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なんとなく、ブックオフ



出先でぽっかりと時間が空き、馴染みのない街に二時間ほど留まるはめになった。

家での二時間なんて寝転がってスマホをいじっていればあっという間だが、外だとそうはいかない。
お腹も空いていないし、特に買いたいものもない。ウインドウショッピングしようにも見渡す限り周囲にめぼしい店はない。駅ビルもないし、本屋も美術館も見当たらない。その辺をウロウロ歩くだけでも時間は潰せるが、この後人に会う予定がある。体力をあまり消費することは控えたい。
一度家に帰りまた戻ってくることも可能だが往復の時間を引くと二十分しか家にいられない。二十分の安息のために倍以上の時間を移動に費やしたくない。やはりここで時間を潰すしかないのだ。

喫茶店に入って大きいサイズのアイスコーヒーを飲みながらゆっくりツイッターでも見ようか、それか久しぶりに漫画喫茶でも行こうか…駅前の喫煙所でぼんやりとそんなことを考えながら、会員カードを持っている漫画喫茶の支店が近くにあるかどうか確認するため、Googleマップを開いた。

ブックオフがあるじゃないか。
今いる場所から看板は視認できないが、どうやらこの街にはブックオフがあるらしい。
私はブックオフが好きだ。成人してからは一年に一度行けばいい方だが、小中学生の頃は足繁く通った。暇な夏休みなんてほぼ毎日通っていたような気がする。
小中学生の財布には百円コーナーの小説がありがたかったし、いくら漫画を立ち読みしたところで咎められることはない。
もちろん普通の古本屋も好きだがこの辺りには見当たらないし、探せばあるのかもしれないが大抵「冷やかしなら帰んな」と言いたげな爺さん店主がセットになっているため数時間居座ることは難しい。何も買わずに立ち去るのも少し気まずい。

地元のブックオフも今住んでる場所のブックオフもいつのまにか潰れてしまった。そうだ、私はブックオフに飢えているのだ。そうと決まればブックオフだ。いざブックオフ。


少し歩いてブックオフに到着した。店内は驚くほど閑散としていた。私の知っているブックオフはもっとこう、人が沢山いるのだ。沢山いる全員がなんだかジメジメしていて、漫画の棚で長時間立ち読みしている大人は基本ちょっとヤバそうな人で、混雑してるからと言って別に活気のある感じではなくて…悪口のようになってしまったのでもう一度言っておくが、私はそんなブックオフが大好きだ。私自身もまあまあジメジメしたヤバめの大人なので、正直親和性が高いのだ。

感染症予防の観点から立ち読みはご遠慮頂いておりますとかなんとか書かれた紙がそこかしこにぶら下がっている。なるほど客がいないわけだ。立ち読みができないブックオフは魅力が三割ほど減ってしまう。娯楽に飢えた小中学生の足も遠のくに違いない。

ブックオフ名物の「いらっしゃいませー!」「いらっしゃいませー!」も全く聞こえてこない。一人の店員が言うと他の店員もやまびこのごとくいらっしゃいませいらっしゃいませと叫び出す、いらっしゃいませの連鎖が始まる謎のアレだ。これも感染症予防の観点からなのだろうか。それともあの風習(?)はもうないのだろうか。もしくは単純に客が来ないのか。そもそもあのやまびこいらっしゃいませはなんなのか。


立ち読みができないことに少しがっかりしたが、それでもブックオフは楽しいのだ。欲しいものがない状態でフラリと立ち寄っても、必ず何か見つかる。なにせ置いてある本が多いのだ。小さめの本屋ではまず見つからないようなマイナーな本や古い本、売れ筋ではなさそうな大判コミックもブックオフにはそこそこ揃っている。


まず店内をぐるりと一周した。立ち読み禁止という注意書きの効果は抜群らしく、漫画の棚には誰もいない。
客が少ないので、地味なポロシャツを着た中年男性が壁際の棚の前で参考書か何かを熱心に読んでいる姿が妙に目立つ。
説明が難しいが、ブックオフの棚はほとんどL字型(この表現が合っているかわからない)で、引き出し(ストッカー)が付いており、引き出しの上部が棚になっている。ブックオフ経験者は全員「ああ、あれね」とわかるはずだ。というかブックオフに限らず大きめの本屋は大体こんな感じだと思う。たまにこの出っ張り部分に鞄を置く不届き者もいる。
買う予定なのか棚に戻す予定なのかわからないが、その中年男性は出っ張り部分に本を何冊も積んでいる。自分の見たい棚でこれをやられているとほんのり殺意が湧く。


立ち読み中だか吟味中だかの中年男性がいる棚はひとまずスルーし、文庫本の棚を見て回る。背表紙を眺めているだけで楽しい。
昔読んだことのある、または現在も自分の本棚にある本を見つけると「おっ!君もいたのか」となぜか親近感のようなものが湧く。作家名の見出しプレートがない、あまりメジャーとは呼べない本だとなおさらだ。
自分が書いたわけでも売ったわけでもないのに「頑張れよ」「いい人に買われるんだよ…」と何から目線かわからない激励までかましてしまう。
誰もが知っているような本を見つけると「やってんねェ」「さすがだねェ」と、贔屓の野球チームの練習風景を見守るおっさんのような感情が湧く。
ずらりと並ぶ『モンテ・クリスト伯』を見ながら「やってんねェ…えっなんで二巻だけないの?他の巻は三、四冊ずつあるのに」と心の中で茶々を入れたり、大量に並んだ芸能人のエッセイ本を見つけては「一体どれだけ売れたんだ…そんな面白いのか?さすが芸能人…」と無駄に感心したりする。
こんなこと普通の本屋ではあまり思わない。なぜか古本屋ではいちいちこんなことを考えてしまうのだ。ブックオフは私と同じような人種が集まるはずだと勝手に信じているが、実際どうなのかは不明だし、確かめるすべもない。


