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姿を変えた心理療法~マルドゥック・スクランブル~


「俺は今、勇気を見た。謙虚を見た。俺の目の前で誰かが完全に勝つのを初めて見た」
「君の勝ちだ。完璧な勝ちだ」

 マルドゥック・スクランブルというものをご存知でしょうか。
 生きる希望をなくした少女が、それでも生きたいと願い、喋る鼠の紳士とともに多くの敵と葛藤を越えていく物語。
 冲方丁先生が生み出した小説であり、多くのメディアで公開された大人気SF作品です。

 喪失と再生の物語と言われる本作。知る人としては、物語の佳境で繰り広げられる『カジノ編』の盛り上りが有名で、かくいう自分もその熱に惹かれた一人です。
 そんな中、最近心理学を浅学している自分は1つの仮説に行き着きました。
「カジノ編は心理学的にも、主人公が自立するための、死と再生の儀式だったんだ!」

 本稿は、マルドゥック・スクランブルの小説・漫画・アニメを体験し、心理学をかじった自分があることないこと妄想したレビューになります。
 前半はネタバレなし作品紹介、後半はネタバレありですが、後半も未読未視聴者が「興味でたから読もう!」と思えるよう努力する所存です。
※写真はだいたいが漫画版です。

1.作者が心血を注ぎこんだ世界観

 身寄りのない少女バロットは、救いの手を差し伸べたはずの男シェルに突然殺されかける! 瀕死の状態から目覚めると、その身には金属繊維の人工皮膚と、あらゆる電子機器を操る力が与えられていた……。「なんで私なの?」ネズミ型万能兵器・ウフコックの力を借りて、答えを探し求めるバロットの闘いが、今、始まる――!!  (漫画版マルドゥック・スクランブル 第1巻あらすじ)


主な登場人物

ルーン・バロット

バロット1

 主人公。元少女娼婦。賭博師シェルに殺されかけるが、超能力を得て生還する。最初の事件で声帯を失い、生身の声で喋ることができなくなる。


ウフコック・ペンティーノ

ウフコック1

 喋る鼠。どんな物質にも変化できる万能兵器。紳士的な性格で、ドクターとともにバロットを助ける。委任事件捜査官、通称『事件屋』としてシェルを追っている。

ドクター・イースター

ドクター

 委任事件捜査官。パンクな髪型の有能な技術者。バロットを救出し、行動を共にする。戦闘は不得手で、バロットたちの補佐に回ることが多い。

シェル・セプティノス

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 賭博師。過去に何人もの人間を殺してきた裏社会の人間。バロット殺害が失敗に終わり、彼女を抹殺しようと企む。

ディムズデイル・ボイルド

 ボイルド

 ウフコックの元相棒。シェルが新たに雇った凄腕の刺客。優秀な委任事件捜査官だったが、とある理由でウフコックとは決別している。


 本作の舞台は金と暴力が支配するマルドゥック市。どちらかと言えばディストピア寄りの世界で、主人公ルーン・バロットはその源氏名で少女娼婦として働いていました。本名は読者の誰も知りません。
 力なき少女が非道に殺されかけ、しかし鼠紳士ウフコックと、変わり者のドクター・イースターに救われる。二人はバロットを手にかけたシェル・セプティノスを追う事件屋でもあった。
 一命をとりとめ、救済のための手術で「あらゆる電子機器を操る」超能力を得たバロットは、二人と協力してシェル逮捕を目指す。
 すごい端折りましたがこれが物語の序盤で、ここから繰り広げられるのは法廷裁判、殺し屋との銃撃戦、シェルの刺客との壮絶な死闘、カジノ編などなど。風景や物語描写もさることながら、魅力の柱は希望を失ったバロットが自身の内外を構成するあらゆるものに振り回される心理的葛藤です。この悦楽、後悔、憤怒……生々しい感情に相当なエネルギーが注がれています。

※余談ですが、作者の冲方先生は、本作を書くにあたって5日の間ビジネスホテルにこもり、胃の中のものをぶちまけながら、カジノ編の原稿を書き上げたそうです。自分が思ったのは、中世の哲学者サルトルが執筆した『嘔吐』という作品。世の中のあらゆる事象の本質(言語認識を超越した事物そのもの)が見えた主人公が、その本質の恐ろしさやエネルギーのあまり吐いてしまうという話。冲方先生も、文章を通した本質が見えたのでしょうか……。

