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つらいよ

『男はつらいよ』
"あの"時代の映像特有の「登場人物全員鼻にかかった声」も、江戸の街並みも、下町のちょっとダサくて贅沢なところも、芝居がクサくて清々しいところも、性別役割分業ガンガンなところも、現代なら叩かれるような固定概念の表現が当たり前に使われているところも、ほとんど全ての人がちゃんと仕事をしているところも、その中で寅さんだけ夢見がちなフーテン野郎なところも、それでも愛されてしまう温かい(冷たい)ところも、それは即ち寅さんを蔑みながらもその存在を認めることで前衛的(※当時において)な多様性を意識していそうなところも、女が子育てする時代を前提にひろしがさくらと"一緒"に子育てをする構図を見せてくる賢さとずるさも(そういうところによって信用させられてしまう)、フーテンの寅次郎がいつでも帰る場所があるという安心感も、それらすべてが「当たり前ですが何か?」みたいな雰囲気で当たり前のように在るところも。
大好きだ。
個人的「かわいい」のオンパレードなのだ。

ポイントは、「素直さ」「本質を捉えたずる賢さ」にある。


作品の色としてはまず、「家族」とか「人付き合い」とか、人間同士の繋がりみたいなものが物語の中で重要視されすぎて、それが人生のすべてみたいになっている部分がある。

時代性といえば簡単に納得できるものだが、現代においては結構タブーだったりグレーなラインのことをしっかりと、当たり前に、言ってしまっている。しかし、決して嘘はついていないと思う。

私は人間同士の繋がりみたいな厳しさは嫌いではないし、時代が変わっても揺るがない大切なものの中にそれが含まれている(ことには最近気付いた)ので、良いも悪いもしっかりと言ってくれるそういう優しさのかたちは好きだ。

すべての家族が幸せなものではないこと、すべての人間が幸せを感じている世界なんてないことは、どの時代でも同じである。『男はつらいよ』では、(「家族」の繋がりの強さを良くも悪くも表現した上で)それがきちんと描かれている。創りものでありがちな強引さが、ありそうで全くない。

………
・時代に逃げない
・嘘をつかない
これは自分が好きな作品にほとんど共通して感じていることだ。(事実は知らないが)
………

それから、男たちが何かあるとすぐ立ち上がってちゃぶ台ひっくり返して殴り合いの喧嘩をする。何言ってるか分からないスピードで言葉を放ち胸ぐらを掴み、最終的にさくらが泣かされる。おなじみの流れ。

意外に耐えられないスパンで喧嘩をするし、寅さんはすぐにヘソ曲げる。そうしたら周りの人が一生懸命にご機嫌をとって、寅さんが心を入れ替えたりどこかに気が向いたりして、またフラフラと旅に出る。

寅さんが旅人をしているのは、東京は葛飾柴又に、帰る家があるからである。あの人は、帰るために旅をしている。

そんな自由で愛らしいところが好きだ。寅さんは義理人情に溢れた風の旅人のつもりだが、義理人情に溢れているのは寅さんの周りの人なのだ。それでも、寅さん的義理人情そして人生は、間違えることは多々ありながらも偽物ではないから、愛されている。

『男はつらいよ』シリーズは膨大な数があり、好きな話が数えきれないほどあるので、またいつか細かく語ってみたい。し、これに関しては誰かと語り合いたい。


概説的に好きなところを書き連ねてしまったが、結局のところ私がこの作品で一番好きなのは、すべての人間が幸せを感じる世界なんてないことを分からせながら、でもすべての人間が幸せを感じる権利は持っている、と暗示しているところなのだ。

あ、大切なことを言い忘れていた。
渥美清さんの声と歌がだいすきだ。
歌詞なんて見ずに歌えるくらいにはファンである。

無さそうで有るものとか、ありそうで無いものとか、怖そうで優しいとか、抜けているようで賢いとか、強そうで弱いとか弱そうで強いとか、ちょっとおかしなこと言ってもいい?そういうのだいすきだ。

またふざけてしまった。
「とびら開けて」関係者各位、ごめんなさい。



読んでくれてありがとう。
あなたに良いことがありますように。



ぼやき。

最近、映画のレビューで酷評を見た。

作品の評価の仕方は受け手の勝手な都合であるが、作品を評価することに際して最低限のマナーみたいなものはあると思っている。たとえば、揚げ足を取らないとか。至極人間的なことだ。どんな作品も人が作っているわけで、受け手は対価を払うとはいえ、お金に換えられない知的財産を観させてもらっていることを絶対に忘れてはいけない。言い換えれば基本的人権の尊重である。
私が目にしたレビューは、その人的ダメなところを書き連ねた挙句、得るものが何もなかった、と書いていた。
わかってあげられなくはないけれど、お金を払って、得るものが何もなかったと書くのは悔しくないのだろうか。私は悔しくて書けない。むしゃくしゃしてどうしても何か書きたくなったら、いい勉強になった、と書いた方がいい。(書くことはないが。)それはある意味冷淡すぎるかもしれないけれど、この季節なら丁度いいかもしれない。

作品に期待していた分の落胆を表現するときに、得るものが何もなかったときちんと書いてしまう人は、もしかすると作り手に対してある意味易しいことをしてしまっているのかもしれない、と今これを書きながら思っている。私が苦手な、「あなたのためを思って」現象が、あなたのためを思わずに行われていて、誰にも何も良いことがない。

結局、素直なものが一番かわいいと言いながら、コントロール(別名:洗練)された素直さを求めているのだ。
それが私の思う「本質を捉えたずる賢さ」でもあるのだが。完。

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