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いとくず(四)

20240506

余談ですが。わたしが詠んでいるうた(短歌)には、大きく分けて二種類のものがある。すべてほとんど見た目には(だいたい)同じような三十一字のうたであるため、種類も何もないように思えるかもしれないが、わたしの中ではそれぞれに異なる二種類のうたがある。そんなことは、おそらく言われなければ分からないようなことなのだろうから、別にことさらに大きく分けて二種類ありますなんてことは言わなくてもいいことなのかもしれない。だが、言われないと分からないかもしれないことだからこそ、わたしの中にはあえて言っておきたいという気持ちもそこはかとなくあったりもするのだ。もしも何かわたしのうたについて知りたいという人がどこかにいるのであれば、こうした種類の違いの話などを何らかの参考にしていただければ誠に幸いである。

だが、本題に入るまえに少しだけ述べておきたいことがある。第一に、わたしはわたしが詠むもののことを、真正面からこれは短歌ですと言うことはあまりない。今のところ。しかし、それはわたしが詠むうたのことを短歌と呼びたくないからでは決してない。そしてまた、わたしが詠むうたを短歌ではない別の何かだと思っているからでも決してない。これは、わたしの中での区別でしかないので、わたし以外の人がそれを短歌と呼んでも一向に構わないのだけど、わたしとしてはわたしのうたにはまだ短歌として認められないような部分があるのではないかと思ってしまっていて、真正面からこれは短歌ですとはまだ言えないのである。基本的に、わたしは短歌や和歌というものの何たるかをちっとも学ばずにうたを詠んでいる。そこの部分で、何かすごく引け目を感じてしまっているのかもしれない。

第二に、わたしはあまりわたしのうたについて(細々と)説明するのは好きではない。たぶん、真正面からこれはわたしの詠んだ短歌ですと言えるくらい自信をもって短歌が詠めていれば、それを事細かに説明することもできるのかもしれないが、現段階ではそれほどの自信をもって詠めてはいない。それに、たった三十一文字のシンプルなうたなのだから、それを読む人が好きなように読めばそれでいいのではないかとも思う。そこにある短いうたを読んで、とてもおもしろいと思ったりインタレスティングだと感じたり、もしくはそんな風にはまったく思ったり感じなかったりする、というそれだけのことで十分なのではなかろうか。そして、そこに特別な説明などは必要ないようにも感じるのである。できることなら、わたしは何らかの説明が必要な短歌よりも、何の説明も必要としないような短歌を詠めるようになりたいと思っている。

いわずもがな、わたしの詠むものには大きく分けて二種類のものがあるということをわざわざ述べるということもまたわたしのうたについて説明することにほかならない。ただし、これはそれぞれのうたの内容を説明するものではなく、わたしのうたの根本的な部分というか基本的なところをさらっと説明しようとする試みなのである。ということなので、あえてそこのところだけでも説明をしておこうかなと思った次第である。まあ、自分でも誰もそんなことには興味がないであろうことは十二分にわかってはいる。だからこそのあえてでもある。おそらくだが、きっとちっとも興味のない人はここまで読み進めてきてはいないであろうから、辛抱強く読んでくれている少しはわたしのうたに興味を抱いてくれている(であろう)人に向けて、このあえての説明の話を続けさせていただくことにする。

あいもかわらず、懲りずに毎日うたを詠んで各所に投稿しているのだが、これといって特に大きな反響はない。それゆえに、ちょっとでも反応があると非常に嬉しい。ただ、もしかすると何の説明もないうたが、さっぱりわからないので反応を示すことができないケースもあるのではないかと思うようにもなってきた。反応が乏しいのは、そのせいではないかと。本当は、わたしのうたがおもしろくないからにほかならないのであろうが、大半の人はわたしのうたについてあまり理解できていないのかもしれないと心配になってきてしまったのだ。誰かにわたしのうたをちゃんと理解してほしいとか、そんな烏滸がましいことを考えているわけではない。ただただ、もしかすると少しはわたしのうたに興味をもってもらえるよいきっかけになるのではないかと思って、少しばかり説明をしようと考えているわけなのである。

大きく分けて二種類あるうたのまず一種類目が、元ネタのあるうたである。和歌や短歌の世界には、古くから本歌取りという作歌の手法が存在する。これは古典的な名歌などに歌われている語句から素材を拝借してきて新しい作品を生み出す手法である。まず元ネタとなる本歌があって、それを素材として使用してリミックスしたりリエディットしたりして新しいうたを詠む。それが、本歌取りのうたである。わたしの詠む元ネタのあるうたもまた、広義にはその本歌取りのうたということになる。ただし、わたしの場合には古典的な和歌や短歌、俳句だけでなく、実に様々なものを元ネタとしているので、非常に雑多な本歌取りとなっている。最近のものでは、ドゥルーズとガタリの「アンチ・オイディプス」の書き出しをうたにしている。

それはいたるところで機能している中断せずに断続的に

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わたしが元ネタのあるうたを多く詠むのは、やはりわたしが初期のサンプリングの世代のひとりであることと大きく関係があるからだと思われる。二十世紀の終わりの八十年代から九十年代にかけて、安価なサンプリング・マシン/サンプラーが登場し、音楽の世界に革命的な変化をもたらした。そのサンプリングしたネタを音の素材として使い、ごく手軽に複製や加工をしてしまえる機能は、往時の電子音楽の世界のみならず多方面の文化に様々な影響を及ぼした。その影響は、今でもわたしの中ではありありと尾を引いていて、作歌をする際にそうしたものがついつい顔を出してきてしまうのである。まず、うたを詠もうとするよりも、元ネタさがしをしていることの方が多いし、それを見つけるところからうたづくりの作業が開始される。

