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第2部の主人公が来た城岳について

こんにちは!浮島龍美です!久しぶりの投稿となっています。小説も第2部に入り、主人公達の拠点も松尾山から城岳って場所に移動しました!

ちなみにこの城岳、作中でも伊波普猷の別荘がある場所だと言及されていましたが、史実でもそうでした。ホーム画像には実際の別荘が写っています。
写真は那覇市歴史博物館提供です!

ではこの「城岳」って場所がどういう場所か解説しますね!



城岳とは?

そもそも城岳とはどんな場所か説明いたします。城岳とは「城嶽」と書かれれる事がありますが、那覇市楚辺にある小丘陵です。
琉球国時代は真和志間切古波蔵村の配所があり、3月・6月・9月の祭祀のほか、雨乞いの祈願が行われたそうです。写真を見ても分かるように松や雑木林が覆われ、鬱蒼とした場所だったそうです。作中でも主人公達はこのように述べています。

城岳周辺は雨が降り始めているので、外に出る事はなかったが、未来が操縦席を離れ、縁側に向った。そこから城岳を覗いてみると、鬱蒼とした霧に覆われていた。

「ねぇーなんか凄い霧だよー」

 未来が蓮や縁に呼び掛けると、2人も未来と同じように縁側に立った。

「本当だ」

「凄い霧」

 蓮と縁も城岳を見て呟いた。

第2部 第1話「絶望の始まり」より

そんな鬱蒼とした霧も1920年代に入ると、沖縄県立第二中学校(現那覇高校)、沖縄県庁、沖縄刑務所等が相次いで移設され、住宅が建ち並ぶようになり、かつての城嶽の鬱蒼とした林は20年代の後半になると、宅地や畑になっていったそうです。

また、発掘調査も行われ、こんなものが出土したそうです

大正末から昭和初期にかけて発掘調査が行われ、中国の燕国(えんこく)(BC409 ~ 36年)の貨幣であった「明刀銭(みんとうせん)」や、沖縄では産出しない「黒曜石(こくようせき)」が出土した。

「城嶽」:那覇市歴史博物館

なんと黒曜石まで出土するって事はかつて交易があったかもしれませんね。そんな城岳も沖縄戦で日本軍の陣地であり、そこで激しい戦闘が繰り広げられました。
戦後、山頂部は削り取られ、「新世界」という遊園地がつくられるのですが・・そこは後の項目で話しますね。そして城岳は1971年に公園として整備され、現在に至っているそうです。



伊波普猷の別荘「曝書山房」

作中にも主要人物として登場する伊波普猷の別荘があった曝書山房跡(ばくしょさんぼうあと)について紹介したいと思います。
こちらは那覇市歴史博物館によると、このように書かれています。

 沖縄学の父とされる伊波普猷(いはふゆう)の別荘跡。城岳(じょうがく)の西の麓(ふもと)にあり、かつては、濃い樹影に囲まれた静閑(せいかん)な別天地であった。

 城岳を背にし、地域のウブガー(産井)を含む約2,500坪の伊波家の畑地は、幼少の頃、昆虫や草花の採取に興じた所、と後に記している。

 沖縄県立沖縄図書館長時代の1914年(大正3)に持病の療養のため、地内に12坪ほどの瓦葺きを建て、晴耕雨読(せいこううどく)の日々を過ごした。屋内には、尚泰(しょうたい)王の第四子尚順松山(しょうじゅんまつやま)王子の筆による「曝書山房(ばくしょさんぼう)」の額字が掲げられていた。

曝書山房跡(バクショサンボウアト):那覇市歴史博物館

なんと尚順が書いた字が掲げられていた字があったとは驚きです。
「沖縄県人事録」によると、曝書山房(ばくしょさんぼう)はぎりぎり伊波普猷の別荘だったらしく、小説の作中では彼の所有となっています。
その別荘も後に比嘉春潮夫妻が住む事になり、伊波普猷が上京する頃には他の人の手に渡ったそうです。



戦後沖縄に一時期存在した遊園地?「新世界」

お待たせしました!作中では一切、登場しませんが、戦後の一時期実在した遊園地「新世界」について紹介したいと思います。

新世界は1951年の9月、沖縄文化興業株式会社が遊園地「新世界」を開園しました。回転飛行塔・メリーゴーランド、電気豆汽車や小動物園、映画演芸場、食堂、売店もあった遊園地で、那覇の一大名所として賑わったようですが、1961年に閉園となりました。
そこには那覇高校の生徒達もよく訪れており、デートスポットになっていったそう。こちらは琉球新報の記事にも掲載されています

また、那覇市歴史博物館の提供ではこんな写真も残っています!

飛行機の乗り物


ボート

また、新世界に関しては那覇高校の同窓会である「城岳同窓会」にも掲載されています。



出典


楢原友満編「沖縄県人事録」沖縄県人事録纂所 1916年11月



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