2.マルドゥック・スクランブルの広がり

 本作は小説原作、アニメ版、漫画版と窓口が豊富です。
 自分がはじめてみた触れたのは、漫画版マルドゥック・スクランブルでした。少年マガジンの「聲の形」から、漫画家の大今良時先生を知り漫画を購入、さらにアニメ版、小説版へと順に手を出しています。
 あくまで主観ですが、本質的魅力をそのままに、それぞれの特徴は以下になります。

・小説版:圧倒される文章量、生き生きと紡がれる肉体・性的・暴力描写。
・アニメ:原作の雰囲気を再現、渋くて格好いい登場人物。ただ、アニメでは小説と比べると描写が足りないかも。
・漫画版:格好よく可愛い登場人物、わかりやすい語り。

 当時の自分が小説をほとんど読まなかったからでしょうが、漫画版が一番取っつきやすく視覚的にも世界観を掴むのに最適でした。そのうえで、さらに深く魅力を探るために、小説の心理描写を読み込んだという形です。
個人のオススメとしては、小説が好きな人はそのまま小説から、小説が苦手な人はまず漫画から、といったところです。

3.物語のあらすじ(ネタバレあり)

 最初に上げた仮説のため、序盤のストーリーの続きから終盤までをおさらいしていきます。やや冗長ですが、お付き合いください。
 小説、アニメ、漫画で若干の省略や差異がありますので、大筋で語れればと思います。

マルドゥック・スクランブル1~圧縮~

 調査を始めたバロットたちは、シェルに雇われたボイルドの襲撃を受ける。彼はバロットと同じ能力者で、重力を自在に操ることができる凄腕の殺し屋だった。バロットは命からがら彼から逃れ、自身の力をつけることを誓う。
 ある日、調査を続ける一同の下に、ボイルドとは別の刺客が現れる。五人の残忍な殺し屋、だがボイルドと比べれば実力はなく、超技術を手にしたバロットはいとも簡単に彼らを撃退する。しかし弱者だったバロットは強大な力に陶酔し、彼らを惨殺し、ウフコックの意志に反して彼という道具を濫用してしまう。

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血まみれのバロット(漫画版マルドゥック・スクランブル 第3巻)

 ウフコックが彼女を拒絶した時、再びボイルドが現れた。かつて同じようにウフコックを濫用し拒絶されたボイルド──彼は言う。「その女も俺と同じ 『楽園』が生み出した怪物だ」
 ドクターの機転によって難を逃れたバロット。しかし残ったのは、ウフコックを傷つけたという深い後悔だった……。

マルドゥック・スクランブル2~燃焼~

 バロットたちがボイルドから逃れた先は、『楽園』。バロットやボイルドの超能力、万能兵器であるウフコックが生まれた研究施設だった。何物にも侵されないこの場所で、ウフコックは治療を受けている。バロットは殺戮を楽しんだ自分を恥じ、新たな決意を胸にする。

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バロットの決意(漫画版マルドゥック・スクランブル 第4巻)

 同時に、バロットは『楽園』の技術を使い、ついにシェルの犯罪の証拠となる『記憶』が隠された場所を突き止める。そこはシェルが経営するカジノ『エッグノック・ブルー』にある4枚の100万ドルチップの中だった。記憶を合法的に入手すべく、バロットたちは正面からカジノの門をたたく。強敵たちとの、命運分けるカジノ戦が幕をあげた。

マルドゥック・スクランブル3~排気~

 激動のカジノ戦は幕を閉じた。喪失と再生の果てに、バロットたちはシェルの記憶を奪取することに成功する。シェルの罪を白日の下にさらすべく、バロットは記憶の中身を探っていく。ついに事件の真相を明らかにしたバロットたちは、シェルの下へ向かう。だが、再びボイルドが姿を見せる。

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バロットVSボイルド(漫画版マルドゥック・スクランブル 第7巻)

「お前を殺し、ウフコックを取り返す」──異常な執着を見せ、バロットを追い詰めるボイルド。バロットは、生き残るためにこの強敵と対峙する。
「よせ、俺を信じてくれ」
「信じてる。だからお願い、私を信じて」