そのためわ、たしの詠む元ネタのあるうたとは、古式ゆかしい本歌取りの手法を用いた形式のものというよりも、どちらかというとありとあらゆるレコードからサンプリングしてきたフレーズが飛び交っていた八十年代末のトッド・テリーのハウス・ミュージックやロンドンで大流行したアシッド・ハウスのサウンドに感覚的には近いような気はする。また、著作権解放戦線を名のり非常に先鋭的なサンプリング音楽としてのハウス/テクノ/アンビエントなどのサウンドを展開していたKLFや、サンプリングとサイケデリックを掛け合わせたサンプラデリックなる新造語の下で新時代のダンス・ポップを生み出していたディー・ライトからの影響もそこには少なからずあるのだろう。そういう意味では、わたしはうたではなくアシッド・ハウスを詠んでいるといってもよいのかもしれない。

そして、大きく分けて二種類あるうちの残るもう一方の種類のうたが、(サンプリングした)元ネタのないうたである。基本的にどのような形式の表現においても元ネタというものは必ず存在するものなので、ここではサンプリングされた元ネタのないうたということにしている。それは、わたしが見たものやこと、感じたものやことを、そのままダイレクトにうたにしたものである。内面の心象の風景をうたったものでもあるだろうし、目に飛び込んでくる見たままの自然の風景をうたったものでもあるだろう。そういう意味では、それはサンプリングした元ネタのあるアシッド・ハウスとは志向性の異なる、己という個の内側を深く観ずるディープ・ハウスを詠んでいるようなうたといってもよいのかもしれない。

和歌や短歌についての学習については、ある程度の余裕ができたら、少しずつ始めてゆきたいと思う。だが、今はまだその余裕が残念ながらちっともない。しかし、いつかは和歌や短歌というものについてしっかりと学んで自分が詠んだものを自信をもってこれは短歌ですといえるようになれるといいなと心から思っている。そんな日がいつかはおとずれることをひとえに願ってやまない。
しかしながら、詠んだうたを各所に投稿して公表する際には、いつも短歌のハッシュタッグをつけていたりもするのである。自分ではまだ短歌だと言い切るだけの自信がないにもかかわらず、そのようなハッシュタグをつけてしまうところには、何やら矛盾のようなものも感じるが、これはこれで致し方ないことだと思って目を瞑っている。こんなわたしでも、ひとりでも多くの人に詠んだうたを読んでもらいたいので。いわゆる看板のピンのようなものとして短歌のハッシュタグをつけさせてもらっているというわけである。

20240521

余談ですが。つい先日のこと、とても仲のよい友人である女優のKさんとお笑い芸人のOさんの(意外な?)関係性が、ちょっとしたニュースになっていた。テレビ番組で共演し、若い頃から親交があり、よく一緒に出掛けたりしていて、その当時はほとんど交際の一歩手前ぐらいまでいっていた、ということが当人たちによって語られ、それが報じられていたようである。背のすらっと高い女優さんと低身長のお笑い芸人さんという、ちょっと見た目には釣り合わない感じの二人が、もしかしたら交際していたかもというありえなさそうなエピソードを過去を回顧しながら語ったことが、おもしろいネタとして話題になったのであろうが、お二人にしてみれば意外な関係性でもなんでもなく本当にただただ楽しく一緒に遊んでいたりしただけのことだったのであろう。

女優のKさんに関しては、わたしにもちょっとした、ほんのちょっとした思い出のようなものがある。当然のことながらKさんのことを直接知っているわけではない。よって、実際のところは思い出などといえるものではちっともない。よく一緒に遊んだりしていたOさんが交際の一歩手前であったのだとすれば、わたしの思い出などは百歩以上離れたはるかに遠い手前のことであろう。この相当にうっすらとした思い出ばなしには、ちょっとばかり濃いキャラクターのわたしの親戚のおじさん、Tさんが登場する。思い出ばなしの舞台は、横浜市西区の赤門東福寺。その日は、わたしの母方の祖母の法事が東福寺で執り行われていた。親戚のおじさんもその法事に参列していた。この当時、おじさんは千葉に住んでいた。趣味の乗馬を通じて、TさんはKさんのことをよく知っていた。

東福寺本堂での法事が終わり、隣接する休憩所の座敷で参列者全員で仕出し弁当の昼食を食べていたときに、どういう話の流れだったのかあまりよく覚えていないが、おじさんが千葉での暮らしについて話している際に、おそらく乗馬に関連してKさんのことが話題にのぼったのであろう。おじさんは、色々な意味でおもしろい人であり、こうした親戚の集まりなどの際には、たいてい会話の中心になり、その与太話めいた話を周りでああだこうだいいながら皆で聞いていた。仕事は、銀座や新橋あたりのクラブで働くホステスさん向けのレンタルドレスの店を営んでいると聞いたことがあった。だが、この法事のころにまだその店をやっていたのかは定かではない。ただし、そういうあの界隈の夜の街に関係する仕事というのは、わたしの母方の家系にとっては大分昔からそう縁遠いものではなかったように思われてならない部分は確かにある。

