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海外在住ひとりっ子 母の介護

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40代ひとりっ子の介護日記です。子宮頸癌末期の母を、ひとり自宅で介護しています。毎日、母の激しい痛みと戦っています。
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2018年4月の記事一覧

母はお骨になりました

今日の午後、葬儀屋さんが迎えに来て、母と自宅を出発し、斎場へ向かった。色々考えて、結局、親族と親しい友人のみで、小さく見送ることにした。 日曜日で、しかも連休が始まり、近所はいつもより人通りが少なくて、静かで落ち着いて出発できた。 火葬場へ到着後、母をお棺へ移し、旅支度をさせ、母のお気に入りだったフリースブランケット、毛糸編みが好きだったので、毛糸と編み棒、そして好物のシナモンおかきを入れてあげた。 そして、火葬の前に、みんなでお花入れ。自然が大好きな母のために、葬

葬儀屋さんのよもやま話

母が旅立ってから2日目。自宅で安置しているので、火葬日まで毎日、葬儀屋さんがドライアイスを交換に来る。 ドライアイスは、ひとつがレンガほどの大きさで、ガーゼのようなやわらかい白い布で包まれている。1日目は、母のお腹の上に2つ並べて、さらに顔の左右にも1つずつ置いていたが、髪の毛に霜ができ、顔にも少し水滴がついていたので、今日はそれははずして、代わりに胸元あたりに2つ乗せて、太ももの左右にも1つずつ置かれた。幸い、気温もさほど上がっていないので、夕方からは冷房をつけておく必要

母が旅立ってから24時間経過

習慣とはすごいもので、母の容態を心配する必要はもうないのに、今朝も朝5時に目が覚めた。母は、昨夜看護師さんが身体や髪を洗って、母らしい薄メイクもしてくれたので、穏やかで優しい顔のまま。 二度寝しようとしたけど、結局起きて、旦那とFaceTime をして、シャワーを浴びて、さあそれから何をしたらいいかわからなくなった。 いつもなら、午前中に看護師さんが来るので、オムツ、お湯、タオルなどをあらかじめ用意しておくのだけど、それももう必要ない。手持ち無沙汰で、部屋の中をウロウロ…

旅立つ母に、母の好きな曲を

母が大好きだった曲は、80日間世界一周のテーマ。小さいころ、その曲が鳴る目覚まし時計を見つけ、毎日嬉しそうに起きていた。 今、母は深く眠っていて、その曲をかけても起きないけど、聞こえているよね…? 昨日ぐらいから、食事はできてはいるけど、何を食べても味がしない。おいしいとかもよくわからない。 不思議な感覚は、それだけじゃない。 退院して自宅へ連れて帰ってきたのはほんの1カ月前なのに、すごく昔の出来事のように感じる一方で、昔の出来事が昨日のことのように感じたりする。さら

夢の中にいる母

昨夜は、母のことが気になって、2時間起きぐらいに目が覚めた。 今日も、昨日とあまり変わらず、声をかけても反応はなく、ひたすら眠っている。 午前中に、介護士さんがきて、オムツ替えなどをしたけど、いつもなら身体を少し動かしただけで痛がる母が、まったく痛がることなく、眠ったままだった。 午後一で訪問医が来て、「もうお母さん本人は夢の中にいて、これからまた痛みで苦しんだり、高熱で辛いということもないから、それは安心してください」と言われて、少しホッとした。癌の痛みで悶えながら亡

母を呼んでも起きない…

母の高熱が続いている。心配であまり眠れず、夜中の2時に寝て、5時に起きた。 時々、あー、とか、おー、という不思議な声を出すが、母のことを呼んでも、耳元で話しかけても、深い眠りに入っていて、起きない。 ごくごくたまに、瞼がピクピクする時があって、その時は、あ、聞こえてるのかな?と、期待してしまう。 今朝は、尿の量が100mlを切った。看護師さんに坐薬を入れてもらったが、夕方は私が入れなくてはいけないので、入れ方を教えてもらった。 坐薬は、自分が子どものころに、高熱を出し

旦那に怒られた

毎晩、寝る前に母の細くなった肩をそっとハグしながら、母に声をかけて、愛してるからね、と伝える。 この数日、母はまた熱が上がり、意識が薄く、深い眠りの中にいて反応がほとんどない。でも、たまに私の呼びかけに、うなづいたりするから不思議だ。わかってるんだね。いや、私がいることをわかっていてほしい…。涙が溢れて、止まらなくなる。 旦那にFaceTime で、毎日何度か涙が止まらなくなる…と話したら、「キミが辛いのはわかる。でも、そばで泣いてばかりいる娘がいて、ママは安心して旅立つ

