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ただすり抜けるだけのオレンジ

 「とにかくふざけなくちゃ。この世界を生きるのに必要なのはそれだけよ。間違いないわ。」
 膝を抱えて砂浜に座るその女の子は、丸くて黒い瞳を海岸線へ沈みはじめた夕陽に向け、唇を小さく動かして呟いた。
 言い終わると彼女はそっと目をつむり、長い時間太陽を見ていたせいで視界にできた黒い点が消えてしまうまで、足下の砂を手に取っては指の隙間から落とし、波の音を聴きながらその場でじっとしていた。
 しばらくそうした後、彼女は目を閉じたままかかとを静かに滑らせて足を伸ばした。それからかかとを支点にして膝を曲げ、かかとをお尻にくっつけた。そうしてまた同じように足を伸ばし、踏ん張ってかかとをお尻にくっつけた。彼女はその屈伸運動を繰り返しながら少しずつ波打ち際までやってきたのだが、もしあなたが飛行機やヘリコプターに乗って上空からその姿をみていたら、きっと毛虫に見えたに違いない。
 数分後。
 家族が彼女の不在に気づいた時には、もう彼女の姿はどこにも見当たらなかった。
 そこにあるのは波打ち際でぷつりと途絶えてしまった彼女のお尻の跡だけだった。

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