ちょうど今から百年ほど前に誕生した祖母は、銀座生まれの銀座育ちであった。日本橋川の常盤橋あたりに、かつて高橋という橋があったという。こうした川や運河の橋の近くで荷揚げなどをする人足を束ねるかもしくは口入れ屋のような仕事をしていたのが、母方の家系の先祖だったのではなかろうか。もしかすると、浅草の高橋組なども同じ一族の中から派生したのかもしれない。あの界隈で河岸や運河での人足の人材紹介や人材派遣などの稼業を行なっていた流れから、その界隈の花街や花柳界の仕事などにも関わり携わっていったであろうことは、なんとなくだが容易に想像ができる。Tさんのレンタルドレスの仕事も、もしかするとこの一族の代々の家業を思えば実にらしい生業であったようにも思えるのだ。そして、あのよくわからないちょっと得体の知れないような人柄は、この一族の血筋の特長のようなものなのかもしれない。そのあたりは、わたしもかなり受け継いでいるような気はする。

子供のころ、その親戚のおじさんがテレビに出るという話があった。何でも医療系の番組で大病を克服して元気に活躍している人々を紹介するうちの一人として取材を受けたという。ちゃんとした真面目な番組だったと思われるが、Tさんはいきなり海でクルーザーかなにかを乗り回しながら登場した。それを見た親戚一同が「なんだこりゃ」となったことは言うまでもない。病気をして、また運よく元気な姿に戻れたのだから、少しはしおらしくしているのかと思いきや、よく晴れた空の下で潮風をばんばん浴びながら「ヒャッハー」であったのだから。そういうところもまたTさんらしいといえばTさんらしいところであったし、この家系の人らしいといえばらしいことでもあったので、結局はああなるのも仕方ないねという受け止めへと落ち着くことになる。このように、わたしの母方の家系には結構おかしな人が多いようである。そのあたりの血は、わたしもかなり色濃く受け継いでいるような気はする。

話はまた東福寺へと戻る。法事の後の食事の席で、親戚のおじさんが知り合いのKさんのことを話していた。その流れの中で、わたしの方を見ながら「ああいう子(Kさん)には、お前みたいな変なわけのわからない奴が合うと思うんだよね」なんていうようなことを言い出したのだ。おそらく、Kさんがなかなか結婚しないでいることを知人として案じているところもあったのではなかろうか。それで、何だかよくわからないが、そういう話の流れなった。わたしはすかさず「こっちは全然お金がないし、住む世界がまるっきり違うから駄目ですよ」的な返事をしたと思う。それに対して、おじさんは「いいんだよ、そんなのはあっち(Kさん)がなんとでもするだろうからさぁ」といったようなことを言っていた。こちらとしてはもう「はあ、そうですか。そんなもんですかね」と思うしかなくて、それきりそれについての話題も終わってしまった。

ちょっとした会話ではあったが、わたしとしては何だかとても忘れられない頭の中にずっと残る会話となった。「はあ、そうですか。そんなもんですかね」と心の中では思いながら、そんなことって本当にあるものなのだろうかと頭の中ではあれこれと考えを巡らせずにはいられなくなってしまった。そして、ここにきてのKさんとOさんの若き日の思い出の話などを鑑みるに、やはりTさんが言っていたように、ああいうタイプのKさんのような人にはちょっとわけのわからない変わった人の方が本当に合うのではないかと、なおいっそうに思わされるようになった。もしかすると、親戚のおじさんは、自分のような少し変わったタイプの人間の方が気が合いやすいということを実地で認識していて、あの場でわたしに対してあんな話をしたのではなかろうか。最もあの家系の血を濃く引いていそうな、見るからに変てこそうな、このわたしに。

ほんの少しだが、もしも親戚のおじさんのTさんが、落語「宮戸川」に出てくる霊岸島のおじさんのような人だったら、どうなっていただろうと考えることがある。勝手に自分ひとりでこの二人きっと合うぞと思い込み、その思い込みだけで勝手に自分ひとりで話を進めて二人の仲をまとめてしまうというようなことがあったら、わたしもOさんのように交際の一歩手前ぐらいのところまではいっていたであろうか。そして、ある夜にひょんなことからおじさんの家の二階で一緒に朝までいることになって、木曽殿と背中合わせの寒さかななんてことをいったりしているうちにザーッとゲリラ豪雨が降ってきてピカッとなってバリバリバリバリと近くに雷が落ちて大変なことになるというようなことがあっただろうか。ただまあ「宮戸川」は後段がかなり血腥いことになってゆくので、親戚のおじさんが霊岸島のおじさんのような人でなくて本当によかったなあとも思うのである。

20240523

詩(一)

風に吹き飛ばされてしまった人を見ました。本当のことをいうと、もう吹き飛ばされてしまった後でした。そこにもう誰もいませんでした。とても強い風が吹いたので、跡形もなく吹き飛ばされてしまいました。何日もずっと強い風が吹いていました。あのすごく真っ暗になった夜に吹き飛ばされたんです。今はもう、そこに誰かがいた痕跡すらありません。今はもう、そこに誰がいたのかすら思い出すことができません。何もかも風に吹き飛ばされてしまいました。何ひとつとしてもう残っていません。すべてみな風が吹き飛ばしてしまいましたから。何日も何日もとても強い風が吹きました。風に吹き飛ばされてしまった人を見ました。見にゆくとそこにはもう誰もいませんでした。いったい、どこに行ってしまったのでしょう。誰もそれを教えてくれません。誰ももう何もおぼえていません。風が吹き飛ばしてしまいました。

20240526

詩(二)

