乾いた心を癒してくれる。  涙こそが唯一無二の友達なんだ。  かつて泣いていた人に告ぐ。  良かった。苦難は乗り越えたんだね。  その事実が私は嬉しくて堪らないのです。  かつ

          泣いている人、あるいはかつて泣いていた人に告ぐ。

          現実と著しく乖離した英雄がテレビに出ているとドキドキする。

           ドラマや映画などの映像作品の多くには格好いい/可愛いキャラクターが登場する。それは創作物としては当たり前の話だ。魅力的なキャラクターがいてこそ。魅力的な作品はできる。  あるいは、現実には有り得ないほど人格的に優れたキャラクターというのは。やはり誰もが憧れる存在であり、創作の中に登場させることによって世の人の「こんな人に会いたいなー」欲を満たすことができる。何も間違っていない。むしろ、創作の方針としては成功である。  しかし、私は個人的に思うのだ。  そういう英雄ばかり

          現実と著しく乖離した英雄がテレビに出ているとドキドキする。