4.白熱のカジノ編(ネタバレあり)

 ここからは、肝心のカジノ編を見ていきます。

 シェルの犯罪の証拠となる記憶が、彼が経営するカジノの100万ドルチップ4枚に隠されている。バロットたちはそれを合法的に手にいれるために客として正面から入り込んだ。
 カジノが得意なドクター。超高度演算能力をもつウフコック。超能力で微細な空気を読み取れる──が、カジノ未経験のバロット。バロットは二人に促され、まずはポーカーに挑む。
 そのポーカー台には、詐欺師がいた。カジノ側に警戒されないために、まずは傍迷惑な詐欺師から金を巻き上げる。バロットは二人に助けられながらも、最終的には圧倒的勝利を納めた。
 次にバロットが惹かれたのは、ルーレット台。そこに立つ力強い魅力をもつ女性ディーラー、ベル・ウィングとの戦い。

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バロットVSベル・ウィング(漫画版マルドゥック・スクランブル 第5巻)

 ルーレットにボールが落ちる目を自在に操れるという彼女に対し、バロットはウフコックと協力し、自身の超能力をもって勝利した。戦いのなかで、彼女に「女性として生きる術」を教わったバロット。しかし結末は、大敗したベル・ウィングが、魅力的な彼女が責任を問われ解雇されるという、後悔の残る最後だった。
 後悔とともに、バロットたちは次の戦いへ。VIPルームではブラックジャックが楽しまれていて、そこでは若手ディーラー、マーロウが笑顔の裏でバロットを下そうと画策していた。彼もまた、卓越した技術と才覚を持つ人物。だかギャンブラーとして成長しつつあるバロットや、ウフコックたちを止められずに敗北する。
 ついに百万ドルチップを1枚手にいれたバロットたち。彼らの猛進を止めるため、カジノ側が出向かせた業界最強の用心棒――『神の収穫者』アシュレイ・ハーヴェスト。彼はカードの並びを寸分の狂いもなく操ってシャッフルできる、常識の埒外の人物だった。

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アシュレイ・ハーヴェスト(漫画版マルドゥック・スクランブル 第6巻)。漫画版だと愉快な小太りオッサン。アニメ版だと渋くてキザなダンディ親父。

 続けられるブラックジャック。どんな手段をとっても負けさせられる窮地のバロットに、アシュレイは対話のなかで暗に仄めかす。「仲間に頼る限り、絶対に俺には勝てない。勝とうとするなら、正々堂々と戦うべきだ」と。
 意を決したバロットは、ウフコックの援護の手を振り切った。けれど感謝は忘れずに、一人で生き抜く術を得るために戦う。
 ベル、マーロウ、果てはアシュレイ。対話を忘れず、バロットを称賛し、生きる術を教えてくれる強敵たち。その全てを糧にしたバロットは、ついに「完全に」アシュレイを下すのだった。

5.姿を変えた心理療法

 全編のあらすじと、カジノ編のあらすじ。私が見いだしたのは両者に共通するストーリーの起伏てした。()内は、物語全編:カジノ編の対比としています。

①力なきバロットが暴力に蹂躙されかけ、ウフコックたちに救われる(シェルの暴力:詐欺師の手口)。
②力を得たバロットがその危険性を考えないままに能力を行使し、犠牲者をつくる(殺し屋たちへの暴力:ベル・マーロウへの勝利の結果の解雇)。
③やや陶酔気味あるいは順調なバロットに、圧倒的強者が力をふるい窮地に追い込む(ボイルド:アシュレイ)。
④ウフコックをみだりに「使って」しまったことを後悔するバロット(殺人の道具として使うこと:勝利のために依存すること)
④決意を新にしたバロットが、自分の能力を真に生きる力へ昇華するために戦いにいく(楽園での再起:ウフコックの依存からの脱却)。
⑤圧倒的な強者に対し、助けは借りても自分の実力と意志で勝利する(ボイルドやシェルとの戦い:アシュレイとの一騎打ち)。
⑥その先に待つ、真の目的(シェルの逮捕:シェルの記憶)。