久しぶりに人とすれ違った。その少し疲れた感じの老夫に「この道をずっと行くと、どこにたどり着くでしょう」とたずねた。すると「あなたの行きたいところにたどり着くでしょう」と言う。「わたしの行きたいところはどこでしょう」と、さらにたずねてみた。すると「明日また道ですれ違う人に聞いてみるといいでしょう」と言う。「あなたはどこに行ってきた帰りなのですか」と、別のことをたずねてみた。すると「あなたがいつかたどり着くところから帰ってきた」と言う。「わたしも行くときはとても不安でたくさんの人たちからこの先になにがあるのかを聞き出そうとしたがことごとく無駄だった。自分の足で歩いてしかたどり着けないところもあるのだよ」と老夫はゆっくり語ってくれた。わたしはその道のはるか先を目を凝らして眺めながら、それを聞いていた。振り向くとそこにはもう誰もいなかった。わたしはきっとこのままどこにもたどり着かないであろうことを、そのときに悟った。そして、また歩きだした。

20240529

詩(三)

どうしてこればかりしてちゃいけないの。これしてるときが一番楽しいのに。つまんないことばかり書いてるだけだけど、これが一番楽しいよ。みんな、あまり楽しいことしていないの。楽しいことより、ちっとも楽しくないこととか、あまりしたくないことをしなくちゃいけないの。なんで、一番楽しいことばかりしてちゃいけないの。本当は、ちっとも楽しくないことや、あまりしたくないことなんて、誰もしたくならないはずじゃない。みんなが楽しいことばかりしていられるような世界になるといいなって思うよ。ちっとも楽しくないこととか、あまりしたくないことをさせる人がいるのなら、そんな人はこの世からいなくなってしまうといいな。みんながずっと楽しいことばかりしていられる日がはやくきますように。いつまでもつまんないことばかり書いていられますように。

20240602

作家の町田康と歌人の穂村弘の対談記事「「魂の温度が違う」町田康の言葉はどこから生まれるのか?初の歌集『くるぶし』を穂村弘が読み解く」を読みました。この記事は、紀伊國屋書店新宿本店で開催された町田康の初の歌集「くるぶし」の出版記念のトーク・イヴェントでの対談をまとめたもの。つまり、町田康と穂村弘による歌人同士の対談イヴェントをまとめた記事ということになる。記事のタイトルにある「魂の温度が違う」という言葉のインパクトもすごいが、ここでは対談の中で出てきた現代の短歌についての話について、少しばかり考えさせらたことを少しばかり(取り留めもなく)書き留めておきたいと思う。その気になった部分は、町田がここ十年くらいの短歌のブームとはいったい何なのか、どういうことなのかと穂村にたずねるところから始まる。

「魂の温度が違う」町田からの直球の問いに対して、歌人穂村はとても端的に答えてみせる。一九八七年に出版された俵万智の「サラダ記念日」のブーム以降、九十年代からゼロ年代を通じて、世間一般のレヴェルでは長らく忘れ去られ、ほとんど時代遅れのものとなっていた(はずの)短歌に、思わぬかたちで市場価値が見出されるようになったことが、近年の実体があるようなないようなブームを形成しているという。その、底のところに「市場価値」というものが、とても広く存在・遍在していることが、大きな要素のようだ。これまで、ここまでかっちりと商品的な市場価値というものが認識された、ある意味では大衆(ネチズン)運動的な短歌のブームというものは、おそらく存在しなかったであろう。そういう意味では、今このときにも和歌/短歌史上において初めてのことが現象として起き続けていることになる。

最初は、ただぽつぽつとSNSなどで局所的に話題になっていたものが、短歌という表現方法の非常に手軽な性質からか各種メディアなどで手軽に取り上げられ、静かなブームなどと紹介されるようになり、その話題性の規模や質や量などから金になる可能性のあるムーヴメントと(見えざる手によって?)判断され、持続的にビジネスになりそうな短歌ブームというものが各種メディアやSNSなどで改めて話題となって、もはやどこからどこまでが実際のブームの動きなのかがわからなくなるほど雪だるま式に膨張を続けている。そうやって外部からもてはやされて動いているのが今の短歌ブームであり、これまでそう簡単に結びきそうになかった「市場価値」と「短歌」が一体化しているところに、まったく新しいタイプの市場を巻き込んだブームとしての今の短歌ブームというものがある。

歌人穂村は、昨今の(まったく新しいタイプの)短歌のブームを「これまで全くなかった市場価値が見出されたというレベルの話」だという。つまり、そういうレヴェルの話であって、それ以前の短歌の文化とのつながりはあまり(厳密には)ないのだといっているようにもみえる。そういうレヴェルの話でしかないのだとすると、それに踊らされるのも何だか癪な気がしてくる。だが、そういうわたしも毎日なにかしら詠んでいるのだ。ちょっと癪だと思うから、そういうレヴェルのブームとはまた違うレヴェルで詠んでいると思うようにしているが、短歌は短歌であり(今や)すべて一括りにしてそういうレヴェルのものにされてしまうおそれは大いにある。しかしながら、そういうレヴェルの話でなかったとすると、短歌なんてこの時代にブームになんてならなかったであろうし、そもそもの話がもうすっかり廃れ果ててしまっていただろう。

そして、現在の短歌ブームの軸となるキーワードとして挙げられるのが「エモい」という言葉である。今や短歌というものの市場価値が、この「エモい」とう情感やエモーションと密接に結びついて回っている。短歌ブームの根幹にはエモがある、といっても決して過言ではない。そして、わたしの詠むちっともエモくないうたは、これまでもそしてこれからもずっと今の短歌のブームとはなんの関わりがもてなさそうなことも、この時点で明らかになってくる。端的にいって、わたしのうたはエモくない。たぶん手軽にエモくなれるワードも詠み込まれていないし、何らかのわかりやすい情動に直結するようなユーザフレンドリーなエモ表現というものもほとんど見あたらない。今はもう、ただひたすらに自分の中の奥底のとても暗いものを掬いとってきて詠んでいるだけのものとなっている。

