ファントムの顔とわたしたち

 友人とわたしはオペラ座の怪人の大ファンである。
 もちろん作品としても好きだが、何と言っても、ファントムがめちゃくちゃに格好良いのだ。
 数年前、生まれて初めてニューヨークを訪れ、同じく初NYだった彼女と、とりあえずブロードウェイで有名なミュージカルを観ようと選んだのが『オペラ座の怪人』。その極めて適当に選んだミュージカルに、我々の心は一晩にして奪われることになったのだった。

 「わたしだったら絶対ファントム選ぶんだけど」と。

 このファントムだが、死人のような皮膚をしていて、頭蓋骨が透けて見える頭に、鼻も穴が空いているだけの、生きた骸骨のような人間と描写されている原作とは違って、ミュージカル版は向かって左側の顔だけが仮面で隠されている。鼻もちゃんとあるし、肌も普通の人間と変わらず、演じているのが生身の俳優だから、やたらと細いということもない。
 仮面の下は火傷に近い見た目をしていて、どちらかというと顔そのものより、ウィッグを取った頭頂部のヒヨコみたいなふわふわとまだらに生えている毛髪の方が気になる。

 端的に言えば、ウィッグと仮面をつけてくれていたら「全然いける、むしろイイ」容姿なのである。

 例えば、今年再演される同じ原作を基にした別のミュージカル『ファントム』で、次にファントムことエリックを演じるのは城田優。
 城田優が仮面をつけるのだ。格好良くない訳がない。

 有名な2004年の映画版『オペラ座の怪人』での主演はジェラルド・バトラーだ。前述の友人と一緒に本作を観た際、まず会話に上ったのは「顔半分がジェラルド・バトラーなら良くね?」だった。
 正直ファントムのルックスが美しすぎて話が頭に入ってこない。
 「私の呪われた顔が…」なんて、全人類の半分くらいには謝ってほしいセリフである。
 顔の半分がジェラルド・バトラーないし城田優なんだぞ。半分すらそういう顔を持っていないわたしたちはどうしろと言うのだ。

 そう、これが我々とファントムが平行線を辿る問題である。
 彼は、仮面を外した姿をこそ愛してもらいたがっているのだ。それなのに、わたし達ときたら、仮面とウィッグをつけた姿は、はちゃめちゃに大好きだけれど、外した姿を愛せるかどうかは分からない。

 もしかして、これは男性がすっぴんの女性に抱く感情に近いのではないだろうか。顔以外にも愛しているところはたくさんあるけれど、やっぱり毎日目にすることとなるものの存在は大きい。

 でも、女性が化粧をした顔は、ファントムが仮面をつけた顔は、偽物なのだろうか。それもその人の美意識や努力そのものが表れた、個人の一部ではないのか。

 ファントムが原作のままの容貌だったら、わたしたちはきっとここまで彼を愛していない。実際、いくら作風が違うとはいえ、白黒映画版を観た時は、彼に同情こそ覚えても、今と同じ感情は抱かなかった。
 わたしたちは結局、ファントムがクリスティーヌを求めるのと同じ、美しいものしか愛せない自分たちに、そう言い聞かせているだけなのであった。

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