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目がバキバキです勉強しすぎて


今私は27歳だ

学生時代は勉強が苦手だった

勉強が苦手な理由が2つあって

1つ
勉強する意味がわからなかった

将来の夢を謎かつ漠然的に語る道徳的な授業と
毎日教科書を開いて勉強するその行為が
全くもってリンクしていなかった

大人になればわかる

あの頃の、いつ使うかわからない
数学の方程式や古文や理科の実験は
わからないことを分かるようになるための
プロセスに時間が大切なのものであって

実際に大人になったら大事なことではないのだ

タラレバでいうのもアレだけど

そんなことを教えてくれる先生がいたら

勉強する価値はあるんだなって
思えたかもしれないなぁって思う



2つ
正解がわかるためには
何度も問題を解いたりして
反復だったり、少し視点を変え
違う問題集を解いてみたりだとか
自分なりに勉強方法を探す必要があったのに
あの頃の私にはわからなかった
分からなかったというか
教えてもらえなかった

正解したい、というより
間違えることが怖かった

正解するには、間違えないと
正解には辿り着けないのに

問題を解いても
丸にならない問題集が嫌いだった

きっと頭に入っていない勉強法だったんだよなぁ
そんな自分が嫌で、否定して
バツから丸にするための努力をせず
勉強から目を背けていた

英語だけは好きだったから
勉強した
なぜか勉強できた

掘り返ると、小学校でつまづいた
国語算数理科社会とは違って

ちょっと頭で考えられるようになった
小学校高学年からスタートした英語だから
みんなと知識のスタートラインが同じで
自分の理解度と、周りの理解度が
同じだったことが嬉しかったのかもしれない

周りと同じくらいできていることが
安心できて、余裕が生まれた頃には
他の人よりできるようになりたいと思うようになって
英語だけは勉強したんだ

ということは、私は幼少期
自己肯定感の”ものさし”が常に他人にしかなかった

他人から見て自分はどうであるか
が基準だから

周りと比べて基準を超えた英語は自信に満ち溢れているが
それ以外の科目は
周りから見ると平均以下だから
自己肯定が低かった

自尊心が強いくせに

全てにおいての”ものさし”が他人だから

不幸せだったように思う


今は俯瞰できるようになったから

幸せの”ものさし”を自分基準にできるようになったから

幸せです


とはいえ今どうしてこんなに眠いのかっていうと

キャリアアップのために
年末に受験予定の国家資格の勉強に躍起になってます


ズーーっと勉強が嫌いだった私は

大人になってから、自分に必要なことと思えば
勉強したり、本を読むようになった

今はそんな主体的になれる自分のことが大好きだ

おやすみみなさん。朝6時です汗

今日はクローズシフト、これから寝ます

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