手軽かつユーザフレンドリーに(難解さを排し)(ある程度誰にでも)わかりやすく、この世界・時代・社会のエモさを切り取って詠んだ歌とは、(それが肯定歌であっても否定歌であったとしても)今の空気感をそのまま(人工的に一方向に)パッケージした、ただエモく詠んで/読んで消費するためのレヴェルのものにしかならないだろう。定型の韻律のリズム感やテンポ感の心地良さ、エモな言葉が発散する情動の波に浸り、まさにそれ用に形作られたユーザフレンドリーな歌を、手軽にカジュアルに摂取する。そうした短歌や、そしてそのような短歌のブームというものは、今ここにある情緒的な快楽に流されて(真偽や善悪や美醜に関係なく)現状を全肯定する思考に堕してしまうおそれが大いにある。それを消費する際の価値基準は「短歌エモい」という点にしかないのだから。それが自分にとって心地よくエモく響けば、それですべてよしということになる。

しかしながら、そういう「短歌エモい」レヴェルでのブームというのは、ともすると詩歌としての短歌を殺してしまうものにもなるのではないか。その文化を破壊してしまうことにもなりはしないか。「魂の温度が違う」町田は「ある種の効果を狙って市場のニーズに応えようとしてるのがいまのエモ」だと「短歌エモい」レヴェルでのブームの核心をあっさりと突く。「短歌エモい」となる短歌の市場価値が、市場のニーズに十分に応えていなければ、それはブームにはならないだろうし、そのブームを(市場が?短歌が?)維持し継続してゆこうとするのなら、「短歌エモい」のもつ市場価値を徹底的にエモの側面から進化・深化させ(続け)てゆかなくてはならない。エモな短歌が金を呼び、金がまたエモな短歌を引き寄せ・引き出させる、そのサイクルがブームなのだ。

ただし、そのブームが長らく継続しているということは、そのレヴェルの短歌が、読む人々をお腹いっぱいにさせエモさで胸いっぱいにさせ続けているということであり、読み手にとっての(詠み手にとっても?)飽和状態が(なんとなく)保ち続けられているということにほかならない。この時代に「魂の温度が違う」ものの歌は、どこにその読者を見つければいいのだろう。もしくは、それもまた、今の読み手によってエモく誤読されたり、それなりにエモく解釈されるのを待てばよいというのか。ただ、エモい短歌そのものは決して悪くはないと思うけれど、そればかりではさすがにまずいとは思う。たった三十一文字の短歌であるから、やろうと思えばどんな短歌でもエモく誤読したり解釈することは可能だろう。古来よりエモとは短歌(和歌、相聞歌)の重要な一構成要素であったのだから。それでもやはり、そればかりというのはさすがにまずい。

世界も社会も何もかも今のままではまずいことばかりだ。そんな現代を生きるひとりの人間としては、さまざまな危険や危機が迫りくる中で諸手を挙げてエモいとばかりいっていては非常にまずいとも思うのだ。これは魂の温度の問題でもある。町田の言う通り「エモーションってのは本来複雑怪奇なもの」であるはず。であればこそ、本来の複雑怪奇なエモを歌った、手軽でもユーザフレンドリーでもないエモ短歌がもっともっと詠まれなくてはならないのではないか。そして、それは多くの人々によって読まれなくてはならない。できることなら、今現在も継続中と見なされているブームの中で。それが難しいのであれば、その外側ででも構わない。そこに現代の短歌が、一過性のブームとして過ぎ去っていってしまうものとはならずに、その裾野を広げて残り続けてゆくかがかかっているようにも思われる。

わたしの詠むうたには、やはりどうも(ユーザフレンドリーな)エモさが足りていないのだろう。どんなに詠んでも、あまり多くの人々には読まれていないし、ちっともブームの盛り上がりのようなものを身近なものとして感じ取れない。言わば、ひとりぽつんと蚊帳の外にいるような感覚である。手軽でもユーザフレンドリーでもないし、どちらかというと非エモだし、とても個人的で暗いうたであるけれど、詩歌としての短歌というものを歌ってゆきたいという気持ちそのものは、短歌ブームの中で詠まれているほかの短歌と(きっと)同じものなのではなかろうか。蚊帳の内だろうが外だろうが、どちらも短歌であるはずなのに、そんなにもエモさが足りないと駄目なものなのだろうか。

そこにある短歌がエモか非エモかなんていうことは、実際はそう簡単にわかるものではない。うたを詠む人の中でエモいと感じられているもの(それは本来の複雑怪奇なエモかもしれない)が歌われていれば、それはエモい短歌だ。だが、それを読む人はちっともそこにエモさを感じないかもしれない。歌人が技巧を凝らして季節の自然の風景に自らの感情を託してを詠んだ歌の場合、そこにただ自然の風景しか読まない人もいるだろう。だが、それはそれで仕方がないことなのだ。歌がひとたび詠まれてしまったら、それを読む人がエモいと誤読しようが、非エモだと切り捨てようが、もうどうしようもないものなのだ。そのうたを、どう受け取るかはそれを読む人次第である。好きなように読んでもらえれば、それでよい。

おそらく、わたしのうたは、これまでと同様にこれからもあまり誰からも読まれないだろう(ほんのわずかながらも、いつもイイネやスキしてくれている人はいるけれど)。たぶん、そういう誰も読まないうたでありつづけることにも、もしかすると永遠の不在者のうたとしての存在理由というものもあるのかもしれない。たぶん市場価値なんてものは、そこにはこれっぽっちもないだろうが。というか、市場のニーズに応える市場価値の高い歌をあえて詠むことに、どれくらいの意味があるものなのか、わたしにはよくわからない。ただし、本音をいえば、一人でも多くの人にわたしのうたを読んでもらって、いっぱい褒めてもらいたいと思ってはいる。それが、ちっともエモくないところが逆にエモいというような褒め方であったとしても、わたしとしては一向に構わない。(余談)