生き方も、死に方も、十人十色

今朝、訪問看護師さんに、「お母さんの呼吸、時々止まるようになってきてるね…」と言われた。 数日前から、母のイビキの連続が一瞬止まって、静かになるのが気になっていたけど、どうやら、その間約5秒〜10秒ぐらい、呼吸が止まっているということだ。 看護師の話しによると、死ぬ間際になると、魚のえら呼吸のような、口をパクパクした呼吸の仕方になることが多く見られるそうだ。 母はこの2週間、血圧も酸素もとても安定していて、尿の量も極端には減っていない。通常は、これらのバイタルチェックを

今日もまた、母との一日が終わります。

毎朝、訪問看護師さんまたは、介護士さんが来てくれていますが、最近よく、「娘さん、ちゃんと食べてますか?」と訊かれる。 私は、人よりよく食べるほうで、今も食べてる量は変わっていないと思う。でも、自分では気がつかないうちに、痩せてきているようで、お願いだからちゃんと食べてね、と旦那にも言われてしまった。 やっぱり、人から見ると、やつれてるのかな? でも、そんなこと別にどうでもいい。 余命わずかな母を介護していることは、何も恥ずかしいことじゃないし、やつれてようが、ヨレヨレだ

何もやる気しません…

旦那が帰って、急に天気が悪く、外も涼しくなってしまい、部屋には母の寝息と、母の介護ベッドが自動体位変換するときの音しか聞こえず、さみしくて、悲しくて、何もやる気がしません。 テレビをつけてみたり、YouTube を見たりしても、頭に入ってはこないので、ついてるだけ。 もうこんな辛い時間は終わらせて、早くアメリカに帰りたいという気持ちと、こうしてずっと母と一緒にいられたらいいのにという気持ち。 こんなの耐えられない…と、泣いていたら、旦那が「ママに話しかけてごらん。寝てい

葬儀屋へ行ってきた

十数年前、父が亡くなった時は、私は喪主をしていないし、そもそも葬儀屋選びや葬儀の段取りは、どうしたのかわからない。(誰が喪主をしたのかは、またの機会に書く。) でも、母と違って父は、亡くなる前にすでに知人の住職にもろもろ頼んでいたため、安置、通夜、納棺などは、その住職のお寺で執り行うことが決まっていた。なので、葬儀屋選びと段取りを決めればよかった。ただ、まだGoogleがなかった時に、どうやって葬儀屋を選んだのか、記憶がない…。 母が亡くなったら、私が喪主になり、基本的に

母から、旦那へのメッセージ

旦那がアメリカへ帰る朝、母はまた薬のおかげで、半分夢の中にいたが、旦那が帰ることを伝えると、「そう…」と言った。 わかっているのか、わかっていないのか…。わかっていないなら、さみしさを感じないだろうし、もはやそれでいいのかもしれないと思っていた。 旦那は、寝ている母を何度もそっとハグして、額にキスをして、両手を握っていた。 そして、「またおかあさんのカレー食べたいから、作ってね」と言ってくれた。母という人をわかって、別れの言葉は最小限に、それでいて、ちゃんと母のことを大

母が母でない瞬間

10数年前、父は胃癌から膵臓ほか内臓への転移で亡くなったが、母のように、痛みで苦しんでる様子はなかった。 子宮頸癌と骨転移の末期が、こんなに痛みをともなうものだとは、まったく知らなかったし、現代の医療でもう少しどうにかならないかと思う。 痛み止めの量は、麻薬も含めて徐々に増えていく。今は、1日にフェントステープ8mgを2枚、粉末にしたリリカ2錠分が定時で、それ以外に痛みがあった時に飲むオキノーム散は、1回につき20mgを2包。オキノーム散が必要な回数は、日によってまちまち

余命更新中

訪問医から余命1週間宣告を受けてからちょうど1週間。母はまだ生きている。 昨日の朝は、尿に血が混じっていて、尿を溜めているバッグの中が、ワイン色になっているのを見て、すぐに看護師へ連絡した。 ちょうど訪問医が来る日だったため、少し時間を早めて来てもらったが、バイタルは安定していて、今のところは大丈夫とのことだった。 そして、余命が延びて、1カ月に。ちょうど、母の日の前か…。 退院後、自宅に連れて帰ってきた時の母の写真と、今を比べると、さらに痩せてしまったのがわかる。ま