新たな本との出会いも楽しいが、こうして見知ったタイトルを眺め懐かしさに浸るのも楽しい。内容をさっぱり思い出せなくても、読みたければ百円の棚で探してまた買えばいい。百円だからと三回ほど買い直した本もある。そこまでするなら定価で買って大切に保管すればいいのだが、それができる人間はブックオフに通わない。


普段絶対読まないジャンルの本を眺める、これもブックオフの楽しみ方だ。
例えば自己啓発本。誰かが読み終え売りに出された自己啓発本や指南書には、なかなか趣深いものがある。
愛される女になるための〇つの法則だのモテの極意だの人間力を高めるだのなりたい自分になるだのデキる男のルールだの、エロ本よりレジに持っていく難易度が高そうなタイトルを見ながらあれこれ考える。
売った人はこの手の法則だか極意だかを会得して、もうこの本が不要になったのだろうか?そんなに役立つことが書かれているなら売らずに手元に置いておくべきではないのか?会得できず「こんなの役に立たない」と思って売りに出したのだろうか?そんな本が集まっている「自己啓発本の棚」は、正しくは「啓発失敗本の棚」なのでは?
こういった少し悪趣味な楽しみ方をするため、自己啓発本の棚を探した。

自己啓発本の棚は先ほど中年男性が陣取っていた所だった。すでに中年男性の姿はなく、棚から出された本が引き出し上部に積まれたまま放置されていた。
あーヤダヤダ買わないなら戻せよなこういうのほんと嫌い…と思いつつ、積まれた本にチラリと目をやった。

『大人の作法を身に付ける』
『三十代  仕事の姿勢』
『尊敬される人になるには 』
『課長のあり方』
『頼れるリーダーになる』
『デキる上司はこう動く』
『金持ち父さん貧乏父さん』

思わず目をひん剥いてしまった。タイトルはうろ覚えだが、大体こんな感じだった。五冊のかたまりが二つ、計十冊の自己啓発本だかビジネス書だかが、わりと乱雑に積まれていた。
失礼ながら、頼れるリーダーやデキる上司はブックオフで自己啓発本を立ち読みしないと思う。じっくり立ち読みしなかったとしても、棚から出した本を戻さず放置しっぱなしというのは三十代の姿勢としていかがなものだろう。売り物の本を棚に戻すなんて当たり前のことだ。子供ですらできることができない(しない)課長のどこを尊敬すればいいのだろう。ブックオフでパラパラ見た本を棚に戻さず積んで放置するのは、大人の作法として正しいことなのだろうか。デキる男どころかダメな大人の見本じゃないか。

いや〜アンタ無理だよ、このままじゃ頼れるリーダーにもデキる上司にも金持ち父さんにもなれないし多分尊敬もされないよ…
ハードカバーの背表紙に書かれた意識の高そうなタイトルを見ながら、ぼんやりと中年男性の今後について憂慮してしまった。これももしかしたらブックオフの楽しみ方なのかもしれない。


百円の文庫本が並ぶ棚に戻り、何冊か買うつもりで昔熱心に読んでいた作家の本を探したが、残念なことに一冊も置かれていなかった。昔は沢山並んでいたはずだ。その作家は少し前に大麻所持で捕まっていたが、それが原因なのだろうか。
結局別の作家の本を三冊買うことにした。

あの中年男性はためになりそうな自己啓発本を買えたのだろうか。何か買ったとしても、売り物の本を棚に戻さず積みっぱなしにして店を出ている時点でブックオフの作法が全く身についていないとわかる。ブックオフの作法すらまるでダメな中年男性に、今後大人の作法なんて身につけられるはずもない。
ブックオフの作法が身についていない、つまり本を棚に戻さない人間なんて、どうせスーパーでも一旦手に取った刺身を気が変わったからと平気で常温の棚に放置するロクデナシに違いない。ほんのひと手間を惜しみ他人の手を煩わせることが平気できる人間なんて尊敬どころか軽蔑の対象にしかならない。

あの中年男性が実際どんな人間かは知らないが、ことブックオフに関しては本を積みっぱなしで放置していない分私の方がマシな客のはずだ。
この世で一番しょうもない優越感を抱きながら、颯爽とブックオフを後にした。


「マシも何も、いい大人が休日にブックオフで時間潰してる時点でどっこいどっこいでは?」
頭の中で野暮なツッコミをする自分がいる。
ジメジメしたブックオフと親和性の高い私としては、その辺りを深く考えてしまうとなんだかとても悲しくなりそうな予感がする。
わざわざ自分から悲しい気持ちになりたくないため、ひたすら無視を決め込むことにした。

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