20240605

詩(四)

どうかわたしの話を聞いてください。どうかわたしの話を聞いてください。こんなに頼んでも誰も聞いてくれないなんて。どうかしている。そんなにわたしの話を聞くのが嫌なのか。嫌なら嫌とそういってくれ。だがしかし、どうして何も話す前から嫌だと決めつけてしまうのだろう。もしかしたら、ちょうど聞きたいと思っていた耳寄りな話かもしれないのに。聞く前から嫌だといっていたら、しまいには誰の話も聞かなくなってしまうだろう。それでいいと思っているのだろうか。いや、たぶんここではもうそういうことになっているのだろう。だから、誰ひとりとしてわたしの話を聞かないのだ。聞こうとするふりさえしない。ああやって耳を塞いだままずっと嫌な話を聞かずに生きてゆくのだろう。幸福な死人たち。しかたない隣の町のまだら牛に行ってみよう。そこならわたしの話を聞いてくれる人がきっといるだろう。

20240607

詩(五)

聞いたことのない歌をうたっている人がいた。かすかに聞き取れるくらいの小さな声で。どこか遠い国の言葉で歌われているメロディは、少し聞くだけでうっとりとした気分になる。見たこともない懐かしい街の景色が見えてくる。沢山の朝焼けと夕焼け、真昼の光と真夜中の闇を、そこでわたしは眺めた。木々や草花が生い茂り、やがれそれは枯れ、あたりは荒野になり、果てしなくつづく砂漠になって、そこに雨が降り大洪水が起こり、また木々や草花が生い茂った。沢山の生と死が目の前を通り過ぎた。わたしは、じっと身じろぎもせずに年老いた動物のようにはじめて聞く歌にうっとりと聞きいっていた。ゆっくりと目を開いてみた。そして、聞いたことのない歌をうたっている人に、その美しい歌はなんという歌なのかをたずねてみた。すると、その人は表情をひとつも変えずに何も歌っていないといった。

20240610

余談ですが。うたとはつくるものである。いや、つくられるものであろうか。つくられていないうたはない。そもそもの話が、うたをつくるというのは創作することであり、創作されていなうたはないのである。つくることやつくられることがなく、うたが最初からそこにあったとしたら、それはきっと神のお告げとか啓示みたいなものでしかないだろう。しかしながら、うたというものは、あまりつくろうつくろうとしてつくられるようなものでもない。そして、なにもないところでうたがいきなりつくられるということもない。そこになにかがなければ、創作というものはさっぱり開始されないものなのである。まず、なにかうたになりそうなものを見つけるところからすべては始まる。そこが創作の第一歩である。

しかし、なにかうたになりそうなものを見つけて、そのなにかをあれこれいじりまわしているだけでうたがつくられてゆくというのでもない。うたになるものというのは、これはうたになるなという予感めいたものとしてではなく、これはうただと直感的に見つかるのである。だから、そこではそれをうたになるものとしてまっすぐに眺めたり聞いたり観ずることが重要になってくる。つまり、それを見つづけたり聞きつづけなければならない(時間の長短はあまり関係がない)のだ。すると、それは、それがあるべき場所であるうたへと次第におさまってゆくであろう。うたはおのずとうたをつくる。それらのことを、ぐるっとひっくるめて創作というようだ。そこで人間の(不器用な)手がすることといえば、すでに皿のうえにある料理の盛りつけを少しととのえるくらいのことだけだ。

20240612

余談ですが。意味のないうたに意味がまったくないとは限らない。そして、意味のない(ような)うたにも意味がないことはない。それらは、たいてい意味がないように思えているだけのうたなのだ。それは、それが意味がないように思える人にとってだけ意味のないうたや意味のない(ような)うたとしてあるものなのだが、勿論すべての人がそう思うわけではない。そのように思わない人は、たぶんそんなに少なくはない。また、誰かがうたを読んで思ったことを、その通りに誰しもがそのうたを読んで同じように思わなくてはならない、ということもない。だがしかし、この世界に、はたしてうたに限らず意味のないものなどあるのだろうか。甚だ疑問である。どこにだって意味はある。なんにだって意味はある。だから、意味のないうたなんて、この世界にあろうはずがない。すべてのうたに意味はある。

だから、なにかうたを詠むことに対しておそれを抱く必要なんてまったくないのである。おそれずにうたを詠もう。おそれずに意味のないうたをたくさん詠んでしまおう。時には、どう読んでも意味をつかめないうたにしか読めないものを詠んで、それを読む人にそのうたの意味をあれこれと探し回らせるぐらいでちょうどよいのではないか。うたを詠む人は、もっと意地悪になってよい。すごく意味のあるうたやすごく意味のわかりやすいうたばかりでは、世界はとてもつまらないところになってしまうように思えてならない。だからこそ、うたの世界の未来のためにも、世界の未来のためにも、おそれることなく意味のないうたを詠もう。意味のないことや徹底的に無駄なことが世界を救うだろう。現代の人類に圧倒的に足りていないのは詩だ。もはや息をするようにうたを詠もう。ひたすらに詠もう。