 この流れが恐ろしく似ていると感じたのです。特に既読の皆さんは、どう感じたでしょうか?
このストーリーのリンクを認知してもらったうえでお伝えしたいのが、心理療法としての「遊戯療法」です。

 遊戯療法とはカウンセリングの一種で、主に感情表現が未熟な小児に対して用いられることが多いようです。ただ、別に「この遊びをしたから子供のこの症状に効く!」とか言うものではなくて、その遊びを通して子供が感じている・訴えている情動であったりをカウンセラーが把握・解釈することが大切らしいのです。
 カウンセラーが何か操作をするのではなく、子供が自ら治る過程に辛抱強く付き合っていく。
 そして全ての子供にではないですが、中にはカウンセリングの終盤に子供が今まで一緒にしてきた遊びを、「こういったことをやったよね」と、子供が順に遊びながら振り返る、儀式のようなことが起こるのだとか。

6.強敵たちと物語る通過儀礼(イニシエーション)

 元々精神的に不安定だったバロット(少女の身で娼婦であったことを考えれば、それも当たり前かもしれません)は、物語を経て成長していきます。
 単に超能力とか戦闘に強いとか、ギャンブルて勝てる力とかではなくて、この殺伐とした世界を一人の女として、一人の人間として生きるための心の在り方。死と再生、喪失と再生の果てにそれを手にしました。それは心を蝕む恐怖をはじめとする様々な外力との戦いでもあったのでしょう。
 ただ、ボイルドやシェルという最悪の犯罪者、何より自分の中の闇というのは、普通の神経では太刀打ちできない強敵たちです。バロットは当初はウフコックへの依存もあったし、何の脈絡もなく成長するのではなくて、やはり死から再生への過程でそれを乗り越えるための儀式や前準備が必要だったのではないでしょうか。

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自立への証明(漫画版マルドゥック・スクランブル 第6巻)

 再起を誓ったバロットが自身の過ちを振り返り、さらにシェルを越えるという望む未来への予行演習のための儀式の場。うってつけの祭儀場として彼女が無意識に選び、期せずして同種の葛藤を汲んで臨んだのが、カジノ編だったのではないでしょうか。
 カウンセリングルームは落ち着ける個室ではなく金が飛び交って時には詐欺師も混じる、静謐とは無縁のカジノルーム。カウンセラーとして選ばれたのは、ウフコックたちではなく敵であるディーラーたち。

 カウンセリング、カウンセラー。現実ではその昔、呪術士や宗教家、宣教師がその役割を果たしていたと思います。
 現代においては迷信とも評価される彼らは、しかし被治療者や信者を相手に、確かに彼らの心を救っていました。いずれにしても、その場には現代(特に先進国家)には見られなくなった通過儀礼(イニシエーション)が果たされていたのです。それは事象を物質としてとらえる現代の科学では絶対にできないことです。
 通過儀礼のことはまた別の機会に雑談したいと思いますが、いずれにしても、どんな人間も、変化する限り死と再生からは逃れることができません。そのために、意識的にせよ無意識的にせよ、誰かに頼るにせよ頼らないにせよ、己の心と向き合う機会は必要なのです。「私、変わりたい」そう願ったバロットのように。

 「カジノ編は姿を変えた心理療法だ!」とか偉そうなことを言いましたが、実際のところ証拠はありません。それでも、物語の中に死と再生がある。これは精神的に成長することの証で、数多くの創作の物語にもそれはあり、自分たちの日常の中にも根ざしていて意味付けされるのを待っていると思います。
 マルドゥック・スクランブルの人気の秘密の中には、この殺伐とした世界と絶望的な境遇のバロットに、現代の自分たちと同じ類の心の葛藤と、自己との和解がある。そんなところに、共感できるからではないでしょうか。

お読みいただき、ありがとうございました。
以下は本稿の記述に当たり、少し立ち返った書籍になります。

〈心理療法〉コレクションⅠ ユング心理学入門(河合隼雄)
・〈心理療法〉コレクションⅢ 生と死の接点(河合隼雄)
意識と本質 精神的東洋を求めて(井筒俊彦)



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記事を最後までお読みいただきありがとうございます。 創作分析や経験談を問わず、何か誰かの糧とできるような「生きた物語」を話せればと思います。これからも、読んでいただけると嬉しいです。