20240617

意味のない(ような)うたを詠むことには、実はかなり意味がある。面倒臭いことをいうようだが、ここからは意味のない(ような)うたのことを意味のないうたと書く。意味のない(ような)うたでも意味のないうたでも、どちらでも構わないと思うかもしれないが、そんなことはない。意味のない(ような)うたは厳密には意味のないうたではないし、意味のないうたは意味のない(ような)うたではない。だが、詠む人が意味のない(ような)うたとして詠んだものが、それを読む人には意味のないうたに読めてしまうことはあるだろうし、もしも詠む人が意味のないうただと思っていたとしても、それを読む人はこれは意味のない(ような)うただと思って読んだりする。すなわち、どちらのうたも、どちらのうたにもなることがある。よって、意味のないうたと書く。つまり、意味のないうたにも、実はかなり意味がある。

意味のないうたを詠むことは、意味のないことをうたにすることではない。ただし、それは意味のないことをすることには結構近い。よって、意味のないことをすることでもある意味のないうたを詠むようなことを、積極的にすべきだとうながすことほど意味のないこともない。意味のないうたを詠むことは、実はかなり意味のあることではあるけれど、それをさも意味のあることだと押しつけたりすることもまたはなはだ本末転倒である。しかしながら、それは意味のないことをうたにしているのではないわけであるため、意味のないうたを詠むこととは、どこかで意味に対して意識的だとはいえる。だからといって、それがあまり意識的でありすぎてもいけない。そこのところの料簡が少しばかりむずかしい。それほど意識的になりすぎていなければいいような気はするけれど。

見たままに見たままのことを人がうたにして歌う。これは、とても自然な行いである。なにか楽しいことや気分が高揚することがあったとき、つい知らず知らずのうちに鼻歌を歌ってしまったり、頭の中でなにか陽気なメロディが鳴ってしまうとういうことに、とても近い。ふと思い浮かんでしまった言葉が、後から後から次々と流れるメロディのようにあふれ出してきて、いつしかいくつかの言葉の連なりのようになっている。たぶん、それはもううたなのである。というか、間違いなくそれはうたであり、人というのは誰でも知らず知らずのうちに歌ってしまうものなのである。思い浮かんでくるものが言葉でなくなても、ちっとも構わない。色や形のヴィジョンが思い浮かんできて、頭の中に図形や図絵が描かれる。そのとき、その形や絵は、間違いなくその人がうたった歌なのである。

だがしかし、見たままに見たままのことを歌うことはうたの第一歩でありながらも、短歌の世界では見たままをうたにしただけでは作品として成り立たっていないともいわれる。どういうことか。うたが歌になることと、うたが作品となることとは、まったく違うことなのであろうか。だが、なぜ見たままを歌にしただけのうたが、そんなにも卑下されるような目に遭わなくてはならないのだろうか。そして、それがうたとして歌われているにもかかわらず作品として成り立たないというのはどういうことなのか。それはつまり、見たままを歌にしただけでは作品としては成り立たないという指摘とは、それが見たままを詠んでいるだけのちっとも意味のない歌だといっているということなのだろうか。

最初は見たままを詠んでいたとしても、それを作品として成り立たせようとすればするほど、うたを作品化させてゆく過程において、それはもう見たままのことを詠んだうたではなくなっていってしまうのではなかろうか。そういったうたを作品として成り立たせようとする努力を、あまりなにかの義務のようにうたを詠む人は考えたりしないほうがいいのではなかろうか。ただ見たままのことを詠んだ(だけの)意味のないうたにだってちゃんと意味はあるものなのだから。それが作品として成り立っているかなんていうことは、それを読む人が勝手に感じたり考えたりすればよいことでしかない。そして、そういうことは見たままのことを詠んだうたそのものとは、実はもはやなんの関係もないことなのである。

しかし、短歌の世界では作品として成り立っているうたをまず高く評価する傾向がある。そして、見たままをうたにしただけでは作品として成り立たないという評価の基準が、とても広く深く浸透していることにより、それが短歌の世界の常識のようにもなっている。この短歌にある種の深みや意味性が観ぜられられない/感じられないことをして作品として成り立たっていないとする傾向や、そうしたうたを積極的に短歌の世界の中心から除外・排除してゆこうとする考え方は、極端な話が短歌の文化における一種の原理主義運動のようにすら見える。なぜ、見たままを詠んだだけの野に咲く素朴な駄花のような短歌ではいけないのだろう。なぜ、意味のないうたを殊更に下位に位置付けようとするのか。そして、作品として成り立っていない短歌というものは本当にあるものなのだろうか。

だからこそ、意味のないうたを詠むことには、かなりの意味があるのである。見たままを詠んだのだってちっとも構わない。作品として成り立ってないといわれようともちっとも構わない。なんだろうともうとにかく(思うまま/見たまま)歌えばよいのである。難しいことは抜きにして、とにかく歌ってしまえばよい。短歌の世界から排除される短歌もまた短歌である。うたはうたである。時代が変わったのでも、価値観が変わったのでもない。うたはずっとうたであり、そこではなにも変わらないし、これからもずっと変わらない。意味のないうたにも意味はある。見たままをそのままうたにすればよい、なんの気もなしに鼻歌でもうたうように。短歌とは、極めてシンプルにうたのことであり、詠まれたものははすべて作品であり、短歌の世界の敷居は実は限りなく低いのである。

20240622

詩(六)

君はどこから来たんだい。どうやら寝ぼけているようだけど。長い冬眠からようやく目覚めたような顔をして。こんなに天気のいい土曜日だというのに。頭に寝癖をつけて、ぼんやりしてる。よかったら、お茶でも飲むかい。何か話を聞かせておくれよ。何か話したいことがあるならば。君はどこから来たんだい。もうすぐお昼になろうというのに、今までずっと寝てたのかい。こんなに天気のいい日曜日だから、顔を洗って、髭をあたって、どこかに出かけよう。どこか行きたいところがあるのなら、そこへ行こう。そこでゆっくり話を聞かせておくれよ。何か話したいことがあるならば。本当は、こんな世界なんてなくなってしまえばいいって思ってるんだろう。目を見れば、だいたいのことはわかるよ。君はどこから来たんだい。何か話を聞かせておくれよ。何か話したいことがあるならば。君はどこから来たんだい。

20240625

詩(七)

風の流れが突然に方向と角度を変えた。とらえきれずに、バランスを崩す。すとんと斜めに落ちてゆく。ちょうどそこには水が流れていた。ひんやり冷たい水のうえに、ぷかりと浮いた。せまくてちいさな流れのなかを、流れにまかせて流された。間近に見える岸辺にはみどりの草が生えている。水のなかでは細長い体のやつやとんがった顔しているのが動いてる。向こうには突き出た目でぎろりとこちらを睨んでいるカエルがいる。水はゆっくり流れてる。せせらぐ音も、かすかに聞こえる。降ってくる日差しを照り返して、きらきら水面が輝いている。いつしかカエルの前をすっかり通り過ぎてしまってた。ちょっと挨拶しようと思ってたのに。夏のはじめのよく晴れた日に、わたしは水の流れに流されて、どこまでも流される。ちょろりちょろりとせせらぐ音を聞きながら。わたしはどこまでも流れ流され流れをくだる。もう二度と、ここに戻ってくることはないだろう。さようなら。さようなら。

20240703

詩(八)

君はどこから来たんだい。ふらりふらりと風まかせ。ふわりふわりと空から落ちてきたとでもいうのかい。じめっと湿った空気に眉をひそめるその顔に、ちゃあんとひどく憂鬱な気分と書いてある。錆びついたフェンスの網の目に両の手でしがみつき、空のどこかを飛行機が飛んでく音を聞いている。焼きたてのパンみたいにふかふかなつま先で、かわいた小石を蹴ってばかりいる。君はどこからきたんだい。こんなにもさみしくてかなしいところに。誰かをたずねてきたのかい。こんなにもさみしくてかなしい人しかいないところに。口笛を吹いたところで、誰も聞くものなんていやしない。このあたりではなにをするのももうむずかしい。誰か話し相手を探そうたって、無駄だと思うよ。ここいらじゃ、なにかを聞いてくれる人なんていやしない。残念ながら、そういう人はここらにはもう誰もいないんだ。ここにはそんな人は、誰もいないんだよ。残念だけど。

20240705

詩(九)

これは世界が回り続けている音です。ほら、聞こえていますか。この音が聞こえなくなったとき、そのときが世界が止まってしまったときです。まだちゃんと聞こえていますか。世界が回り続けている音が。この音が、いつ止まってしまうのかは、まだ誰にも分かりません。しっかりいつもその耳でこの音を聞いて、まだ世界がちゃんと回り続けているかを確認していてください。そして、いつの日かこの音がしなくなってしまったら、世界の人々にすぐに世界が止まってしまったことを伝えてください。可能な限り大きな声で、可能な限り多くの人に、世界が回っている音がしなくなってしまったと知らせてください。世界からすべての音がなくなってしまう前に。世界がもう二度と目覚めることのない眠りについてしまう前に。世界があなたの口を塞いでしまう前に。ほら、これが世界が回り続けている音です。そして、あなたの運命が回り続けている音なのです。

20240708

詩(一〇)

飛んでいってしまいなさいよ。どこへでも好きなところへ。飛んでいってしまいなさいよ。いつまでもここにいたって仕方がないから。こんなところに未来はないから。新しい明るい光を見るなんてことは、これまでもこれからもずっとないんだから。遠い過去の栄光が、いまだにほんのり残っているだけ。昼間でも薄暗い、煤けてしまった絶望の街。もうすぐこの土地は滅び去り、地の底へ埋葬されることになる。そうなる前に、飛んでいってしまいなさいよ。どこへでも好きなところへ。自由に空を飛べる翼があるのなら。飛んでいってしまいなさいよ。こんなところに残っているのは、生まれつき翼なんてもってはいない哀れなるものたちだけ。最初からここには自由なんてなかったし、こんなにも自由が似つかわしくない場所もない。もうすぐこの土地は滅び去り、地の底に埋葬される。そうなる前に、どこかへ飛んでいってしまいなさいよ。ここは見捨てられてしまった絶望の街だから。

20240711

詩(一一)

この胸のちょうど真ん中に、ぽっかりと大きな穴が空いている。抉りとられたまま、そのままになってる胸の穴ぼこ。赤赤とした肉が、むき出しになっていて、血がにじみ、ぐにゃりぐにゃりと時おりまだ動いてる。どんなにまぶしい太陽の光だろうと、この大きな穴を素通りしてゆく。冷たい風も吹き抜けてゆく。穴の向こう側を見れば、春には花が咲き、蝶が舞っているのが見えるだろう。穴のこちら側には、冬の日にゆっくりとわたしが死んでゆくのが見える。あの日、思い切り不意に体当たりをされてできた穴。あの日、すべてに絶望してできてしまった穴。あの日、光が去って、風が止まり、わたしの穴の内部は真っ暗闇になった。そして、今またぽかんと空いた大きな穴に、いつもの痛みがよみがえってくる。抉りとられたままの真っ暗闇が、またじりじりと疼きだす。血をにじませてぐにゃりぐにゃりとわたしを苛んでいる。穴の中から誰かの目が、わたしがここでこうして死んでゆくのをじっと